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知らんモンは知らん

スピリチュアル系の願望実現ブログと思いきやそうでもない

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最近「私」の存在など無い、という事に気付くべし的な事を書いていますが、
「私」が居なくなれば今まで「私」視点で見てきた世界は無くなります。

両親も、友達も、恋人も、隣の家のハゲオヤジも、居なくなります。

それらは全て「私の」両親とか、「私の」家の隣に住んでるハゲ、とかなので
「私」が居なくなると、それらはいなくなってしまうのです。

と言ってもいきなり世界が爆発して無になるとかではありません。それら全てのものが
「私」を超えた大きな「私」として感じられるようになります。

少し話が飛びますが「これは引き寄せでしょうか?」的な概念も無くなります。
何故なら「私」が引き寄せている的な概念が無いからです。

ナントカメソッドやら何やらを難しくしている最大の要因は
「私が」それを行うのだという思い込みです。
「私」には何の力もありません、そもそも存在しないものに力を与えるのは無理な話です。

「私」を通してメソッドをするのではなく、メソッドそのものが、イコール私なのです。
幸せだとか不幸だとかの概念は、「私」を通して幸せとか不幸ではなく
それそのものが私であります。存在しないものをわざわざ存在するかのように認識し、
いちいちそれに検問させる必要はありません。

かわいい女の子の隣に自分の顔が写っている写真は見てて嬉しいかもしれませんが、
かわいい女の子の隣に自分以外の人の顔が写っている写真は不愉快かもしれません。

自分の顔と思っているものや、他人の顔と思っているものに入れ替わるだけに過ぎないのに
何故嬉しくなったり不愉快になったりするのか。

ここに存在しないのに存在するかのように振舞う検問の正体があります。
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先日「乗るしかない、このビッグウェーブに」という記事を書いた所、
「私はとても不安に襲われていますが、思いきって波に乗る決意をしました」みたいな
結構な悲壮感が漂うメールを頂きました。

私の書き方が悪かったと思うんですが、別に「飛び込みます!」的な
ストイックになる必要は全くありません。
滝壺に飛び込めと言われたら勇気が要りますが、滝壺そのものになるなら
勇気もクソも要りません。


それと同じで不安だの不快だの何だのというのも、何故そのような感情を持つかというと、
不安・不快と「私」が居るから、なのであります。

この記事でも触れましたが不快だの不安というのは別にあっても良いものです。
何でそれらを排除、あるいは「全て私だからどうのこうの」という理屈だけを振りかざして
見て見ぬ振りをするのでしょうか、それは「私」を過保護に扱いたいという願望です。
幻の「私」を守りたい、傷つきたくないという”過保護願望”が見事に実現しているだけです。

ですから不快や不安から逃げれば逃げるほど、それは望み通り追いかけてきます。
追いかけてきてくれないと「私」を過保護に出来ませんからね。
そしてまた幻の「私」を守るための願望が次々と実現していきます、
すなわちスピ系サイト巡り、バカ高いセミナー巡りであります。

「私」がいないという事に気付きましょう、気付けば、不快や不安も実は自分だったという事です。
追いかけてくる怪物を倒すには戦うのではなく、その怪物になることです。
そうすれば追いかける対象を失った怪物は、消えていきます。
というより怪物の正体はあなただったわけですから消えざるを得ないのです。
全てあなたの自作自演の鬼ごっこだったのであります。
一人で「まてよー」「つかまえてごらんなさーい」とやってる痛い人だったのです。

ですから不快なら不快で良いし、不安なら不安で良いし、憎たらしいなら憎たらしいで良いのです。
それらは大袈裟に言えば宇宙でありあなたそのものです、逃げる必要も無い、誤魔化す必要も無い、
戦う必要も無い、何もしないです。

エイリアンの着ぐるみを見て、「うわーキモいわ」と思っても、その着ぐるみを着て
自らがエイリアンになれば別にキモくも何ともない
のと同じです。
またしても相互リンク希望のメールを頂いたのでリンクします。
「潜在意識の達人447さん、その他の達人方の発言集」という
いわゆるまとめサイトですね、
ここはこの記事でもちらっと触れたことがありますが、何故か達人扱いになっている私の
適当な発言は読み流して、他の方々の発言を読んだ方が良いです。

ちなみにこのまとめサイトだと私(知らん)が「桑田さん」になっていますが、
これは何かの例えで元巨人の桑田真澄氏を出したらいつの間にか通称が桑田になってしまいました。

あの時ブラッド・ピットとかジョニー・デップとかの、私と同じぐらいのイケメンの名前を出しておけば
良かったと今でも思っています。

寄りにもよって桑田を出してしまった自分の浅はかさを恨みます。
最近リンクを希望されるメールがちょこちょこ来ています。
このブログの更新頻度が下がった途端にリンク希望が増えるという事は、
そろそろこのブログ自体は役目を終えつつあるのかもしれません。

今回リンクさせて頂いたのは、ブルース・ウィリアムズさんのブログ
「セドナメソッド×潜在意識=願望実現」であります。

私は最初メールを見たときに、あのブルース・ウィリスからメールが来たのかと思い、
ついにこのブログもハリウッドスター公認になったかと思いましたが、
メールが英語ではなくバリバリ日本語だったのでおかしいと思い、よく見ると
ウィリスではなくウィリアムズさんでした。

まあブルース・ウィリスがこんなブログ見てるわけないんですけど。
「何もしない」事は何故ここまでに恐ろしく感じるのでしょうか、
多くの人が「何かしなければならない」という強迫観念に近いものを持っています。
スピ系の知識を持つほど理屈をコネくり回し始めるので、厄介と言えば厄介でもあります。

「完璧だから」「何もしない」、「愛しかないから」「何もしない」、
「どっかのオッサンが書いていたから」「何もしない」
これは理屈で言えばその通りですとしか言いようがないのですが、結局は理屈は理屈です。

「何もしない」っつーとまずやろうとするのが「何も考えない」「動かない」といった事だと
思います。しかし結局は「何も考えない」とか「動かない」というのも、
大げさに言えば人間という生き物だからそれらを思いつくわけで、人間じゃなかったら出来ません。

つまり人間という生き物の範疇に居る以上、出来る事は限定されるのです。
「何もしない」は「人間として、何もしない」という前提条件がある事に気付くべきです。
「人間として、何もしない」が無意識に前提条件にある以上、次にやる事は決まっています、
その前提条件を強化するための理屈付けです。
つまり「何もしない」どころか「色々やりまくり」なのです。

で、「全て完璧だからどうのこうの」だの「全部を愛して恋してうんたらかんたら」という
どっかで聞いたようなフレーズとして出てくるわけです。
まあ文章で書けってなるとそうならざるを得ない所もあるんですけど。

前も書きましたがそれら無意識の前提条件は、全て勝手に創った枠組みであります。
この枠組みを外し、「何もしない」ではなく「何も出来ない」事に気付く事です。

「何も出来ない」のだからもう流れに乗るしかないのです、何も出来ないくせに
ああだこうだと「何か出来るはずだ」と安心するために理屈をコネ回してもしょうがありません。
そんな事をしても待っているのは絶望だけであります。

ボートはボート自身では何も出来ません、水があって川があって漕ぐ人がいて初めて
動けます。ボートが「俺は動けるのだ」と勘違いする事から悲劇が、あるいはある種の喜劇が
始まります。全ての枠組みを外して自由になりましょう。

必死にボートを漕ぐより、ボートそのものになって流されている方が楽です。

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