前回ネカマの達人になってしまったネカマ氏から、三度メールを頂きました。
ありがとうございます、以下は抜粋です。
「ネカマとは、私と相手の思考の中にしか存在しないものである」「つまり内部空間とも呼べる概念の中に”生きている”存在とも言える」「あらゆるものはこの内部空間に存在しているように感じるだけで、
それだけである」「思考とは、内部空間に対してのリアクションに過ぎない。
スピリチュアルを頭で考えても理解出来ない理由がわかりました。
頭で考えるのは、犬が自分の尻尾を追い掛け回しているのと同じ」「私は既に数年前に両親を亡くしておりますが、私も、両親も、
内部空間に存在しているように見えているだけでした。
存在しているように見えるという事は、裏を返せば私はいつだって
両親と一緒だったという事です。
私は両親に会えたんです。ずっと会いたいと思っていた両親は、
いつも居てくれたんです」
「両親に会えたんです」からのくだりに
私は感動して泣きました、
ネカマのメールなのに。「内部空間は、物語を作らなければ維持できない。
思考は内部空間に対して殆ど自動的にリアクションを続けるので、
多くの人は物語の中で架空の自己を生きている、まさにネカマのように。
それに気付いて物語を捨てることが、ゲームから降りることだと思います。
そしてあえて物語を維持するのがネカマなのです」という
結局ネカマかよ、という内容なのですが
思考は内部空間に対してのリアクションであり、ほぼ自動的に物語を
作り続ける、という表現は言い得て妙だと思います。
というわけで私も
何だかネカマがやりたくなってきたので、
練習と称して嫁さんとLINEで女性っぽく会話してみました。
しかしながら、私の「結構女性っぽく会話出来てない?」に対し、
「おまえは馬鹿か?」と極めて醒めた反応が返って来たので、
ネカマへの道は険しそうであります。
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