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知らんモンは知らん

スピリチュアル系の願望実現ブログと思いきやそうでもない

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メソッドを捨てた後にどうなるのか、あるいはどうするのでしょうか。
答えとしては何も変わらないし、何もすることもありません。

というより何も変える必要も無く、何もする必要も無いことに気付くというか、
したくても出来ない状態になってしまうのです。

何故かというと昨日も書きましたが「叶えるために」メソッドに
取り組んでいる自分を捨てると、当然ながら何のメソッドもやっていない自分に
なります。何のメソッドもやっていないということは、叶ってしまったからです。

叶ってしまうと、もうやることが無くなってしまいます。
しかし、やる事が無いと言っても朝になったら目覚め、夜になったら眠りと
世界はオートマで動いているのです。

「叶っていない」と思うと、オートマで動いている世界に「干渉」しようとして
事態をややこしくしてしまいます。
「叶っていない」と喚くエゴが「自由意志を持ち」と錯覚してオートマで動いている世界に
ブレーキをかけようとして苦しむわけです。

「叶ってしまった」ならもう何もすることが無いので、エゴは世界に干渉出来ません。
世界は勝手に動いています、そしてその勝手に動き続ける世界こそが真の自分であります。

この辺はもう完全に感覚の世界なのですが、勝手に動く真の自分に気付くと、願望を願望として
維持するのが難しくなります。これは無欲になるとはまったく違う次元であります。
「全部あるのでやる事無いっす」に近いです。

そんなのデキッコナイスと思った方は「時をかけない少女メソッド」からの
一連の流れを今一度読んでみてください。偶然にも綺麗にまとまっていると
思うので、気付きがあるかもしれません。
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昨日の話は「メソッドにこだわるとダメです」という趣旨の話ですが、
もう少し突っ込んで書くと、ある特定のメソッドを知った時点で、そのメソッドに
無意識に従って行動するようになってしまうと良くないです。

どうしても「何かが起こったとき」に「これは幻だ」とか「これは良い兆候だ」とか
「ここでホイミを唱える」とかに固執すると、これはもうメソッドにとらわれ過ぎです。

そもそも何でメソッドをやるかというと、突き詰めれば「自分」を守るためです。
つまりメソッドを知れば知るほど、やればやるほど「自分」(エゴ)が強固になっていくという
パラドックスが出てきます。

あらゆるメソッドは結局、「自分」が傷ついたとか不安だとか感じた時のスケープゴートに
過ぎないのであります。

これを認識してメソッド類に励むのと、認識せずに励むのでは大きな違いがあります。

「叶えるために」メソッドに取り組むんじゃないのです、「叶えるために」メソッドを
やっている自分、すなわち「叶っていない」前提を無意識に作っている自分に気づくため
取り組むのです。

「じゃあ私の願望はどうなるんですか?」 そんな事知りません。ただ確実に言えることは
「叶わない前提」を今、この瞬間に外したわけですからもう叶ったんじゃないの? と
答えるしかありません。言い方を変えれば、「叶った世界を今、創ったんじゃないの?」ということです。

「え?でも・・・」と恐らく「何かしなくちゃ、何か考えなくちゃ」と
思った人が多いかもしれません。何でか?エゴが「叶っていない」と囁くからです。
そう、自分でわざわざ「叶っていない」前提を欲しているんですね。

「え?でも・・」と思い「何かしなくちゃ、何か考えないと」と感じたということは、
逆に言えば「何も出来ない、何も思考出来ない」領域に一瞬足を踏み入れたということです。

そこが最初からあなたが居た全ての源泉だったのです、
あとはもう勝手に世界が動くに任せましょう。
様々なメソッドを読んだり実践したりするのは結構なことです。
しかし、結局はメソッド云々は文字の羅列に過ぎないので、
あんまりこだわりすぎるのも良くないです。

チェスや将棋に例えると、初心者のうちは色んな定跡を覚えたり、手筋を研究しますが
結局は盤面の上でしか、というかルールの中でしか通用しないものです。

自分が負けそうになったときに色々と勉強してきた人ほど定跡や手筋云々にこだわりますが、
負けそうな局面をチャラにするのは実は何の事はない、盤そのものを引っくり返してしまえば
良いだけです。


スピ系のメソッドに対する心構えというか、基本的なスタンスはこれぐらいが丁度良いです。
つまり「色々知ってるけど、いつでも捨てられるし忘れられる、どうでも良いモノ」
というスタンスです。
これはいつでも自分の本質は「無」であるということに還るスタンスでもあります。

最初のうちは色々悩んだり、何だかんだとメソッド探しをするのはしょうがないかもしれません、
しかし「実はそんなもの必要無かった」という事に気付く近道は、
今まで知識として蓄えてきたものを捨てる瞬間だったりするのです。

真面目で常識人で頭の良い人ほど、スピ系に手を出すと悩むかもしれません(真面目で常識もあり、
頭も良い人は最初からこんなブログ読まないのではというツッコミはこの際無視します)

そういった人ほどしっかりと「自分」というコマを盤上に置き、「このコマを望み通り動かすには
いかにすべきか」みたいに真剣に考えてしまいます。

「自分」ありきで、色々叶えたい願望とか悩みがある「自分」をうまく動かさなくてはならない、
なってしまうわけです。本当はそんなコマ無視してちゃぶ台返しを炸裂させればすむ事なのに、
「ここから逆転する手筋」とか「一発逆転定跡」とかを考えてしまいます。

前回も書きましたが、読者の皆さんで「よくわかりません」という内容のメールを送ってくる方も
ちょこちょこいるんですが、そういう方は大体文章もしっかりしてて頭良さそうな印象なんですよね。
つまり「色々知っているが故に盤面を引っ繰り返すという発想になっていない」のではという
感じを受けます。

逆に「すぐにわかりました」とか「やりましたウヒョー」とか送ってくる方々は
印象としてかなり馬鹿っぽい「あまりよく読んでいない、フィーリングで感じてる」感が
強いです。

これは別に真面目な人が悪いとかそういう意味ではなく、真面目に読んでくださっている方は
すでに知識はあるのですから、後はそれにこだわらずに、というかこだわろうとするエゴに
気付けば良い
のですよ、という話です。

まあ結局はこういった提案も、文章にすると「メソッド」になってしまうんですけどね。
最近、読者の方からのお便りをチェックしていませんでした。
生来のアバウトな性格がたたって、「まあいいかー」なんて思ってたんですが、
ちょっとメールボックスを調べてみると結構たまってました。

で、このブログの読者もやはりアバウトなのか、内容がゆるい、もっと言うとどうでもいい内容の
メールが多いんですが(僕も超合金魂が好きです、とか世界の支配者は「なか卯」とか)
その中に混じって「いつも読んでいますが、意味がわかりません」という趣旨のメールを
ちらほらと見かけます。

それらのメールをよく読んでみると、大体同じ所で詰まってるんですよね。

第一のポイントは「エゴ視点でメソッドを捉えている」所です。

前も同じこと書いたと思うんですけど、エゴからの視点だとどうしても
なんかメソッドとかやる⇒願望が叶ったバンザーイ だと思ってしまうんですけど、
逆なんですよこれ。

バンザーイ⇒なんか勝手になってるよ が本来のあり方なのです。

だからこのブログで自分は居ないのだとか、源泉かけ流しだとか、プロゴルファー猿とか
言ってたのは「無」を体感すればそこには過去も未来も無く、従って未来への不安や
希望もなく、過去への後悔も無い完全に満たされた世界に在ることが出来るからです。

つまり最初からバンザーイなのです、
何があっても万事OKなのであります。源泉がどのように湧き出るかは、エゴの知る事の出来る
領域を逸脱しているからです。

ですからメソッドで悩む人はメソッドをガン無視で良いと思います。

次に結構多いのが「今に在る事が出来ました、しかしこれこれこういうショッキングな事が
起きてしまいました、どうしましょう」という内容です。

これに対する答えはぶっちゃけ知らねーよ、なのです。
エゴの範囲でどうこう考えたところで、絶対に答えは出ません。
確実なのは、最初からバンザーイでした、だからもうあれこれ考えるな。という事です。

が、ここで再び詰まるポイントが出てきます。
「何もしないようにしています、考えないようにしています、でも辛い事ばかりです。
どうしましょう」というタイプです。

これは「何もしない」為に「何もしない」を使っているパターンです。
つまり「何もしちゃダメなんだ」と言い聞かせているだけです。

これは、思考や感情は「自分」と一切関係無い、と割り切ればOKです。
割り切ってしまえば源泉から自然と「行動」として湧き出てきます。

例を挙げると道を歩いていてウンコがしたくなったとします。
「何もしちゃいけないんだ」⇒そのままぶりぶりぶりー が「何もしちゃダメなんだ」と
言い聞かせている状態です。これでは源泉かけ流しならぬ源泉垂れ流しです。

ウンコがしたくなった⇒トイレ探そう⇒トイレでぶりぶりぶりー が「行動」として
湧き出てきている例です。

「今に在る」とか「無」で満たされた意識になっていて、そこに「願望」が湧いてくれば
もう上記の例のようにウンコをするが如く流れに任せれば良い、という事です。
だから「何もしていない」んですよ。
なんでいろんなメソッドに手を出しても思ったほどの効果が出ないかを
出来る限り理屈で説明しようと思いますが、これは昨日の話の続きでもあります。

メソッドを実践する心理ってのは大体同じで、「現在の状況を良くしたい」という
心理が恐らく限りなく100パーに近い99パーと思われます。
この「現在の状況を云々」が曲者です。

何故なら「現在の状況」なるものは過去への想い、そして未来への希望、もしくは
不安が無いと出てこないから
です。
昨日の記事で言えば「時をかけてるじゃん」という事になります。

例を挙げると、過去に非常につらい思いをしてきた太郎(仮名)なる人物がいたとします。
太郎氏は、もうあんなつらい思いは嫌だ、これから先は二度とあんな思いはしたくないと
ナントカメソッドを始めました。さて、太郎氏は願望を叶えられるでしょうか。

残念ながら答えはノーであります。
何故なら太郎氏はつらい過去、そしてもうつらい思いはしたくないという
ドラえもんも真っ青なぐらいに過去と未来を行ったり来たりしているからです。

そして常に「つらい」にピントが合っているので、やっぱしこれからもつらいでしょう。
では、もう一人の人物・次郎(仮名)の場合を見てみましょう。

次郎氏は金持ちで、別につらい思い出も無いですが、将来もっと金持ちになりたいと思っています。
そのためにナントカメソッドを始めました。
さて次郎氏はさらなる金持ちになれるでしょうか、その運命やいかに。

答えはこれまたノーであります。
次郎氏は、漂流教室ばりに未来にぶっ飛びすぎです。
そして「金持ちになりたい」と思っているので、「金持ちになりたい」がこれからも続くでしょう。
(つまり今以上の金持ちにはなれない)

この二人の例は「時間」という概念によって生まれる「現在の状況」がいかに足枷に
なっているか
という事を知っていただきたいのです。

「今」がポジティブだとかネガティブだとかも「過去」や「未来」に想いを馳せるから
出現するのです。

ですから「時間」という概念を最初はもう思い込みでも良いから無くす事です。

そうすると残るのは純粋な「今」です。
全てが始まってもなく、終わってもいない源泉であります。
そこは既に満たされている、としか言えないのです。何故なら前述したように
「時間」が無いのでポジな希望もネガな不安も「無い」からです。

「わかりました、それでは願望を送ります。いでよ神龍!!」とか思った人は
今だに時をかけてます。
「願望」は過去への後悔か、未来への希望から生まれるからです。

本当はもう満たされちゃってるんですよ、それを体感しちゃえば冗談抜きで
世界観が変わります。

願望が出てきたら取り敢えず「時間」の概念をとっぱらってみて下さい。
ついでに前も書きましたけど「これは自分の肉体だ」とかいう概念も消してみて下さい、
何かに目覚める事が出来ます。そして気がついたら(エゴの表現を借りれば)叶ってるでしょう。

「そんなアバウトな結論では困ります」と思うかもしれません。
そういった方々に言いたいのはこれ以上書くのめんどくさいから何でアバウトだと困るのですか?
ということです。「もっと詳しく言ってくれないと私の願望が・・」とか
「未来への不安」という概念を無意識に使って「困って」いるのではないですか?

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男性
職業:
食う寝る遊ぶ
趣味:
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自己紹介:
かなりアバウトな性格の既婚平民

好物はすき家のチーズ牛丼・松屋のカレギュウ

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メールはsiranwa22☆yahoo.co.jpに
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