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知らんモンは知らん

スピリチュアル系の願望実現ブログと思いきやそうでもない

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昨日書いた記事で、実は我々は生まれてもいなかったと書きましたが、
意外にも読者の皆様からの反響が多かったです。

「わけのわからん事を書くな」という内容かと思いきや、「全てわかりました」みたいな
内容のメールも頂いて喜ばしい限りであります。

その一方で、「生まれていないという事は、存在もしていないのですか。全部終わりやんけ」と
いった内容のメールも頂きました。

そう、全部終わりなのです。
ただしこれは、エゴが終わったということです。
昨日も書きましたが「寝ぼけ」から目覚めたのであります。

で、目覚めたからどうだって言うのかと思われるでしょうが、
目覚めたということは「私」(エゴ視点の)が死んでしまったということです。

「私」が居ないということは、「私はこれを持ってない」とか「私は何々が無い」とかの
「無い」が無くなってしまったということなのです。

何かが思い浮かぶ、しかし、それは無い。という思考は細かく言うと
「しかし、それは(私には)無い」と言っているわけです。
ですから「私」が無くなると「無い」が無くなるというオモシロ現象が起きるわけです。

最初っから「在る」しかなかったのにわざわざエゴが「無い」と言っていたのです。
「在る」しか無い認識になるには「私」が死んでくれないと困るのです。

ですからエゴに「おまえはもう死んでいる」と告げましょう、そしてそれ以降の思考から全部
「私は」という概念を消しましょう、何故ならすでに(エゴ視点の)あなたは「ひでぶー!!」
なっているからです。(「あべし」でも良いです)

「私は」を採用しない事です。、突然「ひでぶー!!」となる瞬間が来るかもしれません。
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俗に言う「寝ぼけ」は脳が眠っていて体が起きている状態だと子供の頃に
教わりましたが、エゴも寝ぼけのようなものです。

我々が見たり聞いたり感じたりしてるものは、全てエゴが勝手に解釈しているものです。
例えば「エゴ」という文字を見て、カタカナを読める人なら「これはカタカナであり
エゴと書いてあるのだ」と判断すると思います。

「エゴ」と書いてあるのを見て「すき家」と読む人は恐らくいないでしょう。

しかし、「これはカタカナだ」という認識も、過去に学校でカタカナを習ったから
そう思っているわけで、カタカナを全く知らない異国の人とかだったら「文字っぽいもの」とか
もっと言えば「黒い棒の絵」としか思わないかもしれません。

さらに文字という概念や文化に全く触れたことのない、狼少年ケンみたいなのだったら、
もしかしたら視覚的に認識すらしないかもしれません。

何が言いたいかというと、我々を取り巻く概念や思考は全部後付だということです、
本当の自分は概念や思考を超越した存在です。

しかしエゴによって「これはこういったものである」とか「良い感情」「悪い感情」とかを
勝手に区別してしまっているのです。つまり居ないものを居るとみなしてしまっているのです。

寝ぼけてるとなんでもかんでも幽霊や宇宙人に見えるのと同じです。
「寝ぼけて幽霊を見た」と「エゴという文字を見た」は同義という事です。

ですから、まず今まで「居る」「在る」と思っていたものが「全部無かった」という事に
気付きましょう。これは文字通り「全部無い」です。エゴ視点での自分すら「居ない」のです、
我々は最初から生まれてなんていなかったのです。

「今までの”私”だと認識していたものが全部無いだって?じゃあ私は何処に居るんですか?」と
思うかもしれません。確かにエゴ視点での「私」は存在しません。
それは寝ぼけて、そこにいるはずのない幽霊を見ているのと同じです。

しかしです、呼吸を感じようと思えばそこに「呼吸を感じている私」が居ます。
壁にある時計を見ようと思えば「時計を見ている私」が居ます。
このブログを読もうと思えば、「読んでいる私」が居ます。

一瞬一瞬に、まさに刹那的に「色んな私」が現れては消えているのです。
その事がエゴによって寝ぼけて認識できないから、それらの「私」が連続して続いていると
誤解し、「時間」という概念を作り出してしまっているのです。

”私”は「何処にも居ないけど、何処にでも居る」のです。
それに気付くことが、「寝ぼけ」から「目を覚ます」事であります。
旅から帰ってまいりました。
旅といっても、今回は親戚の墓参りを兼ねて静岡方面に行っただけです。
温泉に入ってマッタリしていました。静岡最高、温泉さいこー。

眠くなったので今日は特に何も書かずに就寝です。
旅に出ますので2、3日ばかり更新をお休みします。
中田ヒデのように「職業・旅人」と言えるぐらいになりたいような、なりたくないような
複雑な心境です。


このブログは全くの個人ブログですが、これでも読んでくれている方を
少しは意識して書いています(本当です)ですからブログに書く際は
読者の方へ説明というか、語りかける感じで書いていますが、
結局これは「書いている人」と「読んでいる人」という分離を前提にせざるを得ないので、
エゴ視点ではOKですが、源泉的にはアウトであります。

実際は世界は一つなのですから「ブログを書いているAさん」と「ブログを読んでいるBさん」は
一つであります。仮に私が読者の方からメールを頂いても「私が」というエゴが出てきて初めて
「メールを受け取った私」と「メールを出したあなた」という分離が起きるわけです。

源泉から見ればこれはメールというものが湧き出てきただけです。
つまり「私はあなたからのメールをもらった」という言葉から「私は」を消すと
「私は」と対になっている「あなた」も消えます。
そうすると「メールをもらった」となります、しかし「もらう」という表現は
やはり「私&あなた」がいないと成立しないので、「もらう」も消えます。

残るのは「メール」だけであります。
そう、湧き出てきているのはまさにメールだけなのです。そこに「私」だの「あなた」だの「もらう」だの
言い出してああだこうだと色付けするのがエゴなわけです。

ですからこのブログに書いてあることが理解できない、まるで暗号のようだと感じている方は
「あなた」とか何だとかのエゴが生み出す概念を消して読むと、実にシンプルかつディープな
ブログになります(多分)

例えば「ワイは猿や、プロゴルファー猿やー!!」という文章から
エゴ視点の「ワイはプロゴルファー」を消すと、
「猿」だけになってしまうという驚異の神秘体験を垣間見る事が出来ます。

エゴに気づくという事は別に難しい事ではないのです、
上記の例のように本当に「ただ、在る」だけなのです。

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