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知らんモンは知らん

スピリチュアル系の願望実現ブログと思いきやそうでもない

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「抵抗があるから叶わないのである」とか、スピ系の実現本やサイトにはそういった
わかったようなわからないような事が度々書いてありますが、
これは世界を湧き出させている源泉掛け流しにすべて委ねろよ、という事です(多分)
もうちょい正確に言うと最初から委ねている、あるいは委ねざるを得ないっつー事
気付くという事です。 

現実世界においても、既に読者の皆さんはその源泉掛け流しの力を受けています。
それは、読者の皆さんの姿形がとりあえず人間の形をしているということです。
これは絶対に坑がうことが出来ないものです。

人間の形である以上、歩いたり走ったり何かを掴んだりメシを食ったりという「動作」は
絶対に制限されてしまいます。人間である以上は、人間でいう肩がある位置から
メシを体内に入れたりは出来ないのであります(俺は出来るよ、という人は至急メールください

わかりづらかったかもしれませんが、「抵抗」とは上記のように源泉掛け流しから与えられた
「人間フォルム」に坑がっている状態です。

源泉掛け流しから願望が浮かぶと、やはり掛け流しが最も適したものを与えてくれます。
例えばケツが痒いのでケツを掻こうと思えば手で掻くはずですが、これは「人間フォルム」にとって
ケツを掻くのに最も適したものが「手で掻く」事なので、手を自然と使っているわけです。

ここで足を使ってケツを掻こうとしているのが「抵抗」している状態であります。
願望が浮かんだら、「どうすれば良いのか、ナントカメソッドを毎朝やらなければならないのか」とか
色々考えているのと同じ状態です。

源泉掛け流しから何だか知らないけど「人間フォルム」が湧き出てきて、それに伴って
そのフォルムに最適な世界が湧き出ているわけですから、どうあがいたって源泉掛け流しが
創り出した世界に抵抗したって無駄
なんですよ。

願望が源泉から湧いてきたら、放っておけば良いのです。
ケツが痒いから掻きたいという「願望」が湧いてきたら何も考えずに「手で掻く」という最適な方法が
勝手に湧いてくるのは、先程の話で証明されました。ですから結局、どんな大胆な願望でも
湧いてきたら後はもう足で掻こうとかしないで「抵抗をやめる、受け入れる、委ねる」事です。

逆に言えば、源泉掛け流しから湧いてきた「人間フォルム」と「人間フォルムに適した世界」を
受け入れている以上、結局はその範囲内の願望しか湧いてこないんですよ。
つまり、願望は可能だとか不可能だとか以前に、実現可能なものしか出てこれません。

「こっちの足でバットを持って、こっちの足でボールを蹴って、こっちの足でスケートを履いて、
こっちの足は水虫になる」とかの願望は湧いてきません。何故なら人間フォルムである以上、
足は四本も無いんだという事を抵抗せずに受け入れているからです。

受け入れているからこそ、最も適した願望が浮かんだらそれを抵抗せずに源泉掛け流しに
委ねてしまえば良いのです。そもそも「人間フォルム」と「人間フォルムに適した世界」を
すんなりと受け入れているのだから、それに準じた願望が湧いてきたら変に色々考えて
抵抗する方がおかしい
のであります。

あまりにも当たり前過ぎて気が付かないだけで、源泉掛け流しの力は重力が物体を
支配しているのと同じように、常に働いていたのであります。



追記・アクセス数が一日800ヒットを超えるまでになりました。
多くの方に読んでいただいていると思うとそのプレッシャーで毎日押しつぶされそうです。



なわけないだろ
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昨日の記事の内容について「一度殴られたぐらいなら受け入れたり出来るけど 
何度も殴られたりしたら猛烈に復讐願望みたいのが出てくるので、こういう時は
どうすんの」
という内容のメールを頂きました。

まず「何度も殴られる事態」というのが世界=自分であるという観点から見ると
どんだけ殴られたがってんだという話になりますが、結局そのような事態が
繰り返し繰り返し起こってしまうということは、何かしらそのような概念的なものが
内面に存在するということです。

ですから昨日の話に戻ってしまいますが、「殴られた」や「怒り」と距離を置こう、と
なってしまいます。

もし仮に復讐が成功しても、それによって様々な感情が渦巻いて、結局それらに
振り回されてしまうと、今度は「復讐を望みたくなるような出来事」
次々と起こってしまうかもしれません。

こうなるとまさしく血で血で洗う毎日に突入するかもしれないので、
そういった仁義なき戦いに身を投じたい人はともかく、普通に暮らしたいと
思っている人には、やはり復讐願望自体持つ事をお薦めしません。

結局の所、復讐という「願望」も一般的な願望実現メソッドと同じ罠に陥りやすいのです。
まあ復讐したいも結婚したいも「同等」なんですけど、復讐したいんであなたに愛を送りますとかは
難しいですよね。

「復讐したい→復讐したくなるような事が次々起きる」は願望実現メソッドに熱心に取り組むと
「願望を実現したい」→「願望を抱くような出来事(不足)」が次々と起こるという
ループに陥る場合と似ています。(実現したい、のだからお望み通り実現したくなるような不足が
次々出てくる
わけです)

このループを脱するには少し骨が折れると思われますが、
その辺は次回以降の話です。

まあ以前の記事でループを脱するための話みたいのを恐らく書いていると
思うのですが、そんな事は気にせずこのブログの内容もループであります。
以前の記事で、「好きな人がいるのはあなたがあなたを好きだから」
書きましたが、じゃあ嫌いな人の存在は何ぞやと思うかもしれません。

「好き」という言葉から受ける印象が色々あるので表現が難しいのですが、
全部自分が創っているのだから、基本的に「全部受け入れる」つまり「嫌いとか
憎たらしいとかが無い」
という事です。

つまり「受け入れ状態」=全部好きとか愛が溢れてますとかスピ系でよく見る
クサい表現の状態がデフォルトなわけで、嫌いという概念は本来存在しないので
あります。

ただこう書くと「じゃあさっき私をぶん殴った変なオッサンまで好きだよとか
愛しているとか感じなきゃいけないんですか、そんな事出来ません!」と
なると思われますが、そういう意味ではありません。

それだと「殴られた怒りを抑えるために」無理矢理「愛を感じます!」とか言い出すという、
傍から見るとアブナイ人になってしまいます。

実際はただ単に殴られたっつー事が在るだけです。それを創ったのはあなたであります。
「なんでそんな事を創ってしまったんだ!」 そんな事は知りません、
大体そんな事いちいち言い出したら、なんで自分が日本人なんだとか、なんで俺は男なんだとか
なんでこのブログは飽きもせずに毎日更新されてるんだとか切りが無いじゃないですか。

つまり「何故俺は日本人なんだ!」と「何故俺は殴られたんだ!」は同等なのです。
「殴られた」という言葉から受ける印象で「何だか良くないものを創っちまったぜ!」
勝手に騒いでいるだけなのです。
つまり「殴られた」という言葉、イメージに「悪い事だ」という「力」を与えているのは
他でもないあなたであり、あなたにしか出来ない事なのです。

それに気付けば、嫌いな人だろうが何だろうが関係無いのであります。
嫌いな人は、嫌いだという事に何故か力を与えていたので、どんどん肥大していくのです。
一日中嫌いだ嫌いだと感じていれば、そりゃどんどん「嫌い」が増大していきます。
好きな異性の事を一日中考えていると、どんどん「好き」が増大するのと同じです、
つまり紛れも無くそれらを創り出しているのはあなたです。

ですから「嫌い」に意識を向けなければ良いだけです、そうすればもう「嫌い」という事に
意識が行かなくなるので、「嫌い」は世界から消えていくでしょう。外の世界(と思っている)の
嫌いな人をぶっ殺して抹殺するとかではなく、あくまで自分の内側に
「嫌い」が創られているのだと気付き、それと距離をおけば良いだけです。
「嫌い」を肥大させるか、それとも距離を置くかはあなたにしか出来ません。

もし「殴られた」なら「殴られた」にわざわざ力を与えない事です。
「殴られた」が主役ではなく、主役はあくまであなたしかいないのです。
別に殴られたなら怒っても全然構わないのです、ただ主導権が怒りの感情にあるか、
その感情を認識しているあなたにあるかで、その後の展開はだいぶ違います。

つまり、感情とあなたは別物という事です。
どんな感情が湧いて出てこようが、それはあなたとは関係ありません。
関係無いということは、感情が主役ではなく、感情を選ぶことのできる存在、
すなわちあなたが真の主役であるということに気付けるのです。
ここ最近は、わかったようなわからないような抽象的な話と、ハンバーガー食ったとかの
話しか書いてないので、たまには具体的なメソッドっぽい事を書きましょう。

前から何度か書いていますが、とりあえず意識を向けると具現化するわけで、
お金に関して言えば日々の支払いとか何だとかに意識を向けながら「私って金持ちだわ」とか
やっても結局「支払い」の方に意識が向くので思ったほどうまくいかないかもしれません。

じゃあどうすんだっつーと、「支払い」は置いといて財布の中身を気にせずに
ホイホイ買えるものだけに意識を向けるのであります、実際にそれを買っても良いと思います。

例えば近所のドラッグストアで98円のペットボトルが売ってて、98円ぐらいなら
何も気にせず買えるならちょこちょこ買っても良いのです。
98円でも苦しいわって言うなら駄菓子屋でも見つけて10円のガムでも買いましょう。

このメソッドの狙いは「特にお金に困っていない」という事に意識を向けさせるという事です。
意識が「お金に困っていない」方に向かっていれば、自然とお金に困っていない
世界になるでしょう。

ただし、このメソッドを「ただ単に無駄遣いしてるだけやんけ」と感じたなら、
向いていないと思われるのでやらない方が良いです。
「無駄遣いしている」に意識が向くとややこしいことになります。

まあ結局の所、お金に関しても多いとか少ないとかではなく、概念を自分が創造しているだけです。

私は祖父がそこそこ資産家だったせいもあって、中学の頃は小遣いを5万円ぐらい貰っていました。
恐らく中学生としては多い額だったと思います。

当時、ティーンエイジャー向け雑誌の星占いで「今月のキミは金銭運が大ピーンチ☆」とか
書かれていても、「そんなわけ無いじゃん、この占い師インチキだぜ」とか言ってニヤニヤしている
ムカつくガキでした。

でもそうやって余裕こいていると、結局金銭運がピンチとかならないんですよね。
今思うとあれだけムカつくガキだったからこそ、ガキの頃はそんなに金が無いって事に
ならなかったのかなあとか思います。まあこじつけって言えばこじつけなんですけど。

「でも私は小遣い5万も奥さんから貰えません」とか「10円のガム買って金持ち気分て
むなしくないですか」
とか思われるかもしれませんが、このメソッドは別に金持ち気分に
浸るものではありません、いかに「金に困ってない世界」に意識を向けるかというものです。
ですから「金持ちになれる」とは少し違います。

いきなり「金持ち」に意識を向けるって、いざやってみると結構難しいんですよね、
ですからとりあえず「そんなに金に困っていない」に意識を向ける事の方が良いんじゃないかと
思います。

金持ち系メソッドやってる人の特徴みたいなのって、「将来的に金持ちになれるから大丈夫」
思っている傾向が強いことです。
これだと「将来」を待ち続けることになってしまいます。

そうではなくて「今、十分にお金がある(困っていない)」という意識に変えていった方が
良いのではなかろうかという話でした。

結局、「今」しかないですしね。
読者の方からのメールに書いてあったのですが、ある本に「到底叶わないと思える願望を抱こう」と
書いてあったそうです。で、その読者の方は「AKB48全員と付き合いたい」という
願望を抱いたそうです。

しかし一人三ヶ月付き合うとしても、48人と付き合うとするとトータルで実に144ヶ月、
12年かかる計算になります。よく考えると前田敦子が32歳になってしまっているので
これは到底叶わない願望と言えるでしょう。

まあ私だったら「全員と付き合う」のではなく「全員とヤる」事を選びますね。
これなら一人一時間としても、二日間必死に頑張れば良いだけですし。

冗談は置いといて、その後「AKB48全員と付き合える」恋愛ゲームが出たらしく、
メールの投稿者は「ゲームかよ!」と思ったそうですが、今回の話はそこではなく、
まず「到底叶わない願望」とは一体誰がそう思っているのかということです。

「到底叶わない」はエゴが居るからこそ出てくる概念と言えます。
「到底叶わない願望を何か一つ言ってみ」と言われると、無意識のうちに「自分」を作って
自分基準に「到底無理」なものを考えます。

ここで重要なポイントが出てきます。
結局の所、願望を実現したように見えても、それは「自分」という狭い殻の中で、
本来は存在しないエゴに対して何やかんやとやっているということ
なのです。

願望実現系のブログとかで「制限をかけている概念に気付いてうんたらかんたら」とか
書いてあるのを以前見た記憶があるんですけど、最大の制限は「自分」という幻なのです。

例えば「結婚して、大きい家に住んで、幸せな家庭を築きたい」とか願っても
「結婚相手はこういう人で、家は広いけど都心部は高いからちょっと郊外でも良いや、
幸せを願えばそれで良いんだ」とか何だかんだで「自分」を基準に考えている人もいるかも
しれません。

別にこれが間違っているとかいうわけではありません、しかし冷静に見ると
結婚相手も「自分の」好み、住む家も「自分の」経済状況を基準にしていますよね。
つまり殻から一歩も出ていないのと同じです。

こう言うと「じゃあ自分を無くすとは、結局は願望を感じなくなる仙人みたいな
存在になれっつー事ですか」と思うかもしれません。

まったく逆です。自分という殻を無くすからこそ、制限が外れて
今ままでせき止められていたものが溢れてくるのです。

雨が降ってくれば、地面は勝手に水分を吸収して植物を育て豊かな森を作り出します。
雨が降ってきてるのに「雨をたくさん集めたい」とかいって馬鹿デカイ壺とか持ってきても、
地面に吸収される水の量には到底太刀打ち出来ません。

ナントカメソッドの殆どはこの「デカイ壺を持ってきてどうにかしよう」という
類のものなのです。つまりデカイ壺=「自分」という制限であります。

いくらナントカメソッドで効果が出ても、それは壺が巨大化していっているだけです。
大地の広大さに勝てるはずもありません、だから叶ったり叶わなかったりなんですよ。

エゴは「壺はデカければデカイほど良いよ!」とささやくと思いますが、何の事はない、
壺をどかせば良かっただけだったのです。

昨日も書きましたが、とりあえず願望云々は置いといて自分の存在を疑ってみて、というのは
この感覚というか何というか、「自分」という基準を作る前の状態に気付き、いかに制限を
かけてしまっているかという事に気付いて欲しいのであります。

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職業:
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自己紹介:
かなりアバウトな性格の既婚平民

好物はすき家のチーズ牛丼・松屋のカレギュウ

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