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知らんモンは知らん

スピリチュアル系の願望実現ブログと思いきやそうでもない

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「アセンションについてどう思っているか」というメールを頂きました。
アセンションという言葉は知っていましたが、実際何なのかはよく知らかったので
調べてみると、「人類が三次元から五次元へ上昇する」とか「物質世界から意識世界になる」とか
「地球がフォトンベルトに突っ込んで人類が進化する」とかなんだかわからないがとにかくすごい事が
起こるらしいです。

しかも何か重要な日が2012年12月22日だとか、 来年じゃん。

まあアセンションだ何だというのも、結局は自己の宇宙(内面)の投影なので、自分とは宇宙である
という事がわかれば、常にアセンションしまくっているのではないかと思います。

内面は、多分三次元よりも高い次元だと思うし、高い次元に目覚めれば低い次元を操るのも
別に不思議じゃないような気もします。ですから思考という三次元の世界の事しか考えられない
低次元の産物は、我々五次元人には必要ないのであります(多分)

結局、心とか思考とかは三次元の世界のものを基準にせざるを得ませんが、
「アセンション!」とか叫んで変身し、高い次元に目覚めると、その基準を超えることが
出来るのではないでしょうか。別に叫ぶ必要は無いし変身もしないと思いますけど。

少し話が飛びますが、我々は心とか思考を「指針」としてしまいがちです、
こう思った、こう考えているという事が自分にとっての真理であると勘違いし、
その勘違いに基づいて行動してしまいます。
ですから「アセンション」とは心や思考「の」指針になれという事ではないでしょうか。

そうすれば物質世界に色々惑わされる事も無くなるし、意識世界が到来するような気もします。
つまり「あの”物質”が足りない」という物質に主導権を渡している世界から、
”意識”がまずありきで、物質は勝手に創られるといった”意識”に主導権がある世界です。


なんかキレイにまとまった感がありますが、多分実際は全然違うと思います。
こんなオカルトバリバリのブログ書いといて何ですが、私はこの手のオカルト情報には疎いんで、
「フォトンベルト」なんて用語も初めて聞きました。

フォトンベルトに突入するとどんな風に進化するのか楽しみですね、羽でも生えるんでしょうか。
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読者の方からのメールで結構多いのが「全てを受け入れるとか何だとかありますが、
そんな事出来ないです」
というものです。 

これは、エゴ視点でこれは悪いものとか不幸だとか判断するものを、どうしても受け入れるのは
難しいという事だと思います。このブログを読む度に現金5万ペソを払えやと言われても
「こんな糞ブログに・・・」となかなか受け入れる気がしないのと同じです。

今回はこの「受け入れられない」を解決するお手軽なメソッドであります。

この前「思考やエゴを眺めるのは家の中から外で降ってる雪を眺めているのと同じ」みたいな
事を書きましたが、エゴ視点で「良くない事」「とにかく悪い事」という思考が
湧いてきたら、それを「雪が降っているのを眺めていたら、ドリフのコントのように
突然タライが降ってきた」と捉えれば良いのです。

現実は内面の投影であります。思考や出来事を「これは悪い事だ」と捉えると
「何故、私はこのような事を引き寄せてしまったんだ!」とか勝手に苦しむかもしれませんが、
「タライが降ってきた」なら「何故、俺はタライを降らせたのだろう、どのような観念や
思い込みで降らせたのだろうか、タライ降らせる俺の内面おもしれー」と、単なる分析者というか、
まったく中立なスタンスで捉えることが出来ます。

もちろん分析して答えが出なくても構いません、これは「良くない事」
というエゴ視点の概念を「分析の楽しみ」に変える事が目的だからです。

もしかしたら、適当に分析してると天啓のようにエゴの奥底に隠れた概念が
ポコンと出てくるかもしれません、出てきたら出てきたで良いし、出てこないなら
それでも良いのです。あまり深く分析してやろうとか思わずに「タライが降ってきた、
なんでだろう?面白いなあ」だけで良いのです。

これは殆ど全てに適用できる、役に立たないメソッドばかり書いてあるこのブログにしては
珍しく使い勝手の良いメソッドです。

何故か「悩み」というレッテルが貼ってあるタライが降ってきたら「なんでだろう?」だけで
良いのです、「むかつく奴だ」というレッテルが貼ってあるオッサン(タライ)が降ってきても
「女子高生を毎日妄想していたが、こんなオッサンを出現させるとは
俺の内面も妙な趣味持ってるぜ!」」で構いませんし、強烈な台風や雷が鳴ってても
「こんなすげえ自然現象を投影する俺の宇宙パねえ、さすがの猿飛の神風の術みたいだぜ」で
良いのです(若い人はさすがの猿飛なんて知らないだろうなあ)

かなりはっちゃけて書きましたが、結局本当の自分には「楽」とか「愛」しか無いんですよ。
全てを面白がって全てを愛しているのです。何故なら世界そのものが 
「愛すべき、楽しむべき自分」だからです、
難しく考える事はありません。

実際に雪降ってるの眺めててタライが降ってきたら「何で?」とその瞬間は
思うでしょうが明日になれば忘れてます、それぐらいの感じで良いのです。

これでもう全ての「悪い概念」「不幸」は「良くないもの」「克服すべき障害」ではなく、
内面の投影を見せてくれるだけのものであり、それはドリフのコントを楽しむのと
同じものになりました。これであなたも今日からドリフターズの一員です。
このブログもあと一ヶ月程で開設してはや半年となりますが、 
開設以来まったく見ていなかった(存在を忘れていた)アクセス解析を
見てみたら一日に約600ヒットもあり、いつの間にかそんなに人が
来ていたのかと驚いた次第です。

もうこれからは変な事は書けない、とも思いましたが
もう手遅れな気もするので、これからもこの調子で進んでいこうと思います。

今日は読者の方からのお便り紹介であります。
この前も「非常に深いメールを頂いた」のですが、今回もマリアナ海溝並みに
深いメールを頂きました。ありがとうございます。

まあ内容はいつものように端折らせてもらいますけど、
要約すると「エゴから解放された後に”新たなエゴ”を創造できるのか?」という
正直言ってこの発想は無かった的なものです。

私個人の見解ですけど、結局エゴって寝ぼけてるようなもんなので
”新たなエゴ”って無いと思うんですよね。
じゃあ何で「新しいエゴの創造云々」になるかっていうと、結局の所
「エゴから解放された」=「何の欲も無い仙人」みたいなイメージ
捉えているからではないかと思われます。

つまり「欲が無くなっちゃったら俺の願望どうなんの?」的な不安なのかなあと
勝手にメールを超解釈させて頂きました。

エゴから解放されると願望って概念自体が揺らぐんで、後はもう流れて行けば
良いんですけど、別に仙人みたいにはなりません。
大体私みたいなその辺のオッサンが仙人になれるわけないですし、
逆に言えば、エゴに気付くことはその辺のオッサンでも出来るということです。

ただ正確に言うと「エゴから解放」ってのはありません、エゴに(寝ぼけに)
気付いている状態であって、どこまでいってもエゴはあります。
ただ寝ぼけを寝ぼけと気付くと、もう寝ぼけで無くなるのと同じで、
エゴをエゴとして見なくなる感じです。

あまり難しく考えない事が一番です。もちろん世の中には「聖人」
言われるほどのマジでエゴから解放されたようなすごい人もいますが、
このブログを聖人が読んでるわけないんで「エゴからの解放」とかを
高尚なイメージで受け取ると、結局それが投影されるっつーだけの事です。

まあ「新たなエゴの創造」をやってみたいならチャットでネカマでも
やれば新たなエゴに目覚めると思います。いきなり女子高生とかは難易度が
高いので、まずは自分のオカン辺りをイメージしてやりましょう。

つーか冒頭で「もう変な事は書けない」とか言っといて、結局こんなオチで良いんでしょうか(爆)
昨日からの話の流れですが、真のミラーマンに気が付くと(いきなりこいつは何を
言ってるんだ!と思った方は二日か三日ぐらい前の記事を参照してください)結局の所、
色んな波動でもエネルギーでも何でも良いのですが、とにかく源泉掛け流しから勝手に
湧いているだけ
ということであり、本当にただそれだけなのであります。

湧いてきたものを心の声で音声処理して、思考で「だからこれは良くないのだ」とか
何やかんや騒がしくやっているだけで、真実は単なる静寂があるだけです。

その静寂の中に在れば、あとは「行動」という形で世界に影響を及ぼすことが出来るでしょう。
世界で行動するのではなく、「世界に」行動という要素が出現するのです。

簡単に言えば、世界の中に存在する「トイレ」にウンコをしに旅立つのではなく、
「トイレ」が迫ってくる(前に「歩く」のではなく、「空間が」迫ってきているのと同じです)
いうことです。つまり、エゴの視点から見れば「トイレに行く」という「行動をした」と
解釈しますが、実際は「世界」が動いているのです。

そしてもっと元を辿れば、「トイレ」「ウンコする」という意志も、心の声で音声として
処理しているはずです。この処理する前の真のミラーマン状態に常に在れば良いのです。
簡単ですね(?)

完全な静寂に在り、様々な波動でもパワーでも何なら焼肉とか呼んでも良いのですが、
それらがポコポコと湧き上がっています。それらは勝手に出てきているだけなので、
真のミラーマン=真の自分には何の被害も及ぼしません。何の被害も及ばさないのですから、
全てを受け入れる事が出来るのです。

そもそも「被害」と書くと何だか悪いもののように思えますが、実際は被害もクソもありません。
部屋の中から外で降ってる雪を眺めているのと同じです。

降っている雪を眺めるのは楽しいものです。降っている雪全てを受け入れ、言い方を変えれば
「愛」に満たされるかもしれません。

この状態に至ると、あとはもう気に入った雪を淡々とチョイスするだけです。
選択したもので、世界は動き出します。自分が世界ですから当然であります。
まあチョイスだ何だにこだわるとまたややこしくなりますが、結局はそれも殆ど全自動です。

エゴ視点ではそれが願望の実現法なのだ、と思うかもしれません。
しかし実際は世界=自分がそのようになることを選んだというだけです。
そこに「願望」とか「実現」といった要素はありません。
トイレ行ったらウンコが出た、でも流すの忘れたみたいな感じです(?)

今回は非常に難解な感じになってしまったかもしれませんが、
結局は今まで書いたことを角度を変えて書いているだけです。

何故色々と角度を変えて書いているかというと、ネタ切れだから読者の皆さんの
理解を深めていただきたいからです。

と言っても、ああだこうだ思い悩むと逆効果です。あまり深く考えずに水に流しましょう。
昨日も書きましたが、何者かが心の「声」を聞いているというのは結構ポイントです。
この「声」を音声処理する前、つまり得体の知れない「何か」が湧き上がって来る場所こそ、
本来の自分が居る場所です(多分)

この湧き上がってくる「源泉掛け流し」に常に居る、ということは何か湧き上がってきたときに
最も適切な行動を取れるという事でもあります。昨日のボディワークの話で言えば、
重力を感じているからこそ、スポーツなどで、その場その場で適切な動作が取れるのと同じ理屈で
あります。

もちろんこの「適切な行動」とはエゴ視点から見た場合の話です。
実際は「行動している」とかいちいち判断しないでしょう、虎や熊に追いかけられたら何も考えずに
逃げるのと同じです。

源泉掛け流しに居るという事は、つまり心の声(らしきもの)を思考やエゴで肉付けする前の
段階に居るともいえます、つまり「もうだめだ」という”言葉”は思考で「もうだめだ」と
「心で喋っている」と判断した時点で初めて「もうだめだ」となります。

そしてエゴが「私」は「もうだめだ」とさらに判断し、ここで初めて「私はもうだめだ」が
エゴにとっての「真実」となる
わけです。

実際は「もうだめだ」は湧き上がった時点では「%&#$=」みたいな記号というか、
発射される前の波動砲のようなものであります、それに思考が目に見えている状況やその他で
勝手に判断し、「これは、”もうだめだ”である」とし、それをエゴは「心の声」として
知覚するわけです。

しかし、源泉掛け流しに居れば絶対の「真実」など無い事に気付けます。
全てのものは何だかわからないチャージ中の波動砲っぽいものだったのであります。
そこに居ることで初めて世界の創造というものを垣間見えるかもしれません。

ここまで読んで「何を書いてるんだかさっぱりわからないなあー」と思えば
それが「真実」となっているでしょうし「よくわかった」と思えば、それも真実となり
「波動砲って何?」と思えばそれも真実となっています。

湧き上がってくるものに思考とエゴで勝手に肉付けしていただけったのであります。
そんなものに惑わされずに、「湧き上がってくるもの」そのものに目覚めれば良いのです。

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