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知らんモンは知らん

スピリチュアル系の願望実現ブログと思いきやそうでもない

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突然ですが、このブログを読んでいる方の殆どは、目で字面を追って読んでいるはずです、
まさかでかい声で音読してるような強者はいないと思います。

恐らく心の中で音読していると思うんですけど、何故音読できるのでしょうか。
「あいうえお」と書いてあるのを見て、何故「あいうえお」と言えるのかという事です。

それは、心のスクリーンに字が浮かんで、それを何者かが勝手に読んでいるのです。
つまり鏡に写った文字や絵を何者かが勝手に「これはこういうものである」と表現しているのと
言えます。

この何者の正体はエゴであります、エゴが主役ヅラして勝手に色々と表現しているのです。
本来のあなたは鏡の方なのです、鏡は何でも写します、つまりぶっちゃけた言い方をすれば
完璧なのです。じゃあ何で苦しいのでござるかというと、写った文字や絵をエゴが勝手に批評し、
エゴが勝手に苦しんでいるだけです。

ですから鏡の意識に戻りましょう、とここまではどこかで聞いたような話ですが
問題はここからで、いきなりお前は鏡の世界の住人なのだとか言われても困ってしまう事が
殆どです。

しかし、賢明な方は「そうか、世界は鏡に写っているだけ。俺は鏡だ、ミラーマンなのだ」と
意識するかもしれません。

ポイントはここです。「俺はミラーマン」を心の中で音に変換し、心の声で「聞かせて」いるのは
誰なんだという事です。そう、エゴの仕業であります。

つまり「ミラーマン」という文字をエゴが勝手に文字として音声処理し、それを勝手に聞かされる前の
状態こそが真のミラーマンなのです。

この「真のミラーマン」を表現することは不可能です。
何故なら全ての言語表現や音での表現は「エゴを通した表現方法」に他ならないからです。

「すき家の意志」とか「源泉掛け流し」とか「ミラーマン」とか色々表現を変えてきましたが、
それらの表現では真実を表すことは出来ません、上記の表現を「文字として読んだ」瞬間に、
それはもうエゴによって表現された別物になってしまうからです。

全てを写し、そして常に「そこに在る」もの。しかし決して表現できないもの、
それが本当のあなたなのです。
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ここ数日は何だかハードコアな記事が続いたので(?)今日はクールダウンであります。

以前も書きましたが、このブログの厨二設定では、世界の支配者であるすき家と、
それに対抗している松屋の終わりなき聖戦に新たなる勢力、
東京なのに田舎モン丸出しのネーミングセンスを持つ第三勢力・東京チカラめし
参戦してきて盛り上がっている所です(個人的に)

で、この東京チカラめしは既に都内の主要都市を驚異的なスピードで制圧しつつあります。
何故か埼玉県の大宮も既に抑えており、この前「美味しいから行こうよ」と彼女を連れて
行ったのですが、大宮店は雰囲気が一昔前の吉牛みたいな感じで、とても女性を
連れて入れる感じではありませんでした(混んでたしね)

で、結局他の店でメシを食う事になったのですが、「牛丼好きだって言ってたから連れていこうと
思ったんだけど」と言うと、「私、牛丼好きじゃないし。そんな事言ったことない」と冷たい答え。

ハッと気が付くと牛丼好きは前の彼女だったんですね。
いやー、モテる男はツライね(違う)

「ああ・・そうだっけ」と誤魔化しましたが彼女も女の勘でピンと来たのか、
非常に気まずい空気になってしまい、せっかくのデートがぶち壊しであります。
まあ完全に八つ当たりなのはわかってるんですけど、もうちょい内装をどうにかしろ!

東京チカラめし、必ずぶっ潰す!!(笑)
読者の方から非常に深いメールを頂きました。
深いといってもHNがマリアナ海溝とかではなく、
内容が深い、という意味です。(たまにそういった舐めくさった面白いHNの読者からメールを頂きます)

どのような内容かと言うと、リスが木の実を食べに行ったら、もしかしたらトラなりキツネなりに
食べられちゃうかもしれないじゃん、自由意志が無いならそれすらも受け入れなくては
ならんのかと、要約するとそういった内容です。
深いメールとか言ってるのに端折りまくりじゃないかとかのツッコミは要りません。

「自由意志が無い」っつーといわゆる運命論的な感じで受け取る方が多いのですが、
これはそのような意味ではなく、行動とは全て刺激を受け、その刺激に従って動いているだけ
なんですよね。

5月16日付の記事に書いてある内容ですが、以下引用です。

例をあげると、あなたが車で高速道路を走っているとします。
この時何故、あなたはハンドルを握り運転しているのでしょうか。
「そりゃ高速走ってるからに決まってるだろ」という答えが返ってくると思います。

その通りです、「高速道路」「車の運転席にいる」という状況があるから
あなたはハンドルを握って運転しているわけです。つまり状況に操られて動いているだけ
なのです。(引用ここまで)

上記の「高速道路云々」をエゴ視点で見ると、「状況や刺激で操られているだけと
いうのはわかった、でも高速で事故るかもしれないよね?」という感想を持つでしょう。

しかし、この「事故るかもしれないよね?」ですら自由意志で考えた感想ではありません。
何故なら今、このブログを読んでいるという状況が無ければ出てこないからです。

つまり、昨日の記事でも書きましたが、この場合「高速道路云々」が取っ掛かりに
なっているわけです。

この取っ掛かりから生まれるものは全部幻であり必要無いと書きましたが、
結局「高速道路」→「事故ったらどうしよう」も昨日書いた「男なのに腕っ節が弱い」→「鍛えよう」
と同じ仕組みです。

ですから「リスは木の実を食べる」→「食われちゃうかもよ」も同じことです、
「自由意志が無いって書いてあった」→「じゃあ運命は決まってるのか?」→「リスが食べられるかも
しれないのも受け入れなきゃいけないの?」と様々な取っ掛かりの果てに湧いて出てきた
無意味な物です。そんなもんは知らんのであります。

で、聡明な読者の皆さんならもうわかったかもしれませんが、、
「じゃあ俺が今まで色々メソッドだ何だの考えてたのって、
全部オマエのブログ読んだからじゃん」
と気付くと思います。
このブログさえ読まなければこんな胡散臭い世界に足を踏み入れなかったのに、と。

その通りです。それこそ私が今まで「こんなブログを読むのは止めよう」とか
「読んだら忘れてしまえ」とか言っていた理由であります。

全ての事は状況や刺激を取っ掛かりにして始まります、そしてその始まったものに対して
「私が考え、私が行動しているのだ」というエゴが出てきて、苦しみ(不足)が始まります。
ですから全て何らかの取っ掛かりからなのだ、と気付けば「物事が起きているんだけど
起きていない」
状態となります。そこには苦しみはありません、満たされているのです。

自分の肉体と思っているものですら「取っ掛かり」から始まった幻想です、
「肉体があるが、肉体が無い」状態です。そうすると「満たされた世界」との
強烈な一体感があり、というよりそれ以外無い状態になります。

内面が満たされている状態で、「満たされた世界」=「自分」は勝手に動いています。
満たされているので、満たされた事が勝手に投影されていきます。

このブログを読んでああだこうだと考える事もありません、ただ文章が並んでいる、それだけです。
面白い記事だなと思えばそれもOKですし、くだらねーブログだなと思えばそれでもOKです、
面白いとかくだらねーとかは全部「満たされた世界」=「自分」の投影ですから
何だって良いのです。


ふと気が付くと、エゴ視点から見て幸せな状況になっています。
でもそれも、ふと気が付いた状況に対し、エゴがわざわざ「幸せ」と定義しただけの事で、
何の事はない、最初から幸せだったんです。
前も書いたんですけど、個人的には「願望実現」という言い方にすごく違和感を持っています。
と言ってもエゴ視点から見れば「願望実現」以外に呼びようがないので「願望実現うんたらかんたら」に
なってしまうのですが、そもそも「ナントカを実現します!」とかいうと未知のパワーを使って
何かすごい事をやる、みたいに考えがちなんですけど、別にすごい事なんてやる必要無くて、
むしろ何も出来ない事に気付くことが肝心です。

とは言うものの、文章にしようとすると「意図しましょう」とかになってしまうので
この辺をどうにか別の表現で書けないかと映画館で「トランスフォーマーダークサイドムーン」
を観ながら考えてました。

おかげで映画のストーリーがまるで頭に入ってきませんでしたが、
まあストーリーなんてあって無いような映画なんですけどね。

話が逸れましたが、大体この「何かをやる」っつーのが曲者で、「何かをやる、する」っていうのは
その取っ掛かりになるものが無いと「出来ない」んですよね。
階段を昇るには、当たり前ですが階段が必要っていうのと同じです。

「願望実現」っていう概念は基本的に「不足が無いと出て来れない」んですよね、
つまり「エゴによる不足を見抜き、実現しましょう!」は「階段が無くても登れる事を見抜き、
登りましょう!」という妙な事を言っているのと同じなのです。

ですから「不足」を取っ掛かりにしてどうのこうのとやり始めるとなかなかうまく行かないんですよね、
まさに「実現」の裏側、ダークサイドとも言える「不足」が”居てくれないと”実現出来ないという
パラドックスであります。「実現したい」=「不足が居てくれないと困る」ので、常に困った状況が
投影されてしまいます。

ではこのダークサイドはどっから出てくるのかと言うと、思考であり、それにまとわりつくエゴからです。
我々は無意識のうちにエゴによって「確固たる自分」というものを作り上げています、
そしてこの「自分」の判断で色々と思考しています。

まあこれも結局は「自由意思で思考している」つもりになってるだけなんですが、
この辺はややこしいので今度にします。

例えばあなたが男性で、彼女と居る時に変なオッサンに絡まれて暴力を受けてしまったとします、
「男なら女の一人や二人守れなくてはダメだ、体でも鍛えるか」という「自分は男だ」というエゴに
「男なら女性を守れなきゃダメだ」という思考が出てきて「鍛えよう」という願望が出てきます。
つまり「自分は男なのに腕っ節が弱い」という「不足」が居るからこそ「鍛えたい」という願望が
出てくるわけですね。

しかし冷静に見ると、この願望は「自分は男」という取っ掛かりが無いと出てきません。
ですから今日からニューハーフに目覚めましょう、というわけではなく、
この「取っ掛かり」は幻であり、いらないという事に気付くのです。

これはいざ気付いてみると意外と出来ないものです、何故なら「自分は男」とか「自分は貧乏」とか
「自分は会社員」とかの概念は(エゴにとっての)絶対のアイデンティティみたいなもので、
それを放棄するという事はエゴにとって一大事だからです。

願望実現の最大のダークサイドは「ある特定の願望を実現しようとする私」が知らず知らずの内に
出来上がってしまう事です。
「貧乏から金持ちになる私」が居てくれないと困るのです、
「不幸から這い上がる私」が居るからこそエゴは安心して「願望実現」に取り組めるんです。
この「ある特定の願望を実現しようとする私」が出来上がることはなかなか防げないものです、
エゴ視点だとどうしても「必要なもの」に見えますからね。

ダークサイドから抜けるには、ズバリ「全ての取っ掛かりの放棄」です。
本当の自分は男でも女でもニューハーフでもない、若くも年寄りでもない、
地球人でも月からの使者でもない、完全な意識として在るだけだということに気付くのです。
多分、最初にこれを試みると猛烈な不安に襲われると思いますが、構いません。

完全な意識として在ると、「取っ掛かり」が存在しないので、結局の所は満たされてしまって
いるのです。

満たされてしまっているので、満たされた事が投影されるわけです。

「実現」とは「足りない何かを得る」のではなく「実現していた」事に気付いていく事なのです、
歩いているときに「そういや歩いてるよね」とふと気付くのに近い感じです。
つまり「意図してるんだけど、意図してる事に気付くのは意図した後」
なのであります。

まあこれもわかりづらい表現だと思うんで、また映画館でも行って頭を冷やして来ます。
今回書いたのを読み返してみると、前回の続きというより前に書いた記事の補足みたいに
なってしまいましたが、毎度のごとく気にせずに続けます。

前回「願望からの解放」ということを書きました。
願望から解放されると、というか願望という思い込みみたいのが
消えると、意図となります。

例えば、歩くという行為は意図であります。「歩くにはどうすれば良いのか」とか
考える人はあまりいないと思います。
歩くと、前方の空間が近づいてきます。空間が近づいているだけなのですが、
「歩いている」と認識します。前も同じ事を書きましたが「歩く」という意図が
生まれたので、それが投影されて前方の空間が近づいてきたわけです。

意図が出てくればソッコーで投影されるので、あとはそれを前回の
「これは夢だと気付いた俺」の意識で眺めていれば良いだけです。

「歩く」という意図が投影されれば空間は近づいてきます、その間に
「今何時だっけ」とか「腹へった」とか思考しても、やっぱり空間は
近づいてきます。夢だと気付いたときに、「ああ、これって夢なんだなあ」とか
思っても夢のストーリーが続いているのと同じです、つまり思考には何の力も無いのです。

「歩こう」と同じように「あれが欲しい」とか「こうしてみたい」とか湧いてきたら、
もう目の前の世界は全部「意図した事の投影」であります、テレビをつけたら
何故かテレビ埼玉だったとか、深夜アニメを見たら作画崩壊してたとかも全部投影です。

夢に気付けば、夢は何だかんだありながらも意図したストーリーになっていきます。
エゴに惑わされていると、寝ていても気付けない「寝ぼけ」ですが、気付いてしまえば
明晰夢みたいなもので、明晰夢では自分は眺める視点、カッコつけて言うなら神の視点
移ることが出来るのです。

この事に気付いてしまえば、ネガティブ思考もポジティブ思考も、もはや関係ありません。
「寝ぼけて」いると「あの野郎ぶっ飛ばしたい」とか「もう死にたい」とかの
ネガティブ思考を「現実である」と捉えて勝手にウンウン唸ってしまいますが、
明晰夢ならどんなにネガティブになろうが関係ありません、何故なら「目覚めれば」
夢の世界に対して思っていたそれらの思考は自分には何の関係も無いし、
何の危害も加えない事がわかりきっているから
です。

悪夢を現実と思うからうなされるわけで、「これって夢じゃないか」と気付けば
もはやのんびりと悪夢っぽいストーリーを観ている単なる鑑賞者です。

映画を観ている人が、映画の中でどんなに凄惨な人殺しシーンを見ても
自分に危害は無いとわかりきって観ている状態であります。
人殺し映画など見たくないから何か別のにしようと意図すれば、
観ていれば勝手に変わっていきます。何故変わるのかというと、あなた自身が
変わったからです。
結局の所、何度も書いていますが世界とは自分だったのです。

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男性
職業:
食う寝る遊ぶ
趣味:
超合金魂
自己紹介:
かなりアバウトな性格の既婚平民

好物はすき家のチーズ牛丼・松屋のカレギュウ

合体と恐竜は男のロマン

メールはsiranwa22☆yahoo.co.jpに
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