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知らんモンは知らん

スピリチュアル系の願望実現ブログと思いきやそうでもない

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昨日(21日)は凄まじい台風が首都圏を直撃したようですが、  
日本が誇る超時空要塞都市大宮はビクともしませんでした。
さすがこのブログの設定だと日本の首都だけの事はあります。

大宮の話は置いといて、このブログでは「受け入れて云々」とか
「気付くだけでどうのこうの」とかの表現が結構出てきますが、
この辺で引っ掛かる人が多いようです。

例えば「私は借金があるのですが、借金なんて望んでないしそんなもの
受け入れる気もありません」
とか「私はこの前恋人と別れましたが、
別れなんて望んでないしそんなもの受け入れる気もありません」
とか
そういった悩みみたいのを持っている方もいるかもしれません。

まあここ最近ずっと同じことを書いてるんですが、
結局それらの事(借金とか失恋とか)は全部箱庭の中の世界で
ああだこうだ喚いているだけで、箱庭の外からすれば必然であるとも言えます。

前も同じ事書いたと思うんですけど、海外に旅行に行く予定が台風で潰れて、
家でPCに向かって「私は台風なんて望んでないし受け入れる気もありません」とか
どっかの掲示板に書き込んでる時に、旅行に行く予定の国で大規模テロが起きて
空港大爆発とかいうニュースを見たら「台風で予定が潰れて良かった」と
思うかもしれません。

上記の例は極端な例えですし、あまり良くない例えかもしれませんが、
簡単に言えば結果オーライという奴です。

そもそも「こんな事望んでいないし受け入れる気も無い」のは何でかっつーと
未来や過去に飛んでるからなんですよね、
失恋したら「もう楽しい思い出は作れない」
とか「これで結婚の芽は絶たれた」とかありもしない「未来」を何故か大事に
心配して、それが何故か確定されていると思ってしまうので「こんな事嫌です」と
なってしまうのであります。

仮に、失恋することが後に超絶イケメンや絶世の美女と結婚するフラグだと
わかっていれば「失恋を受け入れます」となると思うんですよね。

実際はフラグかどうかなんてそれこそ「知らんモンは知らん」ですが、
「今」を受け入れていないからこそ「未来」への心配や敵意が出てくるという事に
気付いたでしょうか?
「今」を受け入れていないからこそ「未来」を
「何とかせねばならない運命」みたいに感じて、ずーっとそれに意識を向けて
ナントカメソッドやら何やらに取り組んでいるのではないでしょうか?
その結果として「克服すべき未来」が望み通りに出てきているのではないでしょうか?

ですから「今」を拒否して「克服すべき未来」と戦い続けるなら、その逆を行けば良いのです。
「今」を受け入れて「今」が最高である事に意識を向ければ良いじゃないですか、単純な話です。

と言っても、これを読んでも色々な事が頭を駆け巡ると思います。
しかしその駆け巡っている事柄に「今」の要素は無いはずです。
「今」の要素が無いって事は、それは勝手に作り上げた幻という事です。

で、こんな事書くと気象予報士の森田さんとかにぶっ飛ばされそうですが、今回の台風も
「起こってはいない」んですよね。理解し難いと思いますが、「”今”、すごい台風だぜ!」と
「今」という定義付けをした瞬間に「今」は過去になってしまうので厳密に言っちゃうと
「今」を感じるって出来ないんですよ。


「今、台風パねえ!」と感じた時点で、もうそれは過去の遺物になってしまうのです。
「今」という概念を持つという事は「・・・・・・・・・・・・」と時間が存在しない本来の世界に
「・・・・今パねえ・・・・・・・」とくっつけているだけで、その「今パねえ」を認識して
「今パねえ」んだな、と思っているだけです。
ですから「今パねえ」が無いと何も起こってない状態になってしまうわけですね。

何も起こってないんだけど、文章で書くと「今を感じてください!」とかになってしまうわけです。
ですから「感じられるわけねーだろアホ」と思った人は、ある意味正しい感性の持ち主であります。

よくわかんねーよボケと思ってるかもしれませんが、上記の理屈で言うと
前々から書いているとおり時間も空間も何もなく、何も起こってはいない世界が
本来の自分ということです、一言で言うと「何も気にすんな」とも言えます。

ですから今回の記事を読んで、「全然記事のタイトルと内容が合ってないじゃん!」
思っても、そんな事は起こっていないし気にしてはダメです。
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潜在意識については以前のこれこの記事でも触れてるんですが、
私の潜在意識についてのスタンスみたいのは基本的には上記の記事でも
あるように「ぶっちゃけ全部潜在意識」というアバウトなものです。

潜在意識というのは全てを含めた塊みたいなもので、
その流れを一つ一つ分けて認識すると、時間等が生まれるのでは
ないかと思います。

例えば「123456789」という塊があって、それを1から2、2から3と
分けて認識していけば、1・2・3・4・5~といった「順番」という時間が
生まれますよね。

だから何なんだと言われると困るのですが、潜在意識というと
個人個人の中に文字通り潜在的に眠っている意識みたいなイメージですが、
結局の所、宇宙自体が何者かの潜在意識であり、その中に顕在意識という小さな
ものが前述したような「時間」の概念を作ったのと同じように、
「個人」という概念を形作っているのではないかと思います。

つまり個人というものは幻想で、本来は潜在意識が全てを司っているのではと
感じる次第であります。

で、一般的な概念などは、全て顕在意識からのものなので、
乱暴な言い方をすると全部無視しても問題は無いと思います。
ある願望を抱いても、結局「願望」っつーのも顕在意識レベルでの概念なので、
別にああだこうだ執着しなくても良いのであります。

例えば人文字は上空から見ないと何がなんだかわかりませんが、
潜在意識が人文字を完成させるために顕在意識に様々な概念を生ませていると
思えばわかりやすいかもしれません(?)

「花」という人文字を作りたいのに、草かんむり担当の奴が
ウロウロしてたら困るのであります。人文字に必要なのは全体の調和であって
個人個人が勝手にうろつき出したらいつまで経っても完成しません。
顕在意識のレベルで色々悩んだりしているのは「願望を抱いたけど、どうすんの、
どうすんの?」とうろついている状態と同じです。

全部潜在意識の意図というか、働きなので、全部潜在意識に任せれば良いのです。
顕在意識の立場でありながら、潜在意識の立場にもなるという事です。
もっと突っ込んだ言い方をするなら操り人形の立場でありながら、操っている本体の
立場を認識する
とも言えます。

何かやろうとかしたいとか浮かんだら、それは潜在意識が人文字を完成させるために
浮かばせたものです。つまり顕在意識レベルでは「願望」ですが、潜在意識では
「調和」
であります。潜在意識が調和を取ろうとしているのだからそれはそれで
放っておけば良いのです。

今回の内容は、実は二日前のこの記事と殆ど同じ内容なのですが、結局様々な言葉を使って
同じ事を言っているだけなんですよね。

顕在意識レベルでの「言葉」という概念だと、いかに堂々巡りになるかという
証明でもありますね。なので私がこのブログであんまり「神」だの「愛」だの
使わないようにしているのは、それらの言葉の持つ概念が、顕在意識レベルで
特に強烈な固定観念になりやすいからです。

まあだからといって「すき家の意志」とか使うのもどうなのかとは思ってるんですけど。
今回は潜在意識云々について書こうと思ってましたが、
焼肉をご馳走になってついでに酒も飲んで半分酔っ払っているので、
書こうと思ってた内容の半分以上が頭からスっ飛びました。

多分思い出すと思うので次回予告としておきます。
なんかこのブログの更新を待って、いつも寝ないで起きているとかいうメールを
貰ったんですけど、そんなアホな事はしないで早く寝てくださいね。

寝ます
今回は自分でも何書いてるかわからないぐらい強烈な電波を発してしまいました。
しかし、理解できなくても何ら悩むことはありません。
「こいつは電波人間タックルだ」ぐらいにスルーすればOKです。

で、前回の続きですが「現実は内面の投影」だと言っても、無意識に見るもの全てに
色々レッテルを貼れば、結局それは真実ではありません。

ですから内面の投影云々というのは文章にするとそうなるっつーだけで、
実際に体感するというのはリアルタイムでは困難です。

以前の記事でも似たような事に触れましたが、結局は今、受け入れている世界の中で
認識できるものしか見えないわけで、その見えているものに対して色々リアクションを
取っているのが普段の状態です。

で、認識の原点みたいなのは以前の記事でも書いたように、我々が「人間の姿形」と
「人間社会」という世界を受け入れているからこそ、そのような世界で様々な概念を
作り出して、あれが叶ってないだのこれは叶っただの暴れているだけであります。

ですから「真の内面」にたどり着くには、我々が無条件に受け入れている「人間の姿形」と
「人間社会」という「箱庭」を、一旦ロケットで突き抜けなければならないのであります。
つまりお釈迦様の掌にいるのだと気付く事です。

ここからいきなり話が飛びますが、自分の認識していた「人の姿形をした”私”が居る人間社会」と
いう箱庭世界は、自分が文字通り何の抵抗も無しに受け入れていただけだったのだと気付くと、
その箱庭世界での認識が全て変わってしまいます。
もうエゴは狭い箱庭で喚いているだけの取るに足らない騒音に過ぎません。

今まで不変であると認識していた「人間の世界」が実は不変でも何でもなく、
「ただ単に自分が受け入れたからあった」というだけの物になります。
つまり「見ている世界」の重要度がどんどん下がっていくのです。

これが世界は不変なのだと思っている時なら、例えば失恋したり何か失敗をやらかした時に
それが大変な事のように思えてしまいます。認識している「人間社会」という箱庭では、
それは「良くないこと」だとされているからです。

箱庭から出てしまえば、もうそんなことはどうでも良いのであります。
箱庭世界の重要度が下がるからというのが大きいですが、
箱庭から出ると、箱庭全体に影響を及ぼせるようになるからです。

箱庭世界は「それを受け入れた自分」が創っただけですから、その「受け入れた自分」が
創った概念で成り立っているとも言えます。
つまり強引に言えば内面の投影と言い換えることが出来ます。

この辺は非常に文章化するのが困難なのですが、狭い枠の中で、その枠の中でしか
通用しない概念を用いて
「内面の投影でござる」と言ってもそれは本当に単なる概念として
言っているだけです。

枠の中から出る事で初めて「投影」だったのだと気付けるのです。
例えれば東映まんが祭りのキャラクターが、スクリーンから出てきた時に初めて
「自分はこのスクリーンに投影されていたのだ」とわかるような感じです。

今回は簡潔にまとめるつもりが何やらスケールの大きい感じの理解し難い話になってしまいましたが、
実際気付いてしまうと当たり前過ぎて拍子抜けするかもしれません(当たり前過ぎる事で却って
感動するかもしれませんけど)

まあ東映まんが祭りも「今年の夏は豪華三本立て!!」とか言っといて実際は
ショボイ番外編みたいな30分ぐらいで終わる奴を三本並べただけってのが多かったんで、
その辺は似てるって言えば似てますね(笑)
「現実は内面の投影」というのはこのブログでもよく出てくる言葉ですが、
実際にこれを実感するのって意外と難しいというか、なかなか気付けないものです。

まあ一番わかりやすいのが恋愛の初期ですよね、「世界がバラ色に見える」とか
「あの雲が君の顔に見えるよ」とか、そんなわけねえだろって感じの現象(?)が展開されます。

それとは逆で恋人と別れた時とかは世界が灰色に見えたりしますよね。
結局強い感情が伴った方が思考が邪魔しないので「投影」ぽいものを認識しやすいとも言えます。

が、実際の所は「現実は投影」というのは思考による後付であって、真実ではありません。

「現実は投影なのよね」という思考で世界を見ると「じゃあ何で目の前の信号は赤なの」とか
「どうしてオッサンが裸で踊ってるのかしら」とか「いつの間に東映まんが祭りって
やらなくなったの」とか次々と思考によってラベリングされた世界を見ることになります。

まあ上記の部分だけ掘り下げれば、「現実は投影云々」という「思考」を反映し、
世界の色んな物に色んな思考をくっつけて世界を創ったのだ、とも言えます。


でもそれも「言われてみればまあそうかもしれないよね」という話であって、
色々思考している最中に投影云々を実感できるようなものではありません。

結局、思考で追いかけると真理は逃げていってしまうのです。
以前の研ナオコがテレビに出てるからどうしたこうしたとか、願望が叶ってるかどうか
証拠探しをしないとかも、一言で言えば「いちいち思考すんな」という事になるのですが、
次回はもう少しこの辺を追求していこうと思います。

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自己紹介:
かなりアバウトな性格の既婚平民

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