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知らんモンは知らん

スピリチュアル系の願望実現ブログと思いきやそうでもない

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昨日、自分(エゴ)が大事に守っている概念がうんたらかんたらという話を
しましたが、「自分がどのような概念や設定を作っているのかわからん」という
メールを頂きました。

これは非常に簡単な方法で知ることが出来ます。

例えば「お金がありません!」とか「彼女が出来ません!」とか「ハゲてます!」とか
「今度子供が生まれます、私は研ナオコ似で旦那は桑田真澄似です、女の子だと言われています、
このままでは面白い顔に生まれてしまいます、助けてください!」とかの切実な悩みに対し
「そんな事知らん」と言われたときに果たしてどう思うか、であります。

「まあ酷い、私がこんなに悩んでいるのに」と感じたものが、
あなたが(エゴが)必死に握り締めているものであります。

「私が」「こんなに悩んでいる」のは、その悩みが無ければ私ではないと感じているからです。

悩みに意識を向ければ向けるほど、どんどんエゴが強化され、いつしかその「悩み」は
自分の一部となってしまいます。
自分の一部だと思っているから、
それを素っ気無く否定されたときにエゴが「ムカつく」のです。

この「ムカつきセンサー」を利用すればいかに設定通りに世界が動いているかを実感出来ると
思います。設定を変えるのは簡単です、センサーに反応した概念に気付いていけば良いのです。
気付いたということは、もうそれは自分の一部ではなく「関係ないもの」になったからです。

もうこれで自分の一部だと思っていた「悩み」という設定は無くなりました。
余計な設定が消えたので、世界は悩みの無い世界となりました。おめでとうございます。

「ええ、それだけかよ」と思った方もいるかもしれないですが、本当にそれだけです。
何でもシンプルに捉えたほうが良いです。

ここで「ええ、それだけかよ。でも・・・」と思えば、そのように設定した通りの世界が
展開されます。結局、ポコポコ湧いてくるものに意識を向けると、
それが即座に投影されるだけなのです。

ですから究極的には全ての物事には何の関連も関係性もありません、
そのような設定を選んだからそうなっているように見えるだけなのです。


(余談ですが、私は今回の記事に登場した元巨人の桑田真澄氏と浅からぬ因縁
あるのですが、まあこれはわかる人だけわかるネタなんで、それこそどうでも良い話ですね。)
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なんだかんだで九州から帰ってきました、やはり葬式は疲れますね。

ヒマだったんで久々に会った親戚連中を観察していましたが、
結局それぞれの信念というか、まあ言い換えればエゴなんですけど
皆さんそれに強烈にしがみついているのだな、ということを改めて思いました。

この「強烈にしがみついている」というのは、見方を変えれば自分(エゴ)を
大事に守っているとも言えます。

例えば今回の葬式でいとこの一人(女性)と話した時に、そいつが
「最近太り過ぎで苦しい」とか愚痴ってきて、葬式でそんなデブの話は聞いてられんと
「そんな事は知らん」とスルーしたら軽くキレられたんですが、
結局これは「私は太っている」という概念にエゴがしがみついているんですよね。

エゴが大事に守っている「太っている」という概念を否定された、あるいはシカトされたと
感じるから、何かムカつくわけです。「君は研ナオコ並みに痩せてるな」とか言っても
馬鹿にされてると感じて怒るでしょう。

これとは逆に「ああそうだね、マツコデラックスにそっくりだぜ」とか言っても
当然怒るでしょうが、これもエゴが守っている「太っている」という事に起因しているわけです。

つまりどっちに転んでも「太っている」を大事に握り締め続けているのであります(デブが)(エゴが)

ですからマツコがナオコにトランスフォームする(エゴ視点からすれば”痩せる”)には
「太っている」という概念を捨てれば良いわけです。
と簡単に言っても最初は困難でしょう、何しろ鏡を見ればマツコデラックスが立ってるわけですから。

ただ、「太っている」という概念に意識を向けない事は出来ます。
前も書いたと思うんですが結局の所、あらゆるものはそれを認識しないと存在出来ません。
仮に世界中の人々の顔面が佐々木希だったら、もはや美人もブスもデブという概念も
存在出来ないのと同じです。

佐々木希の中に研ナオコやマツコデラックスが紛れてきて、それを認識した瞬間に
世界に「ブス」や「デブ」という概念が誕生するわけです。

(研ナオコファンの皆さんに断っておきますが、あくまで佐々木希との比較であり
研ナオコがブスの代名詞というわけでは断じてありません)

逆に言えば研ナオコやマツコデラックスが紛れていても、それを認識しなければ
ナオコとマツコは存在出来ないのです。

で、何回も書いているように「世界=自分」であり、ゲームで言えばプログラマーが自分なのですから
世界の設定を決めるのも自分です、設定を決める事を放棄したら暴走したプログラムに
苦しめられるのはプログラマーなのであります。


ですからマツコがナオコになるには「太っている(マツコ)」という概念に意識を向けない事です。
これは現実逃避ではありません、現実逃避とはマツコの存在を認めつつ目をそらすだけです、
そうではなくて最初からマツコはいなかった 事に気付くのです。

気付くというか、意識を向けなければ存在しないという事を実感してください。
その内、「太っている(マツコ)」という概念は捨てられます(消えます)

「太っている(マツコ)」概念が存在しない世界になったのですから、あとは嫌でもナオコになります。
ならざるを得ないんです。

というわけで私もマツコデラックスそっくりになったいとこが存在しない世界を設定しました。
これで今度は、いとこが急死するかもしれません  というのは冗談です。
親戚が急死してしまったので急遽、九州に行かなければならなくなってしまいました。
まあ親戚といっても10年ぐらい会ってもいないし、正直言ってちょっと面倒だわとも
思ったんですが、様々なしがらみがあったり何だりで、結局私が行かざるを得ない雰囲気なんで
しょうがないですね。私のオヤジは七人兄弟で、親戚がやたらと多くて冠婚葬祭が絡むと
色々と面倒なのであります(ちなみに私は、いとこが17人います)

というわけで読者の皆さんには申し訳ないですが2、3日更新は休止します。


急死だけに休止、なんつって
以前、アダルトビデオメソッドという衝撃的なメソッドを公開しました。

アダルトビデオを観ている時は、まさに世界と自分が一体化している!!という
男性なら誰もが経験している至高の瞬間に注目したメソッドです。

この画期的(?)なメソッドをもう少し踏み込んで解説していくと、
世界を構築している者はいるが、何かをしている者はいない、という事です。

つまり、アダルトビデオを観て股間の超合金をしごいている時は
完全に画面の中と一体化していて、「しごいている」という思考はすっ飛んでいるのです。

ここで重要な事実が浮かび上がります、それは「思考」を用いない限り
何も存在できないという事実であります。
昨日の「馬場とナオコ」と被りますが、観察者が居ない限りあらゆるものは存在出来ないのです。

「観察者」とは見たり聞いたりするだけでなく、思考で色々と思い悩んだりするのも
一種の観察であります、「観察した瞬間に”何か”が存在する」のです。
観察した瞬間に「真の自分」はウナギやドジョウのごとくスルっと逃げていってしまうのです。
何故ならその”何か”を起点に思考を用いてストーリーを作り始めるからです。

しかし、アダルトビデオをガン見している時は、観察もクソもなく画面の中に入り込んでいます。
もちろん思考であれこれ考えながら股間の超合金をしごいているわけでもありません。
ですが、アダルトビデオの画面は確かに存在しています。

つまり、この状態こそ「観察しているが、観察していない。存在しているが、存在していない」
いう、思考によって捉えられる前の真実の自分状態なのです。
そう、「真実の自分」は股間をしごく事で現れるのです(!)

全てはこの真実の自分から始まるのです。
思考でこれを捉えようとするとスルっと逃げてしまいます、それはあたかも自分の影を
追いかけようとしても決して捕まえられない
のに似ています。
しかし影は必ず足元に存在しています。

思考によって捉えられないものを、思考を用いたアプローチで迫っても、
それに気付くことは出来ません。
ですから思考を超えた本能とも言うべき
アダルトビデオ鑑賞で気付くのであります。

女性の方もアダルトビデオを観ろ、とはさすがに言いませんが
好きな男性の事を想うだけでも意外と近い効果があるかもしれません。
ただしこれは両想いの方限定です、「復縁したい」とか思ってると
「復縁したい」という思考が邪魔になります。

要は「色々と思い悩まないで本能で没頭できるもの」に接っする事で気付けば良いのです。
昨日までの記事で、「心に振り回されるとうんたらかんたら」とか書いてきましたが、
「じゃあ一度ブンブン振り回されるともうダメなのか」みたいに受け取った方もいるかもしれません。

これは別に振り回されようが殴られようがどうでも良いもので、
問題は振り回されることで「何にも叶ってないわ!」とか「トンデモねえ不幸だわ!」という
思考を現実であると思い込む事が真の問題です。

本当は何も起こっていないのであります、起こっていない事を「起こっている」と捉えて
「ほらやっぱり起こっているだろ」と次々と「証拠」を作り出していくのが問題なのです。

振り回されるのは別に良いのです。ただ振り回されてるだけなのに、いつの間にか問題を
作り出してしまう、それは何故かというと「いやああああ、振り回されているわ、良くないわ」→
「良くないのは、問題を抱えているからだわ」→さらに「いやあああああああ」となるからです。

語弊がある言い方ですが、結局「問題が起こって欲しい」んですよね、
だからこそ、それが投影されるわけです。

振り回されているのは、別にあなたではありません。
エゴでも何でも良いのですが、とにかく「あなたとは関係無い何か」です。
関係無いのですから、わざわざ関係を持ちに行くことはありません。

少しややこしい事を言うと、振り回されている思考でもエゴでも何でも良いですが、
それを具体的に「定義付け」しないとそれは存在できないのであります。

例えば「いやあああああ」という音を「悲鳴」と定義付け、さらにその悲鳴が「女性」のものだと
定義付け、ちょっと見に行ったら馬場にジャイアントスイングされてるのが
最近すっかりこのブログのレギュラーになった研ナオコだったとします。

その時点で初めて「馬場にジャイアントスイングされる研ナオコ」が存在出来るのです。
「音」→「悲鳴」→「女性」→「研ナオコ」と定義付けがどんどん進んで行き、
めでたく「馬場にジャイアントスイングされる研ナオコ」の誕生であります。

ですから振り回されても、最初の「いやあああ」を定義付けしなければ良いのです。
前も書いたかもしれませんが、この「定義付け」しない事は源泉掛け流しに触れるコツの
一つかもしれません。

まあこの記事読んだ後だと、これからテレビで研ナオコが出るたびに強烈に
「これは研ナオコだ!」と定義付けを強める羽目になりそうですけど。

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自己紹介:
かなりアバウトな性格の既婚平民

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