忍者ブログ

知らんモンは知らん

スピリチュアル系の願望実現ブログと思いきやそうでもない

HOME • Admin • Write • Comment
前回の記事はどういうわけか読者の皆さんから大変な反響がありました。
面白いのは頂いたメールの内容が「大変に大きな気付きを得てハッピー、ウヒョー」という内容と
「もう絶望です、死にます、さようなら」という内容が半々だったということです。

願望に関わらず普段から様々な思考や感情が湧いてくると思います。まあ願望云々も
一種の思考であるとも言えるかもしれませんが、とりあえずそれは置いといて
本来は思考や感情と「私」は別物であります。

という事は願望は勝手にそこに浮かんでいるだけのものであって、「私」とは何ら関係の無いもの
であります。つまりあっても良いし無くても良い、別に困らないのです。
願望が必要なもの、大切なものと認識してしまうと、ちょっと嫌な事を思えば「こんな事思ってちゃ
叶わないわ!」とか言って必死に打ち消し、良い事があればこれまた必死になって大袈裟に賛美し、
結局同じ所をグルグル回っているだけです。

前も似たような事を書きましたが、「私」が消えたから「ではこれを利用して叶えてどうのこうの」
となる思考が既にどこかおかしいのです。

「私」がいないのだから「私の願望」という属性のものは無いはずです。
願望みたいな属性を持つ思考は浮かんでくるかもしれませんが、それはただ単に浮かんでいるだけで
あって、「私」の大切なものでは無いのです。

ですから放っておけば良い、というか放っておくしかないのであります。
放っておけないのは、それが「私」にとって大切なものだという誤解から来ているだけなのです。
PR
願望の実現をどうのこうのと言うと、どうしてもコントロールの欲求が出てきます。
コントロールをしたいという欲求がある以上、常に世界と自分は分離したままです。

前も書いたと思いますが、世界と自分の一体化を体感してから陥りやすいのが
「ではこれを利用して色々叶えよう!」という欲求であります、
これでは結局世界と、それを動かそうとする自分という事になり、
元の木阿弥に終わるでしょう。

コントロールを放棄するのはどうすれば良いのか?
少々逆説的な言い方になりますが「全部要らない」と宣言してしまうことです。
お金が欲しいと思っているなら「お金要らない」
恋人が欲しいなら「恋人要らん」(風俗で十分だ)
その他にも欲しいと思っているものを全部「要らない」と宣言して捨ててしまう事です。

そうすると、今まで自分を縛ってきたものから解放されます。
いかに今まで自分を縛りまくってそれらに振り回されて来たかわかると思います。
ダイエットがどうのこうのと思っているなら、思いきって「身体も要らん」と宣言しても
良いかもしれません、

縛りを取った先に、何が残るでしょうか。
欲求も、身体も、何もかも要らない、必要無いと宣言すると
もはやそこには見ている対象と見られている対象すらありません。

やるべきことはこれだけです。
非常にシンプルですが、猛烈なコントロールの欲求が本来の在り方を曇らせてしまっているのです。
このブログでも何度か書いてますけど「全部受け入れてどうたらこうたら」っつーのも
大変に誤解される表現の一つですよね。
「何でもかんでも受け入れる」というと艱難辛苦に耐えて耐えて耐えまくるみたいな
私が子供の頃にやってたテレビ番組「ザ・ガマン」みたいなイメージになってしまいますが、
別にアホみたく我慢する必要はありません。

例を挙げれば、自転車に乗ってどっか行くときに、「足の筋肉が疲れちゃう!」とかは
あまり思いませんよね、長距離を走るとか山を駆け上がるとかなら別ですが、駅前までチャリで
向かってる時に「足の筋肉かわいそう!でも私は全て受け入れるわ!」とか思ってたら
これは駅前ではなく病院へ行った方が良いと思われます。

チャリを漕ぐには足の筋肉が疲れる、というか多少筋肉を使うのはごく当たり前な事として
受け入れているはずであります、「受け入れる」とはこの程度のものです。

この前も書いた愛がどうのこうのと同じで、スピ系の表現はとにかく大袈裟なイメージで
取られる事が多いです、やはり文章や言葉にする難しさというものを感じます。

ポイントというか、受け入れるコツみたいのは、チャリで足の筋肉が疲れるという事は
すんなり受け入れられるのに、預金残高が500円とかで「私もう死んじゃう!」とか
大騒ぎするのは何故かという事であります。

受け入れるのではなく、受け入れてしまうのです、というより勝手なジャッジを
勝手にやって勝手に大騒ぎしているだけで、本来は何でも受け入れているはずです。

”開かれた”状態になってしまえば受け入れるしかなくなります。



というわけで私の口座はいつでも開かれているので、皆さんもどんどん壺でも買って
下記の口座にお金を振り込んでくださいね。

なんつって
気が付いた方もいると思いますが、このブログからリンクを張っていた
「いし」さんのブログ「石に花咲く」は「いし」さんから、
ブログを消したのでリンクを削除して欲しいとのメールを頂いたので
削除いたしました。

で、今回また別の方からリンク希望のメールを頂き、新たに「心の旅人」さんの
ブログ「奇跡が日常!完全な安心と豊かさを生きる」をリンクに追加させて頂きました。

なんか飲み屋でオヤジがダベってるような雰囲気になりつつあるこのブログと対照的に、
何だかやたらと爽やかなブログです。

奇跡が日常!だとそれはもう奇跡とは言わないんじゃないかとか思いましたが、
それは野暮ってモンですね。
最近、読者の皆さんからのメールが何故か急増しました。
内容を見てみると、やっぱり愛だの何だのという表現で引っ掛かってるぽいですね。

前も書きましたけど、スピ系ってやたら「愛」とかを強調したような言い回しを
する人とか書籍が多くて、どうしてもそこからイメージされるのが、お釈迦様とかキリストとかの
聖人君子
になっちゃいますよね。

実際はいかに気付きを得ようが何をしようが突然聖人君子にはなりませんし、
いきなり人格が磨かれることも無いでしょう。
私はと言えば相変わらず人格者とは程遠い普通のオッサンです。

ただいわゆる自分勝手な言動は自然と減っていくので、周りからは
「あの人は良い人」みたいな評価は得られるかもしれませんが、
別に超絶人格者みたいにはなりません。

殴られれば殴り返す事もあるでしょうし、罵声を浴びせられれば罵声を返すこともあるでしょう。
しかし、それらの行為に付きまとう感情や思考が自分とは関係無いという認識にあるだけです。
前も書いたと思いますが全部フラットに感じる、観れるという事です。
ぶっちゃけて言えば全部平等というだけです。

読者の皆さんも現在彼氏や彼女とラブラブ、あるいは家族を愛しています、という人は
多々いると思われますが、彼女が好きで隣の家のオバハンも同じぐらい好きという人は
あまりいないでしょう、つまり好きという「感情」と全部を平等に感じる「愛」は明確に
別物なのであります。


ですからスピ系で愛とか何だとか出てきたら全部フラットに感じましょう的に捉えたほうが良いかも
しれません。最終的にはもしかしたらマザー・テレサみたいな婆さんになってしまうのかも
しれませんが、別にテレサ婆さんを目指す必要も無いですし、「私」が居ないからこそ
全てが勝手に平等に感じられるようになる、
「彼女が好き」とかの感情と
「愛」は明確に違うのね、程度に思っていれば良いと思います。





まあ私は今の彼女も好きですが、隣のマンションに住んでる女子高生も好きです。
しかしこれは平等な「愛」なので浮気ではありません、多分。

カレンダー

06 2026/07 08
S M T W T F S
1 2 3 4
6 7 8 10 11
12 13 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31

フリーエリア

最新コメント

最新トラックバック

プロフィール

HN:
知らん
性別:
男性
職業:
食う寝る遊ぶ
趣味:
超合金魂
自己紹介:
かなりアバウトな性格の既婚平民

好物はすき家のチーズ牛丼・松屋のカレギュウ

合体と恐竜は男のロマン

メールはsiranwa22☆yahoo.co.jpに
☆を@に変えてお願いします

バーコード

ブログ内検索

P R

アクセス解析

Copyright ©  -- 知らんモンは知らん --  All Rights Reserved
Design by CriCri / Material by もずねこ / powered by NINJA TOOLS / 忍者ブログ / [PR]