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知らんモンは知らん

スピリチュアル系の願望実現ブログと思いきやそうでもない

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最近、ニュースサイト等を見ると同姓婚がどうのこうのと世間が喧しいですね。

私はバリバリの異性愛者ですが、個人的には同姓婚は全然OKです、
何の偏見もありません。
別にホモだろうがレズだろうが、相手が犬やニワトリだろうが、好きなら好きなもん同士で
存分にやりまくって結婚すればよろしい、と思います。

ますます少子化が進んでしまうやんけ、との声もあるかもしれませんが
そんなのは子供を作ったら減税とかやってやれば良いと思います。
3人子供を作ったら三倍満減税とかやれば、若者も少しは出産に前向きに
なってくれるんじゃないでしょうか。

強引にスピリチュアルに持っていくとですね、同姓婚って何か気持ち悪いわ、ってのは
紙にエロ漫画が描かれるのは気持ち悪い的なものですよ。

どんな漫画も紙の上に描かれるものであって、漫画を生み出せる紙は
まさに漫画の本体であると言えます。
ですからエロ漫画を否定してしまったら対極にある普通の(?)漫画は
存在しなくなってしまいます。

しかしエロ漫画は消したい、でも普通の漫画は残したい、という事で勝手に苦しむわけ
ですね。ですから描かれている漫画ではなくて紙の方が己であるという事であり、
あらゆる漫画を許容してやれば良いのであります。

それから普通の漫画だけページを多く取れば良いじゃないですか、
つまり意識を向けたものが、現実であるって事ですね。









学生時代の知人がまさに同性愛者だったんですが、
彼は性的マイノリティである事に悩み、十年ほど前に結局自殺してしまいました。
そうかと思うと先輩の一人はガチの獣姦好きで、ドーベルマンとやりたいとか
言い出して周りを困惑させておりました。

個人的な見解ではどっちかっつーと後者の方が死ぬべきではなかったか、とか
思いますが、その先輩は今も元気で特に悩みも無いようで、数年前にドーベルマンというより
ブルドッグのような女性と結婚しました。

まあ人生色々って事ですね。
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基本的に自我というものは私が存在し、何かをやると認識すると出てくる
幻のようなものです。

ですから「この地獄のような日々から脱出したい」とか「これこれこういう事を
やって幸せになりたい」
という、「何か」が「何かから」出る というパターンが
殆どです。

以前記事の中でチェスがどうのこうのと書きましたが、ああいうボードゲームやってる
時でも、やるべき事はゲームであって「勝ったら女にモテる」とか「負けたら恥ずかしい」
とかはどうでも良い事のはずであります、しかし何故かゲーム中にそっちの方を
考え出したりする事は結構あるんですね。

勝ったらナントカだとか、負けたら何だってのは全て思考の中で展開されている話ですが、
目の前にゲーム盤があるくせに勝手に展開されている話の方に集中してしまうとは、
おかしなものであります。

結局こういうのは全て幻である「何か」が「何かから」出ようとしている、やろうと
しているって事なのです。

なので自我にネガティブもポジティブもありません。
幻は幻でしかなく、それ以上でもそれ以下でも無いのですね。

ですから今、地獄に居ると感じているなら「地獄から」出ようとするのではなく、
地獄そのものになるべき
であります。天国に居ると感じるなら「天国を」感じるのではなく、
天国そのものになるべき
です。
そうすれば何も気にするものは無くなり、世界が己となるのであります。












何も気にするものが無いって言えば、元総理にして宇宙人である鳩山由紀夫さんが
勝手にクリミアへ突撃して、何故か「日クリミア友好協会」なるものの創設に合意したとか
一部で報道されていますが、まさに後先考えずに何も気にせず突撃する鳩山さんは
スピリチュアルの体現者や!と言いたい所ですが、これってかなりマズいんじゃ
ないでしょうか。鳩山さんて今は議員も辞めてるはずなんですが、このロッケンロールな
生き様には良くも悪くも驚かされます。

ていうか宇宙人でも総理大臣になれたので、
やっぱりスピリチュアル最高や!と言うべきなんでしょーか。

兎にも角にもストップ ザ 由紀夫! 誰か由紀夫を止めてくれ。
「いつもスピ系のブログを見て”わかった!”と思うのですが
結局一瞬だけで元に戻ってしまいます」というメールを頂きました。

これは簡単に言えば特定の対象と同一化しているからです。
鏡に映った自分に「お前は誰だ?」と問いかけ続けると自我が崩壊してキチガイになる、
という話を聞いたことがあるかもしれませんが、キチガイになるかどうかは
置いといて、鏡に映った人物と意識が同一化するから「私」が生まれるわけですね。

ですから鏡に映った人物と意識が同一化するのと同じで、この場合は
”わかった!”という心の声と意識が同一化しているのであります。

大体、心の声って自分にも音として聞こえていないのに何故か”自分の声”と
認識
していますよね。ですから意識と同一化した心の声が”わかった!”
言った所で、”わかった私”が出て来てしまうので堂々巡りになるのですよ。

仮に”わかった!”という心の声が子門真人の声だったら恐らく”私はわかった”とは
ならないはずであります。

ですから心の声との同一化もやめれば、果たして思考や感情とは一体誰のものであって、
何なのか。そもそも思考や感情と同一化するものは存在するのだろうか、
それは今まで存在すると固く信じていただけで、実は存在しないのではないだろうかと
いう事が見えてくるのです。

”わかった人”なんて最初から居ないんですね。








若い人はマサトと言えばK-1の魔裂斗かもしれませんが、私が小さい頃は
マサトと言えば子門真人だったのですよ。
ちょっと検索してみたら子門真人ももう70過ぎだったんですねえ、
私も歳を取るわけだ。
全ての悩みや苦しみは「私の」という概念によって始まるのが殆どです。
「私の鼻は何故低いのか」とか「私は何故貧乏なのか」とかですが、
真に手放すというか執着を無くすのは「私は」や「私の」が完全に消える事が
肝要であります。

「花は何故咲くんでしょうか」とか「太陽は何故東から昇るのか」だと
詩的な感じもしますが、ここに「私の花は何故咲くんでしょうか」とか言い出すと、
途端に「私の鼻は何故低いんでしょうか」と同じようなお悩み相談になってしまいます。

花が咲くのは、ただ単に咲くだけであって、鼻が低いのはただ単に鼻が低いだけであります。
この前もゲームの話をしましたが、「マリオは何故帽子を被っているのか」というのは
「そういうものだから」に過ぎないのです。
ここで「帽子を脱げ」と言い出すからおかしくなるのです。

帽子を被った状態のマリオがプログラム上で完璧なのですから、
そこに帽子を脱ぎやがれと言い出せばプログラムは正常に動作しなくなります。
つまりバグった状態であります。

「私の」「私は」どうたらこうたらは、全てバグです。
バグった状態なのに、バグに気が付かずに暴れているからややこしい事になるわけですね。

別の表現に言い換えれば、花が咲くことを邪魔しているのと同じです。
花が咲くのはそういうものなんだから、余計な事をせずに咲かせてやれば良いのです。

「私」が居ないと世界は始まらないような気もしますが、実は「私」なんて最初から
居なくて、世界は始まりも無ければ終わりも無く、ずっと在ったのであります。

いかに今まで無数のバグでゲームの進行を妨げていたかを知るでしょう。
私の知人が任天堂の株が6万円だか何だかの時に買ったそうなんですよ。
当時は任天堂絶好調で、そいつはまだまだ上がると思ったそうです。

で、今は任天堂の株って1万円台まで落ちてるそうなのでm9(^Д^)プギャーとか
やってたんですが、何かここ数年の任天堂ってパッとしないですよね。

パッとしない原因はWiiUが売れてないからだと思いますけど、
あれってゲーム好きのいとこのガキも欲しがらなかったんですよね。
3DSではよく遊んでますけど。

私もファミコンブーム直撃世代のオッサンゲーマーですが、WiiUは友達の家で
マリオカートをちょっとやって、買うのはパスしました。

あれねえ、タブレット型のコントローラーがデカ過ぎるんですよ。
結局普通のコントローラーでやるのが一番良いという結論になってしまうんですね。

オッサンゲーマーとして言わせてもらうとですね、そもそも任天堂のハードに付いてる
ギミックってそれ無しではゲーム自体が成立しない、面白くないってものだったんですよ。

例えばNINTENDO64のコントローラーに付いてた3Dスティック無しの
スーパーマリオ64なんて考えられなかったし、Wiiリモコン無しでWiiスポーツとか
普通のコントローラーでやっても何か悲しいだけでしょう。


しかし、タブレットコントローラーがあっても無くてもマリオカートやピクミンは
特に問題無いっつーのが、WiiUのコンセプトが既に破綻している証拠だと思います。

ゲームソフトありきじゃなくて最初にハードありきでやっちまった感があるんですねえ。

で、いきなり話をスピ系に強引に持っていくとですね、
結局の所、展開している世界は全て意識に映し出されているものなんですね。
なのでまずその世界が破綻しない事が第一なのであります。

しかし自我、思考は世界に対しああでもないこうでもないと喚き出すので、
ここで苦しみだすのであります。
なので、自我は影のように実在しているように見えるけど、実在しないものである事を
知るのが肝要なのです。

そうすれば、ゲームの世界のように全ては勝手に動きます。
ここでやるべき事はゲームの世界のキャラのように”ただ在る”事だけです。
というか、ただ在る事しか出来ないのですよ。影は自分の意志では動けません。
自由意志があると勘違いしているかもしれませんが、影だけが動く事は無いですよね。

つまり在る事が意識の目的と言うか、イコール意識の証明のようなもので
それ以外は無いのであります。

ここで本当の意味で自分が居なくなり、世界だけになります。
夢の中の自分も意識に映し出されているだけなのと同じで、現実と思っている自分も世界も、
意識に映し出されているだけです。

そして色々と思い悩む自分、苦しむ自分は消えるのであります。
ゲームの世界から見れば自我や自由意志を主張して喚いているバグが無くなったのですから、
後はもうお任せなのです。








またゲームの話に戻りますけど、WiiUってWiiリモコンとか普通のタイプの
コントローラーとか全部別売りなんですよ。
結局色々ゲームやろうとすると、周辺機器でゴテゴテしてくるのは避けられないっぽいのも
マイナスですね。

そういうゴテゴテ感があるのも、何かWiiUって今の任天堂のエゴを象徴しているような
ハードですねってのは言い過ぎでしょうか。

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かなりアバウトな性格の既婚平民

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