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知らんモンは知らん

スピリチュアル系の願望実現ブログと思いきやそうでもない

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受験生の皆さんはセンター試験が迫ってきたり何やらで大変だと
思いますが、あの大学に行きたいとか何だという心境をこれはエゴですとか
エゴじゃないですとか考える必要はありません、疲れるだけです。

ちなみに私は十代ぐらいからまともに勉強した記憶が無く(夏休みの宿題とか
当時実家に居たお手伝いさんにやってもらってた)
今のネットスラングで言うFランも良い所のド底辺大学で遊びに遊びまくった
バカ学生だったので、熱心に勉強されている受験生の皆さんには
本当に頭が下がります。偉いの一言です、いやマジで。

というわけで「知らんさんはどのように受験に対処しますか?」という誠実なメールを
送って頂いた方、誠に申し訳ないですが私は受験にも人生にも遊んで対処してました、
ゴメンなさい。

で、話変わって今回の話題ですが、以前の話と被るんですが
何かをしたいとか何かを得たいというのは、
早い話がゲームに参加するという事です。

ゲームに参加するという事は既に半分は叶ってるわけですよね、
参加しなきゃ叶わない、つまり叶えるためにはゲームへの参加が
絶対条件なのですから。

プロ野球に行きたいと思ったら取りあえず少年野球か何かに入るのと同じです、
この時点で野球選手になるための条件の半分は既にクリアーされたのであります。

あとはゲームに勝つだけ・・なのですが、恐らく勝ったり負けたりを繰り返すでしょう。
何でかっつーと、勝ったり負けたりがゲームの本質だからであります。
なので負けるのが嫌ならゲームに参加しない事です。

つまり願望を捨てるという事か?となるかもしれませんが、
言葉にすればそういう事です。

何故ならゲームに参加しないという事は敗北も知りませんが、勝利の感激も
味わえないからです。つまり願望を実現して云々という形で感激するのは
困難です。


ええー、じゃあ絶望しかありません、もう死にます。となるかもしれませんが、
死ぬ前にもう少し待ってください。
実は我々は既に選べる立場にいるのですが、スピ系で多用される「喜びで満ち溢れて」
とか「愛に包まれて」という表現が曲者なのです。

このブログではなるべくそういった表現は避けて来ましたが、
「喜び」「愛」っつーとどうしても「ゲームに勝利しまくるから喜ぶ」
「勝利しか無いから愛せる」という風に捉えがちです、
というよりそのように捉えるなっつー方が無理があるかもしれません。

実際は愛とか喜びというのは全てが統一されているという認識から来るもので
あって、勝ち負けを超越したものです。
簡単に言えば、仮に空から1億円降ってきても感動しないんですよ、
お金の有る無しに左右されるゲームから降りているからです。

個人的にはギャルのパンティが空から降ってくる方が感動しますが、
それは置いといて、だいぶ前に歩くとか何だというのも全てあなたが創っているのだから云々と
書いた記憶がありますが、まさにそれです、それが全てです。

我々は常に当たり前のように選べる立場に居ます。
周りの空間はあなたが居るから存在するわけで、全てがあなたです。

が、しかし。 ここで自我にとっては大変に皮肉な事が起きてしまいます。
ゲームから降りてしまったので、自我にとっては「かつての渇望」が満たされても
何も感激しなくなってしまうのであります。
普通の人が一歩歩くたびに感激しないのと同じです。

「勝利する事の感動」が無くなってしまうのです。
「喜びと愛に溢れ」るのは自我を超越したものに気付いた事でもたらされるもので、
「ゲームに勝ったから」もたらされるものでは無いのです。

ゲームに勝つ事を求める場合、確実にナントカメソッドを渡り歩く事になります。
何故なら常勝を求める以上は必ず敗北がまとわりつくからです。
そうでないとゲーム自体が成立しません。
常勝とはイコール敗北を知りたい、なのであります。

この辺の感覚というか何というか、大変に理解し難いかもしれませんが、一歩歩く度に
いちいち「俺の勝ち!」なんて思わないですよね(思うって人がいたらゴメンね)

歩くという概念でも行動でも心理でも空間でも何でも良いですが、それを間違いなく
あなたは選択し、創ってますよね(ただこの選択とは、いわゆる自我が認識したつもりに
なっている”自由意志”ではありません。この辺話が長くなるんで割愛します)

しかしそこに感動とか何だとかはありますかっつー話です。
そもそも自我にとっての感動とか何だとかって全て条件付きでしょう。





というわけで受験生の皆さんはこんなくだらないブログ読んでないで勉強しましょう。
そうしないと、私みたいな遊び人になってしまいますよ。
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前回「とりあえず皆さん御一緒に幸せになればうんたらかんたら、
友達が先に結婚してもお祝いしてどうのこうの」と書きましたが、
「そんなのやっぱ無理」という方も多いと思われます。
というわけで内容は殆ど同じですが補足であります。

早い話がですね、全てはオーケストラのようなものです。
オーケストラは様々な楽器が調和して一つの旋律を作り上げていくわけで、
そこに楽器同士の優劣とか演奏者同士の戦いというものはありません。
あるとしたらそれは何故か戦いのつもりでやってる演奏者の中にあるだけで、
本質的にはどこにも戦いとか分離はありません。

なので「オーケストラの意識(?)」みたいのに気付くと
もはやそこには調和しかありえません、戦いや苦悩を見ていたのは、
まさに見たいから見ていたのです。
オーケストラの調和には「個」が存在しません、しかしオーケストラは存在します。
ここに真実の自分を垣間見る瞬間があるのです。

これはディベートでも同じで、本来ディベートとは、競技ディベートはともかくとして
互いの意見や主張を通して最終的にはお互いを尊重し、納得できる結論に
導いて行き、勝ち負けなどではなく議論を通じて各々の知的レベルの向上を
計るというものであります。つまり調和を目的としたものなのです。





何故に突然ディベート云々とか言い出したかというと、
私の彼女が学生時代にディベートのサークルだか何だかに所属してたそうで、
知的レベルの低い私にディベートとはこういうモノや、みたいにエラソーに
講釈垂れていた事を急に思い出したからです。

講釈は立派なのですが、私と言い合いになるといつも私をボッコボコに言い負かすまで
止めないのはディベートの精神に反しており、私の尊厳も踏みにじられているような
気がするのですが、これは気のせいでしょうか。
思いが実現するとか何だっていうのは、そんなに複雑怪奇な事じゃなくて
結構日常的に起こっている事であります。

例えばこれからは人に優しくしていきたいわとか何となく思うと、
困ってる人がやたら目についたり、ニュース見ててもどっかの国が水不足で
困っておりますとかの記事に目が行ったり、いきなり過去に思いをはせて
あの時もっと優しく接すれば良かったとか色々出てきます。

これはごく当たり前の事で、優しくするもクソも何処かに「困った人、物」が
居てくれないと肝心の「優しい人」になれないので、優しくしていきたいわという願望(?)を
抱いた瞬間に、既にそのような思いを実現するためのお膳立ては揃ってしまうのです。

なので願望でも何でも良いですが何かを抱くと、それは対立するものを創り出すという
形で勝手に実現してしまうのですが、結局「困難」の方に目が行きがちで
ああでもないこうでもないと苦しむ羽目になるのであります。

前述した優しい人になりたい云々のように、困ってる人が目に付くっつー事は
その人に親切にすれば嫌でも優しい人になってしまうわけで、
困ってる人が出てきた時点で既に実現しているのです。
困ってる人の出現を「困難」であり「何も変わってない」と認識するから苦しいのです。

じゃあ「困難」と逆を向けば良いのか、となりますが、それでも良いと思います。
しかし、願望はどんどん肥大していくものですから、それと比例するかのように
「困難」も肥大していきます。

復縁したらしたで今度は二度と別れたくない、もっと恋人に優しく接したい、
今度は一緒に牛丼でも食べに行きたい、そいでもって結婚とかしたい。
まさに終わりなき肥大であります。

別に肥大していくのが悪いわけではありません、肝心なのはそれはただ単に自我の
幻想に過ぎない事に気付いているかどうかです。

自我を肥大させずに分離と対立から逃れるには、早い話が「皆さん御一緒に
幸せになりましょう」
のスタンスで良いのです。
つまり周りの成功をひたすら祝福する。独身を誓い合ったはずの友達が先にイケメンと
結婚してもひたすら祝福であります。

実際は分離が無くなる事を経験すると全てが自分になってしまうので、
他人の幸せは私の幸せになってしまい、比較から生まれる悩み(私の方が
収入が低い、どうすれば収入を増やせるだろうかとか、友達にはいるのに
私にはいつまで経っても恋人がいないとか)は無くなってしまいます。
全て自分になってしまうので比較の概念自体が薄れるわけです。
まあ殆どの願望だの悩みだのは比較から生まれるわけですけど。

で、肝心なのは一般的な「願望」は比較対立するものを即座に出現させて
逆説的な感じで実現させます。バットマンになったと同時にジョーカーが現れるのと
同じです、ジョーカーが現れる事で「バットマンになる」は実現したのです。
ジョーカーがいなかったらバットマンはただの変態コスプレオヤジです。

しかし、比較対立が現れない分離の無い世界では、「他人」と認識するものが
幸せになれば自分=他人なので結局はどんどん幸せになってしまうのであります。

最後に残るのは愛でしたとか感謝感激だけでしたとかは、
分離が無くなればそれしかなくなってしまうのであって、無理矢理「愛を感じて、
感謝して」と”頑張って”行うものではありません。
最近の記事と内容が少々被りますが、様々な関連付けを止めるっつっても
難易度高いやんけ
というメールを頂きました。

確かに関連付けを止めるのは少し難しいかもしれません、
しかし関連付けという思考も、結局は単なる思考であります。

なので関連付けを始めても、それはただ単に風向きが変わった程度に
感じれば良いのです。外を歩いてて風向きが変わったぐらいで
いちいち吠えてたらそれこそアホです。

感情や思考にあなたを苦しめる力はありません、風があなたを傷付ける事が
出来ないのと同じです。が、風に向かって歩いたらバランスを崩して怪我するかも
しれません。

怪我の原因は風のせいではなく、風に向かって歩いたせいです、
怪我をするべくしてしたのです。

つまり風に抵抗した動きが苦しいのであって「苦しみの風」とか「絶望の嵐」みたいな
ファイナルファンタジーに出てきそうな風は存在しません、
存在するとしたらそれは、あなたが風に向かって歩いた時だけ存在するかのように
思える幻想です。
メールで様々な不安を訴えてくる方も結構いますが、
対症療法的に何やかんや言っても結局根本的な解決には
なかなか結び付かないようであります。

私はメールに返事を書くときは普段ものぐさな分、
かなり気合を入れて細かく書きます(多分)
そうしないと何か申し訳ないような気がしてしまうからです。
それが却って対症療法的な感じになってしまうようであります、
改めて自分の性格の良さを恨みます(?)

話を戻しますが、不安というものは結局関連付けるから不安になるのであって、
だったら関連付け無ければ良いのです。

無意識に自我は様々な事を関連付けています。
それは腹が減ったのでメシを食うといった事から、
明日までにいくら用意しないと大変な事になるといった
深刻なものまで様々です。

これらを止めれば良いのであります。実に簡単な話です。

で、ここでループするパターンが「では空腹でも仙人のように死なないのか」
なる事です。

ただ単に腹が減ったらメシを食うという関連付けを止めてみよう、というだけなのに
何故か「空腹でも仙人のようにどうのこうの」は新たなる関連付けです。
というより話飛びすぎです。

シンプルに言うと「ただ起きた事を観る」 まさに最近話題に出た瞑想であります。
瞑想しながら活動しているのか、はたまた活動が瞑想なのか、
まさに瞑想と活動はルビンの壺の如く表裏一体であります。

不安の全てが、何処にもいない自分を気遣う事から生じます。
何処にもいないのですから、いくら気遣ったって何もくれません。
新たな不安が出てくるだけです。

不安や絶望は様々なものに関連付ければいくらでも出てきます。
「何故、毎日祈ってるのに良いことが起きないのか?」
「何故、毎日愛を送ってるのに何も起きないのか?」

関連付けているからそのように不安になるのです。
大体愛を送るって何処に送ってるんですか、X星人とかガミラスとか
バッフ・クランとかに受信されて宣戦布告と勘違いされると困るのでやめてください。

極端な表現ですが、苦しみや痛みを見て喜び、愛や祈りを見て馬鹿にする事が
受け入れられないのは分離であります。
これらの表現が受け入れ難いと感じるのは、
存在しない「私」に気遣いしているからです。

分離が関連付けを生み、そしてまた新たな関連付けを生み出します。
その関連付けから生じた不安や絶望を一時的に癒すために、
愛だの神だの口当たりの良い言葉をまたも関連付けるのであります。
これはまさに悲しい一人相撲です。

という事はどうすれば良いのでしょうか?
答えは既に出ています、存在もしない「私」への気遣いを止める事です。
存在もしないものに気を使うのではなく、前から在った本当の自分に
気付いてあげるのが、クサイ言い方をすれば真実の愛であります。

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自己紹介:
かなりアバウトな性格の既婚平民

好物はすき家のチーズ牛丼・松屋のカレギュウ

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メールはsiranwa22☆yahoo.co.jpに
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