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知らんモンは知らん

スピリチュアル系の願望実現ブログと思いきやそうでもない

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読者の方からメールで面白い記事を教えてもらいました。

ttp://chaos2ch.com/archives/3713558.html

私は上記のまとめサイトにあるように自分の頭が見えたりはしませんが、
周りの人や物など、風景全部が己の一部であるかのように感じる事は多々あります。

結局全ては自分なのでうんたらかんたらとなりますが、
この”自分”という言葉が厄介で、どうしても「特定の人格を持つ誰か」を
連想してしまいますよね。

そういうのとは少し違って、例えば夢を見ている場合、夢の中の風景や
登場人物は全て自分が創ったのですから、自分の一部であり、全体であるというわけです。
つまりアイデンティティが無限に広がった状態と言えるでしょうか。

しかし無限のアイデンティティも、熟睡してしまえば消えてしまいます。
消えると言うより、無限のアイデンティティの背後にあるものが湧き出てくる感じです。

この背後にあるものこそが、スピ系ぽい呼び方をすれば高次元存在とか言われてるもの
なんじゃないかと思うのですよね。
まあ私個人としての見解ではエイブラハムはハムで、バシャールは洗剤の一種だと
思いますけどね。

次元だ何だっつーとややこしい感じですけど、早い話が仮に円柱を真下から見ると
〇(丸)に見えますけど、その円柱が倒れたら棒状っぽく見えますよね。
三次元人なら立体の概念を知ってますから「円柱が倒れたんだな」ってわかりますけど
二次元人なら丸い物体が突然姿を変えたとしか認識出来ませんよね。

で、二次元人は恐らくもっともらしい理屈を並べて丸が突如として姿を変えた事を
解明しようとすると思います。

二次元人「丸が姿を変えたのは神の怒りである」「我々の潜在意識が具現化したのだ、
想いは強く願えば叶う」「違う、吉野家の侵略だ」「この現象を利用して復縁したい」
「丸いモンは丸いというブログを書く事にした」とか、ああだこうだ言い出した所で
三次元人からしたら「円柱が倒れただけやんけ」で終わりですよね。

しかし二次元人はそもそも「立体」「円柱」という概念自体が存在しないのですから
残念ながら三次元人の説明は意味不明なわけです。

話が少し脱線しましたが、我々は普段は自我という、あえて言うなら低い次元の中に
収まっているのです。
その中から脱出して、高次元に触れる唯一の瞬間は熟睡している時だと思います。

熟睡している時こそ、先の話に例えれば二次元人がどうしても理解できず、
三次元人は考えるまでもない「立体」という概念に触れる時であります。
「熟睡状態」には多くの源泉が隠されていると思う次第です。





で、一番最初に紹介した記事で書かれている事や、私の「全てが己のように感じる」は
何なのかというと、単なる病気で片付けて良いんじゃないでしょうか。
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私自身がUFOとか心霊現象とかのいかにもオカルトな奴や、陰謀論の類は
まるで信用してないので、このブログではあまりオカルトチックな話は
書かないようにしているのですが(と言いつつ十分オカルトだけど)今回は
少しオカルトチックでトンデモな話です。

前回も書きましたが「辻褄合わせ」があるからこそ思考や知覚が生まれる、
という事を踏まえていると、たまにちょっとしたオカルトな能力が発動する事があります。

と言ってもノストラダムスみたいに遥か未来の事を予言したりとか
麻原尊師みたく宙に浮くとかではなく、なんとなく予知能力というか、
異様に勘が冴える事があります。

競馬で馬が走り出した瞬間に頭に浮かんだ数字が当たり馬券とか結構ざらにあります。
調子の良い時には第1Rから最終Rまで、浮かんだ数字全てが的中した事が
あるぐらいです。この時は少し感動しました。

が、問題は私が浮かんだ数字の馬券を買っていない事が多いので、
どうかJRA職員の方がこれを見ていたら、レース開始から30秒後までの
馬券の購入を認めてください。

あとちょっとすごいのは、破けたはずのズボンが破けてなかったとか、
中出ししたのに彼女が妊娠しなかったとか(これは超能力関係無いな)
青いトランクス買ったのに黒になってたとかです。

まあ全て思い違いしてたとか何だとかで説明ついてしまいそうな気もしますが、
こういったトンデモ体験をしていると、結局は辻褄の合った事を取捨選択している
だけなのだなと感じます。まあ私がボケてるという可能性のほうが高いですけど。

で、何を言いたいかというと宇宙はホログラムだとか何だとかいうトンデモ説が
ありますけど、宇宙どころか全てを知覚している意識そのものがホログラムだったら
全ての情報がホログラムに同時に存在しているわけで、
その中から自我にとって最も辻褄の合う情報を取ってきているのかもしれませんね。

で、自我が幻であると認識していくと辻褄云々を気にしなくなるので
(辻褄とはあくまで”自我”にとっての辻褄なので)微妙なオカルト現象が
出てくるのかもしれません。

それを自我を通して見ると「超能力を獲得した」とか「超常現象を体験した」
感じるのかもしれませんね。

まあ結局は全部オマエの思い違いだろで済んでしまう話なので、
今回は役に立ちそうでまるで役に立たない話でした。
「思考が止まって自我から解放されたっぽいのに元に戻ってしまう」とか
「一難去ってまた一難という感じで苦しみが終わらない」という内容のメールが
多いのですが、結論としては「じゃあそういう事を考えるの止めれば?」となるのですが、
それが出来たら苦労しねーよと言われると思うので、今回は逆転の発想で
あえて思考を用いて思考を止める方法を書いてみます。

思考も含めて我々が知覚しているものは、全て一通りの辻褄が合っています。
「苦しい」という思考は、まず思考が湧き、それに対し「この思考は”苦しい”だ」と
辻褄を合わせる事で、初めて「苦しい」のであります。

結局、全ては辻褄を合わせる事で知覚しているとも言えますが、
逆に考えれば辻褄が合わなければ知覚出来ない、とも言えます。

なので思考を強制的に「止める」には湧いてきた思考に対し思考で返す、
辻褄の合わない状態にしてやれば良いのであります。

どういう事かと言いますと「苦しいわ、苦しいわ、何だかとっても、苦しいわ」という
思考が出てきたら、その思考に対し「御住所は?」とか「好きな異性のタイプは?」とか
「AKBについて一言」とか「ベンチプレス何キロ挙がりますか」とか辻褄の合わない「質問」を
投げかければ良いのです。

で、これに対し即答は出来ないと思います。
即答したらそれはそれですげえと思いますが、それは置いといて
即答出来ずに生じる瞬間の「間」が本来の自分を垣間見る瞬間です。

この瞬間だけは、苦しんでもいないし全てから解放されているはずです。
思考・知覚は単なる自我の辻褄合わせに過ぎない、と見破った時に、
苦しみは最初から無かった事を知るでしょう。

そして「私」という存在すら、単なる辻褄を合わせるために自我がでっちあげた
文字通りの虚像である事を知ります。
まさに「私は何処にも居ない」のであります。

以前も書きましたが、何かを求めて行う行為は絶対に分離からは逃れられません。
が、今回の記事は思考をあえて意図的に利用する事で、
強制的に分離する以前の「本来の私」に一瞬でも戻ろうというわけです。

今回の話のもう一つのポイントは、辻褄が合わなければ思考や知覚出来ない、
辻褄が合わないその瞬間こそ本来の自分が顔を出す、という事は
「本来の自分とは?」という疑問に辻褄を合わせた答えを思考で導く事は
殆ど不可能
という事の証明でもあるのです。






これで読者の皆さんもブログを開設して適当な事書いて「意味がわからないよ!」という
批判が来たら「辻褄が合わない事がスピ系の極意なんだよ!」という
言い逃れが出来るようになりましたね、おめでとうございます(?)
今回は全く面白くも何とも無い日記ですが、そろそろ老後の趣味を持とうかと思っていた所、
何故か急に中野浩一を思い出し、私も自転車海苔にでもなってみるかと
スポーツサイクルの専門店に行ってみました。

ロードバイクはさすがに敷居が高い、というよりあの派手派手しい
いかにも自転車海苔というコスチュームがなんか鬱陶しかったので
もう少し気楽に乗れるクロスバイクを取りあえず買う事にしました。

私「クロスバイク買いたい」

自転車屋の兄ちゃんが色々と説明してくれましたが、
私も大して人の話聞かないタイプなんで、わかったふりをしながら
「軽くて速いの頂戴」と言った所、兄ちゃんがカッチョいい海外メーカーの
クロスバイクを出してきたので即決。

スタンドやらライトやら鍵やら専用の空気入れやらも一緒に買って
大体18万ぐらいでしたが、クロスバイクって思ってたより安いんですね。

で、乗ってみたら速いの何のって。
今までママチャリしか乗った事のない私はちょっと感動しました。
このまま行くと公道最速を求めてロードバイクも買ってしまいそうです。

もしも大宮周辺でチャリンコで爆走してる変なオッサンを見かけたら
私だと思ってください。
だいぶ前に書きましたが、私は学生時代にボクシングやってたんですよ。
ボクシングに限らず格闘技って皆そうかもしれませんが、基本的に試合してる選手同士に
平等に時間は流れてないんですよね。

単純な例だと、キレのあるジャブとかをパッパッと出されてブロックするのがやっとの場合、
ブロックするほうはブロックの動作だけに必死に時間を費やしますが、
ジャブ出してる方はそのままジャブを出し続ける事も出来るし、
フェイント入れたりサイドに回ったりと選択肢が多くなるんですよね。
つまり片方がブロックという一つの動作を仮に1秒間で行うのに対し、攻めてる方は
同じ1秒でもその間に様々な動作を選択できる、時間を贅沢に使えるわけです。

まあこれ以外にも色々ありますけど、様々な要因の積み重ねで試合の流れってのは
作られていくわけです。

様々な要因で試合の流れが作られ、それに一喜一憂しているのは、
自我が確固たる存在を主張している場合と似ています(?)

様々な要因で時間が長く感じたり、短く感じたり、俺は幸せだとか不幸だとか
騒いでいますが、逆に言えば様々な要因が無ければ自我は存在できないのであります。

普通の感覚(?)だと自分(自我)が存在し、外から様々な要因が飛んできて
自由意志を持ってそれらを捌いていると感じますが、逆に様々な要因こそが自分で
あるならば、まさに自我は広大な海の中に起こる小さな波に過ぎない事が
わかると思います。

まさに自我とは世界の流れの中にある小波に過ぎません、
波には起きてから消滅するという時間の流れがありますが、海には時間の流れは
関係ありません。海と波に平等に時間は流れていない、というか海に時間が
無いのに対して、波は常に時間と自由意志があるという拘束の中で苦しみます。

様々な要因が流れてくるのに対して、反応する事で勝手に波が起こり、
ああでもないこうでもないと始まるのなら、流れてくるものが己であると
知れば良いのです。

そうすれば波は起きません、それどころか要因を経験する者が居なくなる瞬間が
訪れます。もはや要因を見る者も、それを経験する者も、それを観察する者
居なくなるのです、それが不生にして不死のあなた自身の本質です。






ちなみに私がいつも同じような事をややこしい表現で書いているのは、
決してパンチドランカーだからではありません。

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自己紹介:
かなりアバウトな性格の既婚平民

好物はすき家のチーズ牛丼・松屋のカレギュウ

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メールはsiranwa22☆yahoo.co.jpに
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