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知らんモンは知らん

スピリチュアル系の願望実現ブログと思いきやそうでもない

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新たに相互リンクを張らせて頂きました。
みつろうさんという方の「知ってるトキはシっている」というスピ系のブログです。

この方はツイッターもやっているようで、主につぶやきをブログにまとめているようで
あります。私は特につぶやく事も無いのでツイッターは見たこともやってみた事も無いのですが、
みつろうさんはツイッターで沢山つぶやいているようなので、ツイッターに登録している方は
フォローとかいうのをしてみましょう。
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昨日の「帰ってきたウルトラマンメソッド」は「常に自分の行動が不快な感じを
与えるものかどうか考えなくてはならんのか?」的な誤解を少なからず
与えてしまったようであります。

まあ私の書き方が悪いんですけど、はやい話が何か行動する際に、不快な気持ちを
抱かなければ良い、もっと言えば何もしなきゃ良いのです。
朝起きてトイレにウンコしに行く際に「これは周りから見て不愉快にさせてしまう
だろうか」とか考えないと思います、普通に歩いてトイレに行けますよね。
まあケツ丸出しでトイレまで歩いてれば周りは不愉快かもしれませんけど。

この「普通に行ける」事を実感していれば良いのです。
「普通に行ける」世界は、紛れも無く自分自身の創造であります。
つまり、全て用意されていることに気付くという事です。

ですから昨日の話に戻せば、最初からウルトラマンと郷秀樹の意思は一致しているのが
デフォルトなのですが、わざわざその一致を崩すとややこしい事になるということです。
結局、同じ事を書く羽目になってしまいますが、全て受け入れていればOKという話です。

そもそも全てを受け入れたからこそ、あなた自身が存在しているのです。
「私」と思っているものが「私は存在しているんだ」と存在することを信じ、
そして「本当の自分」もあなた(「私」と思っているもの)を
必要としたから世界に肉体を持って存在しているわけで、もうその瞬間から
全ては用意されていたのです。

しかしここで「こんなのは私じゃない」とか「こんなのは間違っている」と言い出すと、
それは自分自身を傷付けているのと同じです。
その状態は、一言で言えば「不幸」であります。

肉体(と思っている)ものを持って現れた時点で既に立派な願望実現です、
まずはいかに周りが実現だらけか見渡すべきです。
歩くのも走るのもメシを食うのも肉体を創造したから出来る事ですよね。
もっと言えばそれらの行為や概念は、全部ひっくるめてあなたが創造したから出来る事です。

実は実現しっ放し状態なのです、が、わざわざウルトラマンから離れようとしてしまっているのです。

実現しっ放しに気付く事です、そうすれば勝手に愛だの感謝だのの本来の属性は湧いてきます。
世界は幻だの枠組みだの何だとああだこうだと書いてきましたが、
結局は「世界には信じるものしか出てこない」っつー事です。
最近はシンプルに書くのを追求してきましたが、今回は少しメソッドぽいのを
書いてみようと思います。

あなたが歩いたり走ったり出来るのも「人間としての体」を持っていると
信じているからであります。
しかし、ここで出てくるのが「では信じれば俺はチーターのように時速100キロとかで
走れるのか?」
というツッコミです。

これは信じれば可能であります、しかしながら「チーターのように走るより電車に乗ったり
タクシーに乗ったりする方が楽や」というのを知っていれば、
夢の中に水前寺清子が出てくるぐらいで、肝心のチーター走りは実現しないでしょう。

が、あなたがもしもギャートルズみたいな世界の住人なら、チーターの速度で走るのは
無茶苦茶疲れると思いますが、マンモスを狩るのに強力な武器となるので、
恐らく実現するでしょう。

例がわかりづらかったかもしれませんが、「必要なものしか信じないし、必要なものしか
出てこない」
のであります。つまり自分(と思っているもの)が必要と信じているのと、
「本当の自分」が必要と判断したものが一致したときに、世界は創造されます。

帰ってきたウルトラマンが、郷隊員とウルトラマンの意思が一致しないと変身出来ないのと
同じです。

これを踏まえて、ではどうするかと言うと、「本当の自分」の属性みたいのは、
こう書くとまた誤解を招くかもしれませんが、言葉にすると愛とか感謝とか言われるものです。
ですから周り(本当の自分の投影)から感謝されたり喜ばれたりされるような状況みたいのを
心がければ良いのであります。というより本来の属性に気付いていけば、おのずと世界なんて
どうにもでもなるっつーアバウトな結論です。

別にこれは何ら難しい事ではありません。周りを不快にさせなければ良いだけです。
起きたら歯を磨くとか顔を洗うとか姿勢を良くして歩くとかでOKです。心身ともに健康な方は
これだけで十分です。つまり本来の属性に近付くことで、世界を味方にしてしまうのであります。

やっぱし女の方から惚れさせるのが真のモテ男というのと同じです。
何て言ってる私は結構惚れっぽいんですけど(ただ単に女好きとも言う)

しかし、もしかしたら心の病とかでそれすら苦痛な方もいるかもしれません。
だったら何もしなくてもよろしい、ただ朝起きれた事に感謝して、また二度寝でもすれば良いです。
汚い身なりで外出して嫌な思いするよりよっぽどマシです。

「でも私は鬱病なんです。もう生きているだけで周りに迷惑をかけています」と
思う方もいるかもしれません。
これも別に何もしなくて良いです、生きているだけで良いのです。
面と向かって「迷惑だ」と言われようがそれで良いのです、迷惑だ何だと
疎まれるっつー事は、少なくともあなたは相手から見えているという事でもあります。
あなたの内面の投影は、あなたという人物が周りに見えることを許可している、
ですから存在しているだけで良いのだという証明の裏返しです。

前者のやり方は外面からのアプローチであって、後者の方は内面からアプローチするようなものです。
どちらから行っても愛と感謝しかない事に気付くでしょう。
それに気付けば、さらにそれらを周りに与えるようになります。
与えれば、どんどん自分に返ってきます。
願望を抱いて「何々がしたい」と思うのはある意味当然ですが、「したい」と強く思っていれば
常に「したい」という寸止め生殺しみたいな状態が延々と続きます、非常にシンプルです。

ですから「したい」を諦めちゃえば良いんじゃないの、という事を昨日書きましたが、
諦めろっつーと、もうおしまいだとか絶望ですとかなるのは、そうなりたいからに他なりません。

つまり願望を諦めても別に絶望しなくても良いのに「絶望です、うわあああ」みたいになるのは
それを選んだからとしか言いようがありません。それこそ大事に大事に願望というものを
しっかりと握り締めているから
です。

お金を握り締めてたって、何も買えません。
レジのオバハンに払わないと商品は買えないのと同じです。
オバハンに「お金を出してください」と言われて「離したくないよ、うわあああ」と嘆いていたら
いつまでも商品は買えないし、オバハンは困ってしまいます。

つまり「握り締めるのを、諦めてください」に対し「嫌です、絶望しちゃうから」
返しているわけです。別に誰も握り締めるのを止めたら絶望しますよとか言っていないのに、
何故か勝手にさよなら絶望先生になりたがっているのです。

この辺はちょっと文章で書くのは難しいですが、熱いものに触れたら普通は手を引っ込めますよね、
つまり行動みたいのは勝手に起こるものであり、行動そのものに深い意味はありません。

昨日の草野球の例えでもそうですが、行動が勝手に起こる状況が現れれば、勝手に
行動は起きます。状況に対しああだこうだ批評とかする必要はありませんし、状況に対し
媚びる必要もありません。あるがままに在るだけです。
簡単に言っちゃえば条件反射状態が最高という事です。

熱いものに触れて手を引っ込めるのを「でもここで瞑想しなくちゃ」とか「神に祈らないと」とか
無理矢理我慢しなくて良いのです。
我慢して火傷でもすると、今度は「火傷を治すこと」が願望みたいになって
また色々とやり出します。

色んなメソッドを行ったり来たりするのは、まさに我慢大会のようなものです。
そうなる前に、さっさと手を離してしまえば火傷もしないし、自由になれます。
後は状況に対し在るがままであります。
「なにをやってもうまくいかないでござる。願望が叶わない気がして死にたいでござる」という
切実なメールを頂きました。 

これに対し、何もしなきゃ良いんですよ(笑)とか言うのは簡単ですが、やはり何もしないでいるのは
相当に恐怖というか不安を感じるようであります。

そもそもこの投稿者を恐怖と不安で縛り付けているのは何かというと、「願望が叶わない気が
してきた」と言っているように、願望そのものです。
だったらもう、いっそのこと諦めれば良いと思います。

「そんなことは出来ないでござる」となるかもしれませんが、「諦めますた」となったからと
いって何か変わるかというと、何も変わりません。
逆に「諦めません」となったからといっても、やっぱり何も変わりません。

つまり思考でああだこうだ言っても何も変わらないのです。

願望を叶えるというのはどうしても余計な思考が入り込みます。
これさえあればとか、こうなればとか、あの時からやってればとか、思考が未来と過去を
行ったり来たりしてブレブレであります。

簡単な例をあげると、草野球でホームランを打ちたいと思って打席に立っていると、
どうしたって色々考えます。ここで打たないととか、以前よりも球を飛ばしてやるとか、
女性のギャラリーに良い所見せなきゃとか、それらを統合して「打ちたい」という
「願望」の形になります。

ではこの「願望の生成」みたいのを諦めてしまうとどうなるか、もはや以前のように、
ここで打たないととか、球を飛ばしたいとか、女性に良い所見せたいとか、
全てどうでも良くなります。

「でも失敗したらどうするのさ」と思うかもしれませんが、
もう願望じゃないんだから失敗してどうこうって考えは要らないんじゃないですか。

全てが消えたあと、あるのは世界=自分だけしかありません。
あとは球が来たらバットを振れば良いだけです。
「バットを降る事の出来る空間・世界」を創ったのは文字通りあなたなのですから、
結局世界はあなたが創ったものです。

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自己紹介:
かなりアバウトな性格の既婚平民

好物はすき家のチーズ牛丼・松屋のカレギュウ

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メールはsiranwa22☆yahoo.co.jpに
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