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知らんモンは知らん

スピリチュアル系の願望実現ブログと思いきやそうでもない

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スピ系の情報はネットの普及により文字通り溢れんばかりに有りますが、
多くの知識を詰め込んでもクソの役にも立たないのがスピ系の特徴(?)でもあります。

結局はこの手のものは自分自身が「それ」にならなければ本来の意味は伝わりにくい所が
あります。ブログや書籍だと、どうしても伝える人と伝えられる人という分離を前提として
書かなければならないので、結局は情報の受け手側が気付いていくしかないと言えば、
やはりそれしかないのであります。

例を挙げれば、すき家について膨大な知識を持つ人と、すき家になってしまった人では
雲泥の差があるのです。
この「なってしまう」がポイントなのです。

そのためには前回も書きましたが、分離を生み出す「私」の正体を見抜き、
「私」と「すき家」ではなく、「すき家」しかない世界を垣間見るしかありません。

が、しかし。ここが文章で書くと難しい所なのですが、「なってしまう」という表現だと
今度は「やはり私がなるのだ」と思いがちです。
そうではなくて最初から「なっていた」事に気付くという事です。
「なっている」事が前提で「私はまだすき家になってない、それどころか吉野家にもなってない!」と
嘆くのは順番が逆です。

どうして世界が自分にならないのか、それは「私」が理屈付けを止めないからです。
じゃあ何で理屈付けをする必要があるのか、何のために?そこにポイントがあります。
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何か昨晩は首都圏にもドカ雪が降ったようですが、私は昨日は夕方の5時ぐらいから飲んだくれて、
7時過ぎには帰宅して即効で寝ていたので全然知りませんでした。

もしかしたら今日の朝方は路面が凍結しまくりで、かなりビビッた方も多く居るのではと
思われます。

ところで何故路面が凍結しててビビるかというと、「コケるかもしれない」とか何だとか
色々思うからであります。本来は世界が自分なので、別にビビる必要は無いのですが、
何故かこのような思考が入って来て、それに振り回されるのが実状であります。

本来「自分「や「私」は居ないのですから「コケるかも」とかの思考は
語弊がある言い方ですが、異常なのです。

雪とか氷とか路面が在るだけで「コケるかも」と思うのは、街で綺麗なネエチャンが
歩いてるだけで「ヤレるかも」と思うのと同じです。
コケる「私」は居ないですし、もちらんネエチャンとヤレる「私」も居ません、残念でした。

「~が出来る(かも)」という思考は、その場に吹いている風のようなもので
何の力もないし何の実体もありません。過ぎ去っていく風に、いちいちああでもないこうでもないと
言ってもしょうがありません。
極端に言えば「死」もやはり過ぎ去っていくものであります。

過ぎ去っていく風に気を取られずに、在るがままに在れば、結局は何もする必要はありません。
路面が凍っていようが煮えたぎっていようが、「それ」があなたなのですから
別に弄り回す必要は無いのです「凍っているから~しよう」「煮えたぎっているから~しないと」と
いう思考は「それ」と「私」を分離する事になってしまいます。そしてまた幻想の「私」が
苦しみ続けます。

ある時はポジティブになり、ある時はネガティブになり、ある時は考え方を変えたり、
ある時は別のメソッドや別の書籍を読んだり、結局やってる事は「私」が「~しよう」を
繰り返しているだけです。

何故か?繰り返したいから繰り返しているだけです。
「でも、私はこの現状を何とかしたいんです!」と思うかもしれませんが、
だったら「私は」が実在せず、在るのは「現状」だけだと気付けば良いのです、
もっと言えば自分とは「私は」ではなく、現状そのものであるとわかれば、
別に変えようとか思わないし、変わる必要もない事に気付くでしょう。

前も同じ事書きましたが、怪物と「私」が居れば、「私」の方はコイツグロいとか
どうにかせえとか色々思うでしょうが、怪物自身なら別にグロいと思わないし、
どうにかしようとか思わないのと同じです。

そもそも怪物には「怪物グロい」という思考は絶対に生まれないはずです、
本来絶対に生まれないはずのものが生まれ、それが主導権を握っているという時点で、
やはり前述したようにそれは異常なのであります。
だいぶ前ですがこの記事で紹介した「過去にも未来にもとらわれない生き方」
いつの間にか絶版になっていたのですね。

去年の秋口ぐらいまでは新宿の紀伊国屋に一冊だけあったような気がするのですが、
これはスピリチュアルだの悟りだのは置いといて、かなりの良書だと思うので
是非再版して頂きたい本です。

今でもたまに読み返しますが、以前は理解できなかった部分が理解できたり、
新たな視点に気付いたりと非常に多くのものを得ることが出来ました。

新宿紀伊国屋本店は、店員のネーチャンも綺麗な娘が多く、書籍も専門書からコミックスまで
何でも揃うので、新宿に立ち寄ったら是非行ってみてほしい場所の一つです。
私もよく利用しています。

ちなみに以前紹介したもう一冊の本「今ここに、死と不死を見る」は現在も購入出来るようですが、
こちらは前にも書いたように、とにかく訳がド下手読みづらい本なので、
かなり好き嫌いが分かれる本だと思われます。

アマゾンのレビューにも書いてありますが、禅の影響が強く出た本なので、
禅を知らない人はかなり読むのに苦労するかもしれません。
私も最初に読んだ時はゼンゼンわかりませんでした。
チャネリングがどうのこうのというメールを頂いたんですが、
チャネリングっつーのは、どうなんでしょうかね。

なんか高次元の存在だか何だかとお話するというものらしいですが、
「引き寄せの法則」に登場するエイブラハムとかがそうですよね。
他にもシルバーバーチとか、洗剤みたいな名前のバシャールとか、色々いるみたいです。

どういうわけか彼らは人類に有益と思われる情報をバシバシ発信してくれる
実に気前の良い存在らしいです、そういやチャネリングでメチャクチャに悪い奴が
降臨したっつー話は何故かあまり聞きませんよね。

私はチャネリングとかは全くまるきし信じていません、というより興味もありません。
もちろん、チャネラーと言われる人達がインチキだとか嘘をついているとか否定する気も
毛頭ありませんが、はやい話が強化版コックリさんみたいなものだろうと勝手に思っています。

個人的にはチャネラーの皆さんがポケモンバトルみたいに「エイブラハム、君に決めた!」とか
言って、壮絶高次元存在バトルとかやってくれないかなとか密かに思ってるんですけど。

エイブラハム対バシャールとか、男のロマンが掻き立てられます。
最近「私」の存在など無い、という事に気付くべし的な事を書いていますが、
「私」が居なくなれば今まで「私」視点で見てきた世界は無くなります。

両親も、友達も、恋人も、隣の家のハゲオヤジも、居なくなります。

それらは全て「私の」両親とか、「私の」家の隣に住んでるハゲ、とかなので
「私」が居なくなると、それらはいなくなってしまうのです。

と言ってもいきなり世界が爆発して無になるとかではありません。それら全てのものが
「私」を超えた大きな「私」として感じられるようになります。

少し話が飛びますが「これは引き寄せでしょうか?」的な概念も無くなります。
何故なら「私」が引き寄せている的な概念が無いからです。

ナントカメソッドやら何やらを難しくしている最大の要因は
「私が」それを行うのだという思い込みです。
「私」には何の力もありません、そもそも存在しないものに力を与えるのは無理な話です。

「私」を通してメソッドをするのではなく、メソッドそのものが、イコール私なのです。
幸せだとか不幸だとかの概念は、「私」を通して幸せとか不幸ではなく
それそのものが私であります。存在しないものをわざわざ存在するかのように認識し、
いちいちそれに検問させる必要はありません。

かわいい女の子の隣に自分の顔が写っている写真は見てて嬉しいかもしれませんが、
かわいい女の子の隣に自分以外の人の顔が写っている写真は不愉快かもしれません。

自分の顔と思っているものや、他人の顔と思っているものに入れ替わるだけに過ぎないのに
何故嬉しくなったり不愉快になったりするのか。

ここに存在しないのに存在するかのように振舞う検問の正体があります。

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