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知らんモンは知らん

スピリチュアル系の願望実現ブログと思いきやそうでもない

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だいぶ前も書きましたが、何かをコントロールしようとする欲求ほど邪魔なモノはありません。
そもそもコントロールしないと困るものなど無いはずであります、何故ならコントロールしようと
しているのは自我であって、それは自分ではないからです。

本当にコントロールしたいと思ってるなら、体の代謝やら胃腸の消化スピードやら
血圧なども自由にコントロールしたいと思っても良いはずですが、
その手のコントロール欲求というのはあまり見たことがありません。

結局、コントロールがどうこうと言っても自我の狭い範囲で知りうる範囲でしか
出てこないのであります。

そもそもよく見るとコントロールにすらなってないんですよね、
例えば「肥満の原因は血液が汚いから」とテレビでやってたら血液が綺麗になるようにとか
祈って、次の日に「肥満の原因は血液より部屋の空気が汚れてるから」と新聞で読んだら
空気が綺麗になるように祈って、「やっぱし肥満の原因てアンタがネガティブだから」
ネットに書いてあったら今度はネガティブを消そうとするのでしょうか。

これは自我の呟きに振り回されている状態です。
自我の呟きとは、本来は実体のないものですから、これだとラジオから聞こえてくる宣伝に
一喜一憂しているのと同じ状態です。ラジオ聞いてるだけで喜んだり悲しんだりしてる人は
明らかに変な人ですが、自我の呟きに対してだと何故か変だと感じないのは、それだけ
自我と自分を同一視してしまっているからです。

そんなちっぽけなモノに振り回されずに、もっと大きな不生不死のモノに
委ねてしまえば良いのであります。委ねるっつーと語弊がありますが、
その不生不死の存在は世界と表裏一体のものです。

自らが海である以上、何処にどう波が起きようが知った事ではないのであり、
海は波を好きな所には起こせません、その必要が無いからです。

ここまで読んで「それでは現世での利益みたいなものを諦めろっつー事ですか?」と
なるかもしれませんが、現世もクソも、夢の中では夢の世界は現世だと思っているでしょう。
現世も夢の世界もそれを経験している者にとっては現世以外の何者でもないのです。

つまり全ては主体と客体に挟まれた「経験者」から自我が生まれ、
ああだこうだ悩んだり苦しんでいるだけだとわかれば、
もはや起きてようが夢見てようが爆睡してようが全て同じです。
「経験者」は居なくなり、全てが自分となります。

あとはやりたい事があればやれば良いし、やりたくないならやらなければ良いのです。
というより経験者の行為ではなく世界(自分)が勝手に動くでしょう。

もうこうなると楽しいだけです、海からしたら自らの分身でもある「波」が
どのように動くのかを楽しめるのであります。





もしかすると現在の世界情勢からして、どっかの歯車が狂って人類の存亡を賭けた
三度目の大戦に来年あたりから突入するかもしれませんが、
それもまたエキサイティングで大変結構なのであります。

というのは冗談で、人類は今年の後半からとても幸福な世界を築くと思います。

上記の文章で不安になったり安心したりした方は、前述したように
ラジオから聞こえてくるCMで勝手に一喜一憂している人です。
勝手に一喜一憂している経験者の正体を見出しましょう。
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以前の記事でも「起きてる時と夢を見てる時と熟睡してる時は同じ」みたいな事を
書きましたが、最も真実(?)に近いのは熟睡してる時です。

熟睡してる時は、自我も思考もクソもありません。
これこそ本来の状態に極めて近いのですが、何故か我々は起きている時が
本体みたいに感じてしまうのであります。

なのでこの概念が引っくり返ればそれでOKというアバウトな話に
なってしまうのですが、 よく考えればスピ系で言われる「手放せ」なんて
夢から覚める度に誰もが行ってるはずなんですよ、なので「手放し状態」
本来なら当たり前なのであります。

去年ぐらいに見た夢で強烈に記憶に残ってるのが、
何故か私が夢の中で豹の顔をしたグインサーガみたいなオッサンと
京浜東北線に乗り、わけのわからない国に行ってマシンガンでドンパチやるという
ファンキーな夢だったのですが、そこで(夢の中で)攻撃してきた少年兵みたいな
子供に対し、豹のオッサンが反撃を指示したので私が撃ち殺したわけですが、
何故か豹のオッサンが「オマエ、やり過ぎだろ!!」といきなりキレて、
私が何か言い返した所で目が覚めたのであります。

目が覚めれば夢の中で撃ち合いしてた緊張感も無く、子供を撃ち殺した罪悪感も無く、
何事も無かったかのように起きますよね。

つまり「手放す」なんて殆どデフォルトに行えるはずなんです(でも理不尽にキレた
豹のオッサンには今も少しムカついてる)これはやはり「経験者」である私は存在しない、
という事に気付くしかありません。

実際マシンガンで戦ってた「私」は何処にも居ないわけです。
なので居ないはずの「私」が経験したり記憶したり感じたりした事は全て幻です。
起きてようが夢を見てようが同じです。

何故なら夢から覚めると夢の中の出来事を全て手放すのと同じで、
眠りに入る時は起きてる時の出来事を全て手放すからです。

全てはスクリーンに写し出された映画のようなものです。
いつでも熟睡という状態に入る事で映写機側に回れるのです、
それは誰もが意識せずにいつも行っている本来の状態なのです。
その常に在る本来の状態に戻れば良いのです。







余談ですが今回の記事を書いている途中にゲームクリエイターの
飯野賢治さんの訃報を知りました。

正直言って私は飯野さんの作ったゲームは、飯野さんがゲーム雑誌に
出てきた当時から大して面白いとは思いませんでしたが、
学生時代に友人と「エネミーゼロ」を攻略したのは良い思い出です。

ご冥福をお祈り致します
主体と客体を越えた所に「私はいない」とか「自由意志は無い」とかの
次元(?)があるかもしれないのですが、これは正直文章で書くのは難しいです。

しかしこの辺に関するメールも多いので改めて書いてみますが、
まあこれはあまり深く考えなくて良いんですよ。

ちょっと苦しい例えになるかもしれませんが、今、世間ではデフレ脱却とか
インフレ起こすぜとか騒がしいですが、お金ってのは物価が安くなれば価値が高まるし、
物価が高くなれば価値は減りますよね。

つまりお金ってのはたくさん持ってると良いって価値観は実は幻で、
その価値は変動する物価によって簡単に変化してしまうのであります。
お金そのものに価値を置くか、その裏側に流れているものに
注意を向けるか
の違いであります。

もっと言ってしまえばお金そのものに実体みたいなのは無いんですよね、
まさに単なる紙切れです。

個人的な見解だと、何となく貧乏そうな人ほどお金そのものに価値があると
思い込んでいる傾向があるように見えます。
まあこれは完全に独断と偏見なんでどうでも良いですが。

話が逸れたので金の話はここまでにして、度々お勧めしているダグラス・ハーディングの
著書「今ここに、死と不死を見る」でも紹介されている話ですが、
鏡か何かに自分の顔を映してどんどん近付いていくと最終的に自分の顔は見えなくなり、
何も見る事は出来なくなります。

つまりここで言いたいのは、お金の価値と同じく「私」というものも
鏡に映した自分との距離等といった様々な要因によって初めて「私」が
作られる
という事です。

恋人や友人の写真とかもPCで思いきり拡大したら何が何だかわかりませんが、
適切なサイズにする事で初めて「恋人」や「友人」が現れます。
世界とは結局「在るけど無い」と「無いけど在る」が様々な要因次第で
如何様にも現れる漂う煙
のようなものです。

思考や感情も煙のように形を変える不確かなものです。
ゴキブリ大嫌いな人に真っ黒い画面を見せても何も感じないでしょうが、
画像を縮小してそれがゴキブリの画像だとわかればギャーギャー喚くでしょう。

自我に関しても起きている時は在るように感じますが、寝ている時は
在りません。これまた「在るけど無い」「無いけど在る」ものです。

しかし自我は強烈に「在る」と感じられるので、それに付随する思考や感情も
「在る」と感じられてしまうのです。こうして世界は主体と客体に分離され、
戦争が始まるのです。主体と客体に挟まれた自我(経験者)は戦争によって
ボロボロに傷付き、悩み、苦しみから決して逃れられないのであります。

この終わり無き戦争を終結させるのは核兵器でも無ければ憲法九条でも無く、
主体と客体自体が実は存在しない事に気付く事です。

あらゆるものが煙のように不確かなものだとわかると、
別に手放すとか何だとか頑張らなくても勝手に手放してしまいます。
「実は実体が無い」ものをいつまでも持っててもしょうがないからです。
カッコ良い言い方をすれば「今」と握手して仲直りする事です。

しかし全てを手放しても、最後には言葉による理解を超えたものが残ります。
それが主体と客体を超越した何かです。
超常現象は存在するのか否かというメールを頂きましたが、
超常現象が存在するかどうか以前に、超常現象が起こる条件と
いうものが存在します。

それは主体と客体が無ければならないという事です、
つまり見るものと見られるものですね。

見るものと見られるものが無いと、超常現象に限らずあらゆる現象は
現象として出てこれません。話が少々飛びますが自我、思考、感情、
そして自由意志も全て主体と客体の狭間に存在するかのように見える幻です。

本来の自分とは「主体と客体を構成する一つ」であります。
見ているもの、そして見られているものを現象として創造しているものが自分です。

物質として見えるもの以外でも、思考や感情も主体と客体が無ければ出てきません。
結局全ては主体と客体という分離ではなく、それらを構成している一部でしか無いのです。

主体と客体の統一に目覚めるとどうなるかっつーと、別に変身したりするわけでもなく、
何も変わりません。そもそも何かに「なる」、変身するという現象自体が主体と客体の
分離によるものです。そうではなく月も太陽も空も風も海も、大袈裟に言えば宇宙も、
全てが一つであり、カッコ良く言えば「何者でもないが何者でもある」状態であります。

後は全てが勝手に動きます。自我から見れば自分が選び、
自分が行動していると感じるでしょう。
しかしそれは魚が自分の意志で泳いでいると感じているだけで、
結局は海に泳がされているのに気付いていないだけです。

では我々は大海に漂う木片に過ぎないのでしょうか?
違います、もはや漂うものなどありません。
主体と客体が消滅した時、全ては外側ではなく内側だったと気付くのであります。
つまり漂うもの自体が「いない」のであります。

楳図かずおの漫画「14歳」のラストで主人公が「僕たちの宇宙は虫だった!」
気付く場面がありますが、まさにあなたは虫であり全ては虫の内側に在るのです。

そのためには自我が演出する主体と客体というまやかしを見抜かなければなりません。

今回は話が飛びまくって超常現象云々が明後日の方向にすっ飛んでしまいましたが、
結局の所、超常現象は主体と客体という「まぼろし製造機」の中でしか存在できないので、
あると言えばあるし、無いと言えば無いのです。
どちらも正しいという事ですね。

ちなみに今回ちらっと触れた楳図先生の「14歳」ですが、ササミから
ニワトリの顔したオッサンが生まれたと思ったら大統領の子供の名前が
アメリカだったり、クローン人間に殺し合いのプロレスさせたり、外宇宙から来た宇宙人が
地球人を強姦しまくったり、世界中の子供たちが恐竜みたいな宇宙船に乗って旅立ったと
思いきや人類滅亡後の地球でゴキブリが会話してたりと、
何を言ってるのかサッパリわからないと思いますが、本当にそんな漫画なんで
興味のある方は読んでみてください。
実は2月に入ってから結構ヒマこいてるんで、今さらながらパズドラをやってみたら
思ってたより面白くてかなりハマってしまいました。
というわけで今日からこのブログはパズドラ攻略ブログになりました、
今まで応援ありがとうございました。

攻略サイトとか見てたらレアなモンスターが欲しくなって
気が付くと課金してたんですが、課金しなくてもゲーム自体は
そこそこ攻略出来てしまう所がバランス良く作ってありますね。

ちなみにお目当てのレアモンスターは十回ぐらい念を送ってガチャを
引いたら出てきました。潜在意識にお願いすれば一発で出てくるはずなんですが、
潜在意識はレアガチャには通用しないという衝撃的な結果が出てしまいました、なんつって。

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自己紹介:
かなりアバウトな性格の既婚平民

好物はすき家のチーズ牛丼・松屋のカレギュウ

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