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知らんモンは知らん

スピリチュアル系の願望実現ブログと思いきやそうでもない

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メールで様々な不安を訴えてくる方も結構いますが、
対症療法的に何やかんや言っても結局根本的な解決には
なかなか結び付かないようであります。

私はメールに返事を書くときは普段ものぐさな分、
かなり気合を入れて細かく書きます(多分)
そうしないと何か申し訳ないような気がしてしまうからです。
それが却って対症療法的な感じになってしまうようであります、
改めて自分の性格の良さを恨みます(?)

話を戻しますが、不安というものは結局関連付けるから不安になるのであって、
だったら関連付け無ければ良いのです。

無意識に自我は様々な事を関連付けています。
それは腹が減ったのでメシを食うといった事から、
明日までにいくら用意しないと大変な事になるといった
深刻なものまで様々です。

これらを止めれば良いのであります。実に簡単な話です。

で、ここでループするパターンが「では空腹でも仙人のように死なないのか」
なる事です。

ただ単に腹が減ったらメシを食うという関連付けを止めてみよう、というだけなのに
何故か「空腹でも仙人のようにどうのこうの」は新たなる関連付けです。
というより話飛びすぎです。

シンプルに言うと「ただ起きた事を観る」 まさに最近話題に出た瞑想であります。
瞑想しながら活動しているのか、はたまた活動が瞑想なのか、
まさに瞑想と活動はルビンの壺の如く表裏一体であります。

不安の全てが、何処にもいない自分を気遣う事から生じます。
何処にもいないのですから、いくら気遣ったって何もくれません。
新たな不安が出てくるだけです。

不安や絶望は様々なものに関連付ければいくらでも出てきます。
「何故、毎日祈ってるのに良いことが起きないのか?」
「何故、毎日愛を送ってるのに何も起きないのか?」

関連付けているからそのように不安になるのです。
大体愛を送るって何処に送ってるんですか、X星人とかガミラスとか
バッフ・クランとかに受信されて宣戦布告と勘違いされると困るのでやめてください。

極端な表現ですが、苦しみや痛みを見て喜び、愛や祈りを見て馬鹿にする事が
受け入れられないのは分離であります。
これらの表現が受け入れ難いと感じるのは、
存在しない「私」に気遣いしているからです。

分離が関連付けを生み、そしてまた新たな関連付けを生み出します。
その関連付けから生じた不安や絶望を一時的に癒すために、
愛だの神だの口当たりの良い言葉をまたも関連付けるのであります。
これはまさに悲しい一人相撲です。

という事はどうすれば良いのでしょうか?
答えは既に出ています、存在もしない「私」への気遣いを止める事です。
存在もしないものに気を使うのではなく、前から在った本当の自分に
気付いてあげるのが、クサイ言い方をすれば真実の愛であります。
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最近、どういうわけかメールが大量に来て、私自身もヒマだったので
珍しく返事を書いたりして少々更新に間が空いてしまいました。
まあ特に更新を心待ちにしている人も居ないでしょうし、これからもマイペースで行きます。

で、「ごく普通の日常生活を送っていて、トントン拍子に話が進む人と、
ごく普通の日常生活を送っていてトントン拍子に話が進まない人とは
どこが違うのでしょうか?」
というメールを頂きました。

どこが違うのでしょうか?と言われても特にありませんが、
強いて言えば祖父やオヤジのコネあまり世界に執着しない事でしょうか。

少し話が飛びますが、自我にとっては普段の日常生活は「起きている」状態と
認識していますが、実際は寝ている、あるいは一種の催眠状態にあるとも言えます。

これは「夢」で例えるとわかりやすいです(多分)
夢を見ている時も、夢の中では「自分は起きており」「様々な事を考えている」はずです。
夢の中の登場人物も、あたかもそれぞれが独自の意志を持って活動しているように
感じているはずです。

これと同じことが自我にとって「起きている」状態にもそのまま当てはまります。
自分の住んでいる場所、職場、そして世間で色々な事が起こっており、
多くの人々が生活しています。
そしてそれらは全て独立した出来事、人物であると感じているはずです。

しかし、夢の世界はどこまで行っても実体の無い夢であると同じように、
自我にとっての世界も実体の無い世界であります。
それがどんなに実体を伴っているように見えても、です。

なので全てが実体の無いものなら特に執着もしません。
あるのは楽しみであり、喜びであり、幸福感しかありません。
夢の中で突拍子も無い事が起こるのと同じで、自我にとってのこの世界で
突拍子も無い事が起きても良いのであります。

しかし何故か自我は理屈が通らないと納得しないので、ここでまた
分離が始まるのであります。

もしかしたら夢の中でも「理屈が通らない」と悩んだ夢を見たことがあるかもしれません。
しかしそれは夢であり、悩んでいるあなたは何処にもいません。
悩むような事柄もありません。もっと言えば、何もありません。
しかし確実に「存在する何か」はあるはずです。
何人かの読者の方から某まとめサイトに掲載されている
2ちゃんねるのスレッドを教えてもらいました。

瞑想やれよ人生変わるぞttp://blog.livedoor.jp/kinisoku/archives/3582934.html

私はすぐに爆睡してしまうので瞑想の類はやったことないですが、
早い話が瞑想は思考を観察し、自我を沈める効果があるようであります。

まあ思考っていうのは頼んでなくても太陽が地面を常に照らしているのと
同じで、頼んでなくても泡粒のように次から次へと出てくるモンなんですよ。
なので出てくるに任すと良いと思います。

思考とは面白いもので、ただ座ったり寝たりしているだけなのに
必死に心配事や悩み事を探してくるものです。

その心配事や悩みは何処にも無いし、起きてもいないものなのに
必死にアピールしてくる思考は非常に滑稽ですらあります。
思考の中にしか、「私」は存在しません。思考は必死に「私」を
アピールするでしょうが、それを面白おかしく感じてしまうモノが
我々の本質なのだと思います。

というわけで私も瞑想やって人生を変えたいと思います。
「内も外も無い」とは早い話が「線(ライン)」を引かないという事であります。

簡単な例をあげますと、「私は痩せているから太っている人では無い」と
「痩せ」と「デブ」に線を引きます。
これで「痩せ」は私であり「デブ」は私では無い、となりました。

しかし「痩せ」の中にも様々なタイプがあります。
ガリガリだったり、スマートだったり、ひょろ長いとか色々ありますが、
「私はスマートである」と思えば「スマート」と「ガリガリ」「ひょろ長」に
明確なラインを引き、「このラインからこっちが私である」と認識します。

これは痩せとかデブとか、ブスとか美形とか、馬鹿とか賢いとかだけではなく、
「私は有機物なので無機物ではない」というように大きなグループにラインを引いて
区別する場合もあります。

目の前に机があれば「目の前にあるのは無機物であり、私はこっち側(目の内側?)で
ある」とやはり明確なラインが引かれます。

基本的に、無意識に引いたラインに対し、自分が属していると思われる側に
含まれるモノは好ましく感じる傾向があります。
反対に属していないものが侵入してくると不快感や不安を感じます。

「イケメン男子の会」に私が入っていっても違和感なく受け入れてくれるでしょうが、
不細工な男性読者の皆さんが入っていくと微妙な空気になるのと同じです(?)

まあそれは冗談として、例えば人間社会にいきなりクマが現れたら
普通は排除するか捕獲して追い出そうとします。
「我々は人間社会に属する人間である」という認識・ラインを超えて、
「人間以外のもの」であるクマが侵入してくるのは「人間側」に属すると
思っている連中には非常に不快、不安が生じてしまうからです。

まあそれだけ我々は無意識に様々な物事、概念に対し「こっち側は私」
「向こう側は違う」とラインを引きまくっている
ということですね。
日常生活レベルでもそうですし、大きな視点でもやはりそうです。

で、「内も外も無い」とはこのラインが消失した状態でもありますから、
様々なラインに気付いていけば良いのです。

そして前述したように不快・不安とは「私のサイド」と思っているものに
「向こうのサイド」が”入ってくる”と認識する事で生じるわけです。
「健康」側に居るはずと思っている「私」に「風邪」が侵入してくると
「私のサイドに属さない異物が入ってきた」と認識するので
苦しみが生じるのです。

という事はラインが消失すると、不快・不安から解放されるという事であります。
「風邪」が侵入してきても「健康」側には誰も居ないので不快も不安も生じません。
そもそもラインが無いので「風邪」が侵入するという概念自体が消失します。
なので「風邪」を”ガマンしろ”という意味合いではありません。

こうして健康でもなく、風邪でもない「どこにも属さない何か」
不快や不安から脱出しました、というより最初からそんなもの無かった事に
気付きました、おめでとうございます。
「引き寄せ」とかの言葉には非常にある種神秘的な響きがあり、
どうもこの言葉の響きが曲者のようであります。

私自身のここ最近を振り返ると、金銭的な面では三ヶ月連続で
3~40万円ぐらい、トータルで120万円ほど引き寄せました。
また、引越しもしましたが希望通りの部屋と敷金礼金とかも安く済みました。
そして数年前の話ですが1000万円ほど引き寄せました。
金銭面以外でも彼女の生理が来なくて焦ったけど無事に生理が来たとか色々書こうと思えば
書けますが、特に面白くもないので割愛します。

こんな風に書くと「どうやったんですか?」とか「法則はあるのですか?」
なると思いますが、何の事は無い、三ヶ月連続でお金が入ったのは
ただ単に競馬で当たっただけです。

三回のうち一回はデカイ万馬券を当てた事は当てましたが、残りの二回は
配当が2・5倍とか3倍のカタイ奴に10万ちょい突っ込んだだけです。

引越しの件は、不動産屋のオッサンが私の亡き祖父の知人だったので
そのよしみで色々良くしてくれただけです。

数年前の1000万円は、私のオヤジが持ってた株を色々あって
貰う事になって、それがたまたま上がったので売っただけです。
はやい話がいい歳こいてパパからお小遣いもらったようなもんです。

自分で書いていて何ですが、自分が祖父とオヤジのコネ頼みの
完全なボンクラではないかと改めて実感しました。

が、それは置いといて「引き寄せ」のネタバレ(?)なんてこんなもんです。

確かに自我からすればホイホイ叶った、あるいはトントン拍子に進んだと
思いますが、昨日も書いたように「内も外も無い状態」だと、
語弊のある表現ですが特に感動もありません。
ごく普通の日常生活を送っていただけです(まあこれらの事をメソッド的に書くと
かなりの分量を書けそうな気もしますが、ボンクラなので書きません)

もちろん嬉しいとか良かったとかラッキーだったとかはあります。
ありますが、それらは単なる波であって海には関係ありません。
海から見ればあそこでビッグウェーブが起きてるなぐらいのもので
それ以上どうこうというのはありません。

どのような波が起きても、海は決して傷付きもしないし破壊もされないからです。
波は海の一部だからであります。
得るものも無ければ失う物も無いのです。
夢の中で何かを持っていても、夢から醒めたらそれを得たとも思わないし、
失ったとも思わないのと同じです。全ては同価値になってしまうのであります。

ここまで読んでちょっとがっかりしたとか、何か梯子を外された気分だとかに
なった人は、恐らく「引き寄せ」でも「おまじない」でも何でも良いですが
それらが「劇的に変えてくれる」事を期待していると思われます。

それは裏を返せば「劇的な事が起こらなくては変わらない、変えられない」
思っているわけです。

何故、劇的な事が起こらなければならないのでしょうか?
一体誰が決めたのでしょうか?
自問してみて下さい。

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かなりアバウトな性格の既婚平民

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