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知らんモンは知らん

スピリチュアル系の願望実現ブログと思いきやそうでもない

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昨日の続きです。

「ある特定の願望が「証拠探し」の一環となってしまっている
ケースがあることです。」
前回のこの部分は果たして何を意味しているのでしょうか。

まあ大した事じゃないんですけど、例えばエゴ視点から見てものすごく環境の悪い職場でも
家でも何でも良いんですけど、これらから逃れるために「もっと環境の良い所に行きます」とか
願うケースが結構あると思われます。これって結局、現在の状況が”悪い”という証拠を
自ら作ってるようなモンですよね。

何故なら環境が悪くなきゃそんな事願わないからです、これは源泉掛け流しに抵抗する流れで
あります。ではどうすれば良いのか。

答えは簡単で「今の環境最高!」とすれば良いのです。はやい話がそう思うだけです。
もちろん証拠は探しません、探してもしょうがありません。

「環境最高!」と言いながら職場に行ったら、職場の玄関に何故か馬の糞が落ちてたり、
上司のパソコンの「お気に入り」にこのブログが登録されてても上司に失望したりせず、
「最高!」なのです。

つまり内面の投影を全部丸ごと受け入れ、許容するっつー事です。
もっとくだけた言い方をするなら「全部最高、欠点は何もない」状態から
「さらなる最高」を求める
のが本来の願望実現法(あんまりこの言い方好きじゃないですけど)
なのであります。

「マイナスの状況である」と認めた状態で頑張っても疲れるだけです。
「全部プラスで、大満足です!」の状態で「今も最高だけど、もっと最高にしてみよう!」という
状態がベストであります。

「私はこのような状況に置かれていて、どうしようかと・・・」とか言ってる人は多いですが、
「このような状況」を「最高の状況」という設定にしてしまえば良いのです。

「今は、どん底です」というのは「どん底です」を強烈に意識してしまいます。
本来ネガティブな要素とは、エゴがそう判断しない限り存在しないので、
ビン底や靴底は存在しても、「どん底」は存在しません。

という事は、結局は常に「最高状態」なわけです。
「最高に最高を積み重ねていく」のが本来の状態です。
ドラゴンボールの悟空が既にアホみたいに強いのに「オラ、強くなりてえ!」
ヒマさえあれば修行しているのが正しいのです。

もはや潜在意識もスターウォーズもまったく関係無くなりましたが、
「引き寄せの法則」っぽく言えば「悟空のメンタル」が引き寄せに適したメンタルと
言えると思います。

まあ本来は引き寄せも悟空もクソもなく、我々は常に幸せとか愛とか何だとかそのものとも
言えるのですが、その辺はややこしくて書くのがめんどくさいんで、とりあえず上記の内容を
適当に流し読みすればOKです。
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「潜在意識に願いをインプットしています、
最近、願いに関係する事柄みたいのがちょこちょこ周りに起こるようになってきました。
これは潜在意識へのインプットがうまくいっている証明でしょうか!?」
 

みたいなメールを頂いたのですが、私は別に潜在意識の専門家でも何でも無い
ただのオッサンなので、返答に困ったのですが、とりあえずちょうどネタも切れてたし
これ幸いとばかりに今回のテーマとして採用させて頂く事にしました、ありがとうございます。

まあこれは潜在意識は置いといて、恐らく願いというか意識が向いているのが、前回も書いた
「証拠を探したい」にシフトしているのではと思います。

「潜在意識に願いをインプットしたんだから何かしらの兆候があって良いはずだ」という
期待感がそのまんま現れているのではなかろうかという事です。

ですから「証拠っぽいもの」がわんさか出てくるという実に単純なオチであります。

これに似たような内容で「どうでも良いのは叶うけど、本願がどうにもなりません」というのも
ありますが、これも同じで「どうでも良いもの」は大した証拠探しをしていないから
あっさり自分の所に来ちゃったりするんですよね。

それに対して「本願」(ていうのはあくまで勝手に決めた事なんですけど)は、
どうしても「証拠を探したい」となるので、証拠ばっか出てくるのにどういうわけか進展しないと
いう事が多いわけです。

どうでもいい女の子とはすぐに仲良くなれるのに、意識した女性に対しては
彼女の態度や仕草が妙に気になって、お話してる割にはどうにも仲が進展しないのに似てますね。
まあ私はすぐに進展するんですけど彼女の気持ちがどこに向いているかという証拠探しを
してしまう心理と、「本願」がちゃんと自分に近付いているかどうか確かめたいという心理は
何となく似ています。

結局ですね、「証拠を探さない」っつー事はもうそこに在るからなんですよね、
探しようがないわけです。対して「証拠を探す」ってのは「無い」事が前提になってしまって
いるからなのです。だから無いのです、だって在るんだったら別に証拠探さないでしょう。

しかしながら、ややこしいのはある特定の願望が「証拠探し」の一環となってしまっている
ケースがあることです。これについては次回の「洗剤意識 ジェダイの帰還」に続きます。

もう潜在意識全然関係無いやんけ、と言われそうですが、もちろん既に全く関係ありません。
しかし今日はたまたまスターウォーズのDVDを見ていたので、この調子で行きます。
現実に証拠を求めてもしょうがない、という話を何回か書きましたが、
願望が出てきてさあどうしようとなる場合、殆どの方は「既存の概念に照らし合わせて」
判断する癖があります。 

例えばお金が欲しいなあとか思うと、じゃあどうやってお金を得るかと考えます。
給料の良い仕事を探そうかなあとか、商売でも始めるかとか色々考えると思いますが、
しかし、よく考えれば別にお金を得るのと働くという事はイコールではありません。
昨日の別れたから復縁だはイコールじゃないってのと似ていますが、
これとこれはイコールである、とそのイコールを決めているのは他でもない自分であり、
別に法律で決まっているからとか、周りの人がそうしているからとかは関係ありません。

これと同じで預金残高が500ペソしかないから貧乏だぜというのも勝手に
預金残高少ない=貧乏という設定を決めているのは自分であり、
異性が周りにいないから恋人がいないんだというのも、イコールではありません。

もちろん預金残高が1億ペソあるから金持ち、というのもイコールではありませんし、
今日一日ハーレム状態だったから彼女いる、もイコールじゃありません。

結局願望実現を阻む最大の障壁はこの「証拠を探したい!」なんですよね、
既存の概念の延長線上に願望を置くからややこしいことになるわけです。
本来はゼロからスタートしているのに、何故か今まで走ってきた(つもり)の地点から
物事を考えてしまうわけですね。

そもそも預金残高を確認してまでわざわざ自分を「貧乏」と名付ける必要が
何処にあるのでしょうか。

それだと「貧乏」になりたがってるだけじゃないですか。

で、少々話が飛びますが、このブログで言う「源泉掛け流し」からポコポコ湧いてくる願望だ何だに
アプローチする方法は大きく分けて二つあります。
一つは今までの既成概念ごとまるっと取り込んでしまう方法です、これは何度か書いていますが
「叶っているから研ナオコ」状態であります。

もう一つはこれも今回含めて何度か書いていますが一切の証拠探しをしない方法です。
そもそも源泉掛け流しに証拠など必要ありません、湧いて出てきてるんだからもう在るんです、
わざわざ証拠を探して一喜一憂する必要はありません(証拠という概念は、色々思い悩む
エゴの後付であって、源泉掛け流しからは出てきていないはずです、結局証拠探しって
「それをしたいからそのようにしている」だけ
なんですね)

これは研ナオコの存在すらガン無視し、現実(と思っているもの)すらガン無視する方法です。
つまり現実(と思っているもの)に主導権を渡さないという事です、何故ならそれは真実の世界では
無いからです。

しかし、上記のように「現実は真実じゃないでござる」「幻だぴょーん」となると、
ある大きな勘違いをしてしまう場合があります。

それは「現実は幻なんだから何やっても構わない!」という「設定」を作る事です。
これ、話がややこしくなるんですけど、「現実は存在しない」=「幻だから何やっても良い」を
イコールで結び付けるのは、やはりその人が勝手に設定した事なのです。

この辺は文章で書くと殆ど意味不明になりますが「現実=幻」のイコールも、やっぱり真実じゃ
ありません。じゃあやっぱし現実って存在するんじゃん、「現実=存在する」なんですね。
となるかもしれませんが、そのイコールも真実じゃありません。

だから真実というものは、客観的には存在しない、存在するとすればそれは決して
知覚出来ない「真実」自身です。
真実は自分を真実と知覚する事は出来ないのであります。

その「知覚する事は出来ない」事に気付くと、何かが変わると思います。
知覚する事が出来ない何かが常に在り、それはあなた自身なのですから
何もしなければ良いのです!って「またこれかい!」と思うかもしれないですけど、
そうとしか言いようが無いのであります。

まあ取りあえず色んなものを無意識にイコールで結び付けてたら、
それは違うんだなと認識出来ればOKです。
結局の所、自分で結び付けたいから結び付けて勝手に一喜一憂してるんだから、
そんなの止めれば?って事ですね。

「何もしなくて良い」はオマエが説明に窮した時の逃げの手口じゃないか!とか
そんな余計な事もイコールで結び付けなくて良いですよ、断じてそんな事ありません、多分。
昨日の「無一文でも万事OK!」はエゴからすれば強烈な抵抗を生み出すものだと
思います。実際、読者の皆さんからのメールでも「無一文を受け入れて、幸せを
唱えていれば良いのか」みたいな内容のメールも頂きましたが、
これだと「無一文」は不幸であるという概念を強化しているだけです。

無一文を受け入れる、のは良いのですが別に幸せを唱える必要もありません。
何故なら無一文は不幸ではないからであります。
無一文自体に不幸という要素はありません、それにくっついてくる様々な概念こそが
「不幸」という勘違いを生み出しているのです。

Aさん「いや、それは違います。私は現に破産して妻と子供に逃げられました。
これを不幸と言わずして何というか、やはり無一文は不幸なのです」


これもよく見れば破産とか家族に逃げられたと「不幸」はイコールではありません。
イコールにしているのはAさんです。
Aさんの見ている宇宙では破産することは不幸であり、家族に逃げられるのも不幸であるという
定義付けをしていたから、そうなっただけであります。

「破産しそうだ」「これは不幸な事だ」と勝手に結び付けたので、信じた通りに
なったという事です。ちょっとわかりづらいかもしれませんが、破産という概念と、不幸という
概念を勝手に結びつけて、不幸を創っているだけなのです。

破産という概念と、不幸という概念を結びつけなさいという法律は無いのに、何故かそれを
やってしまっているわけです。
破産という概念と、幸せという概念を結び付けても、
別に誰も文句は言いませんよね。

それと同じで恋人と別れたという概念と、復縁という概念を何で勝手に結び付けているんですか?
結び付けなきゃ良いじゃないですか、別れたと復縁はイコールじゃないですよ、
それをイコールにしてその世界を創るかどうかを決めるのはあなただけです。

復縁でどうのこうの苦しむぐらいだったら、別れたと幸せを結び付けた方が良いと思います。
その結果、幸せを創れます。それは結果的には復縁かもしれませんし、もっと素敵な異性との
出会いかもしれません。それはわかりません、でも幸せと結び付けた以上、
あなたは「今」幸せになれる。昨日も書きましたが将来的な成功なんてありません、
「今」どうなのかという事です。「今」幸せを選択すればよろしい。

もう復縁という概念を持ってこなくて良いんです、苦しむ必要なんてありません!


最近、復縁で苦しむ方のメールを頂いたので、柄にもなく熱く語ってしまいましたが
このブログ的に言えば「復縁で苦しんでいる人は、イコール気の毒だ」と勝手に結び付けているのも
私自身なんですねえ、私もまだまだ修行が足りません。
私の祖父は今から10年ちょっと前に亡くなったのですが、
地元ではそれなりの資産家で知られる人でした。でもって7人もガキを作っていたので
当然遺産を巡っての骨肉の争いが勃発しました。

私は単なる孫なので直接は関係無いのですが、オヤジが相続した祖父の遺産の
一部を譲り受け、それを現金に変えると結構な額のお金になりました。

当時まだ二十代だった私はそのお金で遊びまくりました。恐らく後にも先にも
あんなに遊んだことはないというぐらい遊びました、まさにリア充街道まっしぐらです。

しかし、良かったのは最初の一週間ぐらいであとはもう虚しいだけでしたね。
結局、遊びってたまに遊ぶから良いんで、それが当たり前になっちゃうと
もう作業なんですよ。
モンハンが最初は楽しくても気が付くと作業ゲーになってるのと同じです。

当時は「女遊びって意外とすぐに飽きるんだな」とか女性の事ばかり考えてましたが、
今思うと結局お金って本当に単なる紙切れで、それが決して幸せを運んできてくれるものではない
っつー事に何となく気付けたのかなあとか思います。

お金と幸せ、あるいは異性の存在と幸せって強烈に関連付けてしまうものですけど、
実際は関連付けているからそのように見えるだけで、別に関連性はありません。
お金があるから幸せ、恋人がいるから幸せは、そう見えるだけで別に両者に関係は
無い
のです。

もちろんお金が無いから不幸、恋人がいないから不幸、も関係ありません

で、昨日の話だと我々は実は一つなので、本来幸せとか不幸って概念はおかしいんですよね。
エゴの視点だと他者との比較で幸せとか不幸とか判断してしまいますが、
一つであるなら何が起ころうが全然関係無いので、幸も不幸も無いのです。

ですから別に金持ちになろうが、無一文になろうが、恋人が居ようが居まいが
全然OKなんですね。

でも「無一文になるなんてトンデモねえ!俺には女房も子供も居るんだ!」と
思われる方もいると思われます。
しかし、それは既に無一文と不幸というものを勝手に結び付けているだけです。
そして「金持ちになれた、これで女房と子供を食わせていける!」というのも
金持ちと幸せというものを、やはり勝手に結び付けているだけです。

別に「無一文になった!女房と子供を食わせていけるぜ!」でも良いのです。
数日前に書いた「ケツを掻く度に1万ペソ」と似ていますが、
何故「無一文になった、女房と子供を食わせていけるぜ!」が異常に感じるのか、という事です。

別に「無一文なったけど大丈夫」とか唱えろと言っているのではありません、
いかに関連付けで構成されているニセモノの世界に生きているかという事に
気付いて頂きたいわけです。

関連付けをどんどん無くしていくと、もう「私」は何処にもいません。
一つである事を思い出さざるを得なくなるのです。
波ではなく海になるのであります。
そして海が、あなたという依代を通じて世界に流れ込むのです。

あなたの全ての行為は、大げさに言えば母なる海の代弁者であります。
言葉や行為を持たない海が、あなたという依代を通じて「今」言葉を発し、行為しているのです。
まさに「今」しか無いのです。

ですからあなたは将来的な成功は出来ない、出来るのは「今」成功する事だけです。
海から流れ込む行為を、世界に送り込むという「今」やっている行為こそが
至高の行為なのであります。

これって、何かに似ていると思いませんか、そうイタコです。
本当の意志を持っているのは海であって、我々(と思っているもの)は
単なる仲介者のイタコだったのであります。

なんか最近はわかりづらい記事が続いていますが、
まあ早い話が「依代なんだから余計な事しなくて良いよ」ってだけの事なんですけどね(笑)

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かなりアバウトな性格の既婚平民

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