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知らんモンは知らん

スピリチュアル系の願望実現ブログと思いきやそうでもない

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本棚の整理をしていたら、もしかしたら20年近く前に買ったかもしれない
記憶から完全に消えていた潜在意識系の本が出てきました。

懐かしくなってしばらく読んでいましたが、その本だと「宣言する方法」いわゆる
アファーメーションとかいうのが繰り返し強調されていました。

「私はナントカになります」とか「私はこれこれこういうのを得ます」とか
あるいは「ナントカになった」とか過去形で言う方が良いとか書いてある本とかも
はるか昔に読んだ記憶があるのですが、こういうのってエゴを納得させる方法としては
優れていると思います。

結局「何もしない」とか言われるとエゴが納得しないんですよね、
エゴが納得しないから何だかエゴが不安になってしまわけです。
アファーメーションはこれらの不安を払拭するのに大変に優れたメソッドだと
個人的に思います。

でもせっかく宣言するんだからもっと大胆かつ創造的に宣言しても良いのではとも思います。
何を創造しようが勝手なのですから「私は楽しく働いて毎月100万ペソ稼ぎます!」とか
「素敵な異性を見つけて幸せな結婚をします!」とかも良いですが、
これだと労働して給料貰ってとか彼氏(彼女)見つけて恋愛して結婚とか、
一般的な既成概念から抜け出ていません。

もちろん働くの大好きとか男漁り大好きとかなら全然OKなアファだと思いますが、
せっかく無限の潜在意識に宣言するんだからもっと自由でも良いと思います。

例えば「お尻を掻く度に1万ペソ増えます!」でも良いし、「鼻毛を抜く度に若い人妻が
襲ってきます!」
でも全然OKなはずです。

「そんなふざけたものはアファーメーションではなく、単なるアフォになってしまいます!」と
思った人に逆に聞きたいですが、では何故ケツを掻くと1万ペソという宣言が
良くないのでしょうか?今までの既成概念から外れているからというだけではないでしょうか。

既成概念から外れた事を宣言しても別に逮捕とかされないので、まったく気にすることは
無いと思います(まあ人通りの多い所でデカイ声で宣言してたらどうなるかは責任持てません)

アファーメーションとは既成概念に知らず知らずの内に支配されているという事を
気付かせてくれるという意味でも優れたメソッドであります。
願望を宣言することで、どのような概念が支配しているのか、つまり自分がどんな世界を
創っているのか、
という事を知る事が出来るのです。
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ニュートリノが光より速くてどうのこうのとか、もしかしたらタイムマシンも
出来ちゃうかもみたいな話が出てきていますが、
この手の話はいかにもスピ系の人は好きそうだなあと思ってたら案の定、
ここ数日間の読者の皆さんのメールを見ると、この話題が多いですね。

「これもタイムマシンを望む我々人類の内面の投影なのでしょうかっっっ!?」みたいな
エラく熱いメールを送ってくれた方もいるんですが、「現実は内面の投影」っつーのは
あくまで「単なる言葉・文章」であって厳密に言うと真実ではありません。

スピ系の書籍とかブログがどうしても意味不明の文章の羅列みたいに感じてしまうのは、
だいぶ前にも書いたと思うんですが、例えば「握る力を抜いて」と説明したい時に
「卵を潰さなような感じで」と言うか「赤ちゃんと手をつないでるみたいに」と言うかで
説明の受け手の感じ方がかなり違ったものになってしまうからです。
まあこんなのは文章が下手な人間の言い訳とも言えるんですけど。

スピ系の文章を読むコツみたいのは「表現をまともに受け取らない」という事は
結構重要だったりします、あんまり文章に束縛されるなっつー事ですね。

で、本題のニュートリノがどうのこうのは、メールを送っていただいた皆さんは
ガッカリするかもしれませんが、私個人としては殆ど興味無いです。

まあ私自身があんまり物理に詳しくないってのもあるんですけど、
「速いモンは速い」のだなあと感じた次第であります(爆)
我々は普段から常に様々な事を考えていると思っていますが、
「考える」という行為は世界との分離を起こす最たる原因です、
ぶっちゃけて言えば「考え」なければ既に世界と一体です。

考えるからこそ、「考えている私」と「考えられている何か」に分かれてしまうのです。
ですから考えなければ良いのであります。

そもそも「考える」という行為自体が「当たり前」のように捉えられていますが、
実際は「考える」という行為は、語弊のある言い方ですが、実は異常とも言えます。

何故なら「考える」事によってどんどんエゴによるレッテル貼りが始まるからです。
レッテル貼りは「私」と「私で無い何か」を次々と生み出して行くだけです。
「考える」事が出来るのは、エゴだけであって本来の自分は考える能力が無いのであります。

じゃあ本来の自分は何が出来るのでしょうか?もしかしたら単なるアホなのでしょうか?
それはここ数日の記事でも何度か書いていますが、「創造する事」であります。

「あれ?でも何かしたいとか思うのは考えないとダメじゃね?」と思われると思いますが、
昨日の記事でも似たような事書きましたが、結局それは「無い世界」を何だか知らないけど
創ったからに他なりません。


で、「無い世界」って「考え」ないと出て来れないんですよ。
例えば呼吸してて「もっと空気を吸いたい」と考えた時点で「空気が足りない」
つまり「無い世界」を創っていますよね。
何も考えずに呼吸と一体となっていれば「無い世界」は出てきません。

ですから言い方を変えると「創造」っていうのは「何も無い所からいきなり出てくる」んじゃなくて
「最初から創造していた事に気付く」という事でもあります。
先の例で言えば「最初から空気に満たされていた世界」と一体になっていたのに
わざわざ「考えて」「無い世界」を創っていますよね。

自分が今までいかに「無い世界」を創っていたかは、何を渇望していたかに気付けば
すぐにわかります。気付けば、もうその世界は終わりです。

話が変わりますが、私は精霊とか何だとかのドラクエみたいな話はよくわからないのですが
読者の方からのメールによると、世の中には何と精霊が見える人が少なからずいらっしゃるそうです。
もしかしたら精霊とかいうのも「創造された世界」に居れば、必要に応じて勝手に出てくるのかも
しれないですね。

私も実はこのブログを書く際には、特に考えずに精霊から文章を教えてもらっているのです。
そうすると気が付くと文章が出来ているのであります。
このブログの内容がアバウトなのも、私のせいではなく精霊のせいなのです。



というのは真っ赤なウソです。
一ヶ月程前の記事と少々内容が被るんですけど、結局「何々が叶いません」とか
「現実が動きません」とかになっている人は、真逆の方向を見てしまっているからに
他なりません。

例えば「牛丼が食えません、どうすれば良いんですか!」となっている人は、
裏を返せば牛丼を食ったことが無いから「牛丼食いたい」っつー願望を抱いたわけで、
さらに言えば、それは「牛丼が食えない世界」を自らが創ったからと言えます。

ですから「そうか、俺は牛丼が食えない世界を何だか知らないが創っていたのか」と
気付けばそれで終わりです。

何故、あなたが牛丼が食えない世界を創っていたのかは、それこそ知った事ではありませんし、
私も知りたくもありませんのでメールとかして来ないでください。

子供の頃からの概念とかその他色々なものを真実であると認識し、それに基づいて
そういった世界を創っていたのでしょう、それは別に良いことでも無いし悪いことでも
ありません。ただ、そうだったというだけの話です。

結局エゴの視点から見た「人生」という流れは、エヴァンゲリオンで言えば
ゼーレのシナリオ通りに流れて行きます。
そのゼーレとはもちろんあなたの事であります。

今回の記事を見て「じゃあどうすれば良いんだ、教えてよ!知りたいよ!」と思えば、
やはり望み通りにどうすれば良いかわからん状況が出てくるでしょうし、
「知ってるモンは知っている」とかの胡散臭いブログを発見するかもしれません。

皮肉にも願いを叶えたいという強い思いが、様々なメソッドやバカ高いセミナーとかを
文字通り引き寄せたのかもしれません。

もしかしたら読者の皆さんの宇宙にこのブログが出現したのも、そういった「渇望している世界」
望んだからこそ創り出されたのかもしれません。

まずは前述した牛丼の例のように、「自分は何だか知らないが”叶えたい”世界を創っていたんだな」
と気付くことです。そうすると、このブログがまた違って見えるでしょうし、
あるいはもう見る必要など無いと感じて二度と見なくなる場合もあるでしょう。

それこそが、あなたが今までとは違う世界を創ったという事であります。
このブログで何度か表現を変えて書いていますが、恐らく理解し難いのが「何もしない」という
部分だと思うんですよね。

どんな事かっつーと、はやい話が高い所から低い所に行きたいんだったら
飛び降りれば良いわけで、落ちている最中に手足をバタバタさせたりヘラヘラ笑ったり
いきなり歌い出したりしても落ちるモンは落ちるわけで、特に何もする必要はないですよね。

「何もしない」はこの感覚に近いものであります。

角度を変えて言えばですね、とりゃーって高い所から飛んだ時点で、下に落ちて着地するのは
決まってるわけですよね。
つまりとりゃーっていうのと地面に着地するのって、中間の落ちている部分を
端折っても問題無いっつー事です。

とりゃーって飛んだ時点で「着地した私」にならざるを得ないんですよ。
つまり「今、落下してる途中」っていう証拠を探さなくて良いのであります。
証拠を探さないっつー事は前も書きましたけど。

とりゃーの時点でもう「地面に着地する流れ」そのものなのです。
「地面に着地しようとしている流れ」じゃなくて「地面に着地する流れ」である事に
注意してください。
もうとりゃーって飛んじゃった以上、嫌でも何でも着地しちゃうんです。
で、このとりゃーって飛ぶという動作がいわゆる願望と言われるものです。

例えば歩こうって願望を抱いたらもう重心が前に行って足を踏み込んでとか
色々やってると思うんですよね。つまり「歩こうとしてる流れ」じゃなくて
「歩いちゃってる流れ」になってるわけです。
要は全部これと同じです、なんかしようとか思ったらもう「そうなっちゃってる」のです。

ウンコやオシッコしたいと思ったらもう漏れちゃってるのです。
我々は実は生まれながらの尿漏れ、源泉掛け流しではなく
源泉垂れ流しだったのであります。

さらに突き詰めていくと、歩くって行為は我々が認識できる世界の重力によって
可能になるわけですよね。ということは「歩こう」とか以前にもうそれが常に可能な世界に
最初から居るんですよ。


これが無重力状態だったらプカプカ浮かんで歩けないですよね、多くの人は
わざわざ「いつでも歩ける」世界を認識しているくせに、何故か「歩くにはどうすれば良いのだ!」と
悩んでいるだけなのです。つまり「認識しているんだけど、認識している事に気付けない」
とも言えます。

で、その「いつでも歩ける」世界を創り出したのは、このブログの著者である私ではなく、
隣のオヤジでもなく、ましてやすき家の社員でもなく、他でもないあなたであります。

つまりあなたは何の事は無い、最初っから自分で何でも出来る世界を創っていたんです。

様々な願望っていうのは全部あなたが創った世界に準じたものしか出て来れないわけで、
出て来れるって事は「歩く」と同じでそれが既に存在しているから出て来るわけです。
だから周りの世界は全部自分であり、全部あなたの仲間であり味方なのです。

まあ敵とか味方って概念をつけると、またああだこうだエゴが騒ぐと思いますが(あんな憎い人
私の仲間じゃありません!とか)そういった表面上の概念なんてどうでも良いんですよ。

大事なのは「認識しているけど、認識していない」事に気付く事です、
希望通りの世界は、もう目の前にあるじゃないですか。

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