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知らんモンは知らん

スピリチュアル系の願望実現ブログと思いきやそうでもない

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個人的な感覚としては、ある願望が叶ったところを事細かくイメージするより
その時の感情に浸る方が効果的だと思います、簡単だし。

状況を事細かくイメージするのは、結局本来は存在しない「未来」や「過去」
イメージが入り込む可能性が高いからです。

「今」しか無いし「今」叶えれば良いのにわざわざ他のモンを持ってくる必要は
無いということですね。「時をかける少女」っつー原田知世主演の映画が
私が子供の頃にやってましたが、時をかけちゃダメなんですね。

ただこの辺は「時間」の概念とかが変わっていないとちょっと理解しがたいかも
しれないですね、「時間」も存在せず「今」しか無いことに気付けば、
感情に浸ってどうのこうのとかは実は関係ないんです。

つまりあらゆるメソッドはこのブログで言えば「源泉かけ流し」に至るための
ものであって、メソッド自体に神秘のパワーがあるわけではありません。
いくらブログでメソッドを書いたところで、それはただの文字の羅列以外の
何者でもありません。

自転車に乗るのと同じで最初は肩の力を抜いてとかペダルを素早くこいでとか
色々考えますが、乗れるようになっちゃえば何も考えてないのに近いです。
ですから前も同じ事書いてるかもしれないですが、メソッドの類にあんまりこだわらない事です。

と言ってもやっぱりエゴが納得しないと思うので「時間」の概念を変えるというか、
「時間」を無くすメソッドを紹介します。

やり方は簡単で「未来」や「過去」に思いが飛んだら、それは全く自分には関係の無い
単なる妄想だと思うことです。実際、未来や過去は頭の中で再生されているだけなので
文字通り妄想なのであります。別に妄想が浮かぶのは良いのです、それに変にリアリティを
持たせる必要がない
ということです。

「時間」が消えると、過去への後悔も未来への希望(不安)も無くなります。
何故ならそれらにリアリティを感じなくなるからです。

過去や未来に思いを馳せるのは何故かというと、叶っていないから思いを馳せる事が
多くなるわけです。つまり「時間」の概念に縛られていると、叶っていない世界に
ずーっと住んでる状態となります。


明日以降ももうちょい突っ込んで書きますが、まずは今まで当たり前のように感じていた
「時間」を否定して、世界観を変えていきましょう。
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タイトルにもあるように今回の記事は男性専用記事(R18指定)であります。
ただ、読み返してみてあまりに内容がくだらないので「どうでもよい話」に
カテゴライズしました。

世界=自分を体感するヒントはAVにあり、という話なのですが
これはAVを観てて、いわゆる抜き所では世界と自分が一体化している感覚に
近い(かもしれない)のです。

例えば綺麗なオネーチャンが犯られるAVを観てたとします。
オネーチャンにオヤジの股間の超合金がぶち込まれる瞬間が抜き所なわけですが(俺は
そんな所では抜かない、
という人でももちろん何の問題もありません)
この時夢中になって画面を見ている「私」は何処にいるでしょうか、

画面内には「私」は居ないはずなのに、画面内のオヤジ、さらには画面内全てと
身も心も一体化しています。

おお、まさに世界=自分になっている!!!

この感覚に近いかもしれないのです(結構マジに言っています)
さあ、今すぐAVなら何でも良いのでツタヤで借りてきましょう!
「私」がいなくなると不足が無くなってしまう、ということを度々書いていますが
とりあえず「空からお金が降ってくるようになるんですか?」とかは置いといて、
何で不足を感じなくなるかというと、簡単に理屈で言うと「私はナントカが欲しい」と
言う場合、当然ながら欲しているのは「私」であります。

ですから「私」が消えるとナントカしかないので、もうナントカそのものと言えるのです。
理屈で言うとこれだけです。わけわかんねーよと思った人もたくさんいると思いますが
理屈で説明しろやと言われたらこうなってしまいます。

色々と願望が浮かんできたら「私は~」を付けないで放っておけば良いのであります。
ただ、結局これだとエゴが納得しないでしょうから今日はもう少し話を続けます。

これから書くのは初心者向けの簡単なメソッドです。
まあ実際は初心者もクソも無いのです、何故なら度々書いているように最初っから
既に居たのです、とか最初から源泉でした、とか書いているように最初っから完璧なのです。

が、またその話になると同じパターンを繰り返す事になるので、
とりあえず最初っからどうのこうのはスルーして、話を進めます。

まず願望が浮かんできたらエゴが出てこないようにして(つまりあれこれ考えず)放っておきます。
願望やそれに伴う感情を単なる電磁波というか何というか、とにかく自分とは関係無いものだと
捉えます。


ですから電磁波じゃなくてもこれは単なるオナラだとかゲップと同じようなものだとかでも
全然OKです。

で、なんとなくワクワクというか何か嬉しい感じ、満たされている感じになったら
それで終了です。「私」が無い状態は不足が無いので嫌でも満たされてしまうのです。
さらになんとなく周りの景色の「色」が違って見えたら多分いい感じです。

色が違うといってもこれはあくまで「何となく」のレベル、殆ど気のせいで片付けられる次元です。
駅前のケンタッキーのカーネルサンダースが黒人に見える、とかにはなりません。

とりあえず、理屈で説明できる範囲はこれぐらいです。
でも恐らく、望んでいないことも起こるでしょう。そしてショックを受けて「やり方が違うのか」とか
思い悩むかもしれません。

しかし、それは「私」が勝手にショックを受けて勝手に悩んでいるだけです。
満たされる気分というのは、理屈で言えば源泉の流れに乗ったという事です、
ですから流れに乗っているのですから「私」を引っ張り出してきて流れを止めてはいけません。

「私」はあれこれ悩んで流れをせき止めようとします、
それはまさにエゴの抵抗であります。

一旦流れ出したら、止まらない事です。
ここ最近、ナントカメソッドとか題してメソッドぽく書いてましたが(?)
読み返すと「僕ボクサー」だの「プロゴルファー猿」だの
まともなメソッドが無いことに今更ながら気付きました。

これではいけないと少しだけ思ったので、今回は実用的かつシンプルな
メソッドをご紹介します。

それは「死ね死ね団」メソッドです。
これは文字通り「死ね死ね団に殺された」という設定で「死んだフリ」をするだけです、
まずは一旦死ぬので目を閉じましょう。

しばらく死んでから目を開けて自分の手足を見るのです。
どうなっているでしょうか、恐らく何も変わってないと思います。
何故変わっていないのか、それは「自分」の手足はこのような形である、という
強烈な無意識の思い込みがあるからです。

この普段全く気付いていない強烈な思い込みが、世界を形作っているわけです。
これに気付けば、前も書いたと思いますが世界が徐々に抽象的になっていきます。
「世界」の意味付けというかレッテル貼りが崩壊していくのです。
今まで「これは~ナントカだ」と思っていた概念を壊していくわけです。

「そんな事言ったって私の腕は目の前にありますよ」となるかもしれません。
でもそれは「自分の腕」と勝手に思い込んでるだけで、ただ単に宙に浮いた棒みたいな
物体じゃないですか。死んでるくせにナマ言ってんじゃねーって事です。

既に死んでいるので、今まで色々とレッテルを貼ってきた世界はもうありません。
というかレッテルを貼りようがないのです、死んでるし。

しかし、死んだフリから目を開けたあなたは紛れも無く存在しているはずです。
何処に?それは今まで「自分の肉体」だと思っていたものではなく、世界に。
世界の至るところに既に居たのです。

ていうか、ここまで書いて死ね死ね団を出す意味が無い事に気付きました。
死ね死ね団を知らない人はただ単に「死んだフリメソッド」として実践してください。
昨日の記事「北斗の拳メソッド」について、読者の方からメールを頂きました。
「いくらエゴが幻想といえど、今まで守ってくれていたのではなかろうか」
「守ってくれたエゴをあたたたたたと殺すのは偲びない」というものです。

これは鋭い指摘であります。
まさにエゴは我々がどっか行かないように守っていると同時に、前進させてくれる役目も
果たしていたのです。

前も書きましたが、エゴでどうのこうのとやってる状態は一種の寝ぼけであります。
寝ぼけているだけなので、エゴが居るように見えるのですが、本来はエゴというものすら
存在しません。
が、説明上「エゴ」と「その他大勢」のように分けて書かないと混乱を
招くので、便宜上「エゴ」と「私」みたいな感じで書いています。

寝ぼけ状態で大活躍するエゴは、寝ぼけている世界から「私」を逃がさないために
様々な手段で守ろうとします。つまり「これをやらないと大変な事になるづら」とか
「もっと未来の事を考えないとエラいことになるっちゃ」とか「これはダメだ」とか囁いて
「私」をその場に留まらせようとします。

しかし、同時に「これをやれば何かすごい事になるかもしれない」「成功しちゃうかもしれない」
とか「希望」を「私」に与えて前進させようともします。

アクセルとブレーキを同時に踏むというか、絶妙なアメとムチの使い分けというか、
とにかく「停滞」と「前進」を交互に与えてずーっと寝ぼけ状態をキープしているわけです。

エゴは寝ぼけキープのためならありとあらゆる手段を使います。
今回の「エゴは守ってくれていたのではないか、殺すのは気の毒だ」という読者の方が抱いた
概念は、元を正せば昨日の北斗の拳が原因なわけです。

読者の方は昨日の記事を読んで「そうか、エゴを殺してしまえば・・・」とか思ったかもしれません。
しかし「北斗の拳」⇒「あたたたたた」⇒「ひでぶ」⇒「なんて残酷なんだ!!」というイメージを
利用して、読者の方のエゴが「僕を殺すなんてこんな糞ブログの言うことを信じちゃダメだ!
僕が気の毒だと思わないのか!?」と騒ぎだし、「やっぱりエゴを殺すなんて残酷かも」と
読者の方に思わせたわけです。まさに読者の方が世紀末救世主になることから「守った」のです。

仮に昨日の記事が北斗の拳ではなく「ドラえもんメソッド」とかのタイトルで、
「エゴは幻想です、居ても居なくても良いのです。
そう、のび太がジャイアンと野球やってる場面にいつもいるデブのモブキャラ
ようなものです」とか書いたとしても「そうか、やっぱりエゴは友達なのかもしれない・・・
例えモブキャラだとしても消すなんて偲びない」と読者の方は思ったかもしれません。

なんだかよくわからない例えかもしれませんが、エゴは無意識のイメージや概念を
巧みに利用して居座ろうとします。やっかいなのはそのイメージや概念が絶対の真理であり
自分が(本当はエゴなんですが)抱いたのだ、と感じてしまうことです。


いかに寝ぼけ状態が巧妙に作られているか、という事ですね。

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自己紹介:
かなりアバウトな性格の既婚平民

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