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知らんモンは知らん

スピリチュアル系の願望実現ブログと思いきやそうでもない

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「地味で可愛い女性に数年間片思いしてたけどSNSの
裏アカ見たらトンデモないニンフォマニアでショック
でした」
みたいなメールを頂きました、
ありがとうございます。

「こういう女と付き合わないで良かったとも思う」
と書かれているので、私としてはじゃあ良かったんで
ないの?
というかセフレで良くね?そもそもどうやって
彼女の裏アカを知ったのか?という疑問が無くもないです
が、まあこれは潜在意識が云々以前にラッキーだったと
いう事で良いんじゃないですかね。

以前の記事にも書きましたけど基本的に意識の上に
起こる事に意味を持たせてしまうと、というか意味を
持たせた時点で初めて起こる事は"出来事"として認識
されるというか形作られるわけで、我々が人生と呼んで
いる物も意味を持たせた物の連続体みたいなものですね。

なので意味を持たせるな、とまでは言いませんが
意味を追求した所でそれこそ意味が無いので
取りあえずまた別の女性を見つけて新たな"出来事"
経験すべきでしょう。ただその出来事を個人のものとして
捉えるか意識の一つとして捉えるかだけの違いです。








まあ裏表激しい女性なんて結構いるもんですよ、
私も嫁さんと知り合った時は何と聡明でしっかりした
女性か、とか思いましたがまさかあんな気が強くて
キレるとおっかない女とは思いませんでした。

じゃあ何で結婚したのかって、そんなの私が意味を
知りたいぐらいですわ。
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突然ですが「ガイア理論」の提唱者である
ジェームズ・ラブロック氏が亡くなったそうで、
このガイア理論て早い話が地球は生きているんや
というもので、微妙にスピリチュアルぽい所もあるん
ですよね。

私もこのガイア理論についての書籍を若い頃に読んだ事が
あるんですが、そこから時は流れこんなブログ書くように
なっているのに何ですけど「ちょっとトンデモっぽい
なぁ」
という感想を持った記憶があります。

ただ地球とその生き物は相互に影響し合いながら
環境そのものを作っていく一つの生命体であるみたいな
概念は面白いとは思います。

これゲームのネタとしては非常に使いやすいみたいで
過去にもクロノ・トリガーとかファイナルファンタジー7
とかはガイア理論が元ネタになっていますね。

で、いきなり話が飛びますけどスピリチュアル的な
意識っていうのは相互に影響も何も無いと思います。

相互に影響しているように見えますけど、
夢から醒めたら夢の中の世界とか全部吹っ飛ぶのと
同じで、世界に特に意味は無いと思うんですよね。

ですから何のために生まれてきたのかとか
何をすべきかとか小難しい事は考えないのが今に在ると
いう事であります。

そもそも意識の上で展開している世界が誰かの夢だと
したら、その誰かが何で寝ているのかとか、そもそも
誰の意識なんやとか、夢の世界の住人である我々には
知る由もないわけで、世界に理由を求める事自体が
意識の本質から離れる事になってしまいます。
なので実は何も追求しない事こそが意識として在る為の
簡単な方法なんですね。

というわけでガイア理論と関係がありそうで
全く何の関係も無い話でした。
「意識でも源泉でも何でも良いが何故に一旦願望を
持たざるを得ない状況を作ってまで願望を抱かせようと
するのか?」
というメールを頂きました、
ありがとうございます。

これはゲームのキャラ設定みたいなもんですね、
ただ最初から金持ちとかイケメンとかでも
それではゲーム自体が始まらないので何かしら
これが足りないあれが足りないというのは必ず
出てきます。

つまり不足しているというのはデフォルトというか
ゲームにおけるコントローラーみたいなもんで、
ゲームでも物資漁りに行ったりモンハンみたいに
狩りに行ったりするのは不足しているからこそ
キャラを動かさざるを得なくなるわけで、
そしてその動いた事による経験の蓄積がそのキャラの
性格、人格というガワを作っていくわけです。

なので何かを思った瞬間に出る考えというのは
正確に言うとその"ガワ"が考えたガワにとっての
真実
であって、本来の真実とは何処にも無いわけで
あります。

で、まとめるとそもそも最初の不足の時点で
既に誰の責任でも無いですよね。ゲーム機買ったら
コントローラー付いてましたって話で
それ以上でもそれ以下でもないです。
なのでそれ以降の性格とか人格とかそれに基づく
人生とかも特に問題は無いです。
それがわかればゲームに居ながらにして
ゲームに参加していない状態になります。

しかしそれでもゲームは進んでいくわけで、
であるならばゲームに参加せず、ゲームそのものに
任せてしまった方が良いです。

言い方を変えると自分の人生だと思っているのは
本当に自分の人生なのかって話ですね。
他人の人生であるなら言い方悪いですけど
まあどうでも良いっちゃどうでも良いですよね、
自分の人生だと思っているものが実はそうではないと
知った瞬間から神様視点になるわけですね。
「意識が本体ということは例えば暴飲暴食や散財しまくっ
ても大丈夫ということでしょうか?」
という感じの
メールを頂きました、ありがとうございます。

結論から言うと大丈夫ではないですよね。
意識が本体というか映画の映写機であるなら
映画本編で暴飲暴食した人物は不健康に肥るでしょうし、
散財した人物は貧困になると思います。

「意識最高や!何やってもOKや!」というのは
「何やってもOKや!」と言っている人物がいる、
というだけでそれ以上でもそれ以下でもないです。

ですから「これやって大丈夫かな?」とか疑問に思いつつ
暴飲暴食したりするのは意識云々からは外れています。
大丈夫かな?と思うなら止めた方が良いですね。

これと似たような話で「意識そのものになれば穏やかに
過ごせる、何かしら超越したような感じになれるの
では?」
と思う人もいるかもしれませんが
これも同じ事で「何か知らないけど超越した感のある人」
が出てくるだけで実は意識とはあまり関係無かったり
します。

「何やっても大丈夫」「何かしら超越」というのは
外部から何かを得る、という事ですよね。
つまり海の一部である波が形を変えただけの事を
「何かを得た」と解釈しているのと同じです。

そうではなくて暴飲暴食したとか散財したとか何か超越
したとかのイベントは、全て海が波として動いているだけ
ですから、それはそれで海の表現というか現れとして
認識するという事です。

もちろんそれらイベントに対して何だこれ気に食わねー
な、と思うのもまた海の一部です。

まとめるとあらゆるイベントは海の一部なので
生まれたというのも、死ぬというのもその一つです。
つまり我々は生まれてもいないし死んでもいない、
海が生まれたと感じる波を起こし、死ぬと感じる波を
起こすだけの話であります。そこに生まれたり死んだり
する"個人"は存在しません。


正確に言うと感じる事すら無いです、誰も受精した
瞬間とか死ぬ瞬間は感じないので。
つまり話を最初に戻すと"何も感じない"行動こそが
海としての行動という事になります。
「自分というものはイメージというか想念というか、
一種の概念のようなものというのは何となくわかるが
頭ではわかっても実感出来ないから何とかして」
的な
メールを頂きました、ありがとうございます。

これは多少強引かもしれませんが、例えば目を閉じて
部屋の中を歩くと自分が今どんな姿勢かとか、
部屋のこの辺を歩いているなとかイメージしていると
思うんですが、要はこれ想像上の自己をイメージして
いるのと同じですよね。

これは故人を思い出してあの人はあんな感じだったとか
あいつはこんな体型だったとかイメージしている時とも
同じです。

つまりどちらも実は概念の中にしかありませんが、
目を閉じて歩いている時の自分のイメージや、
ふとした瞬間に思い出した故人は非常にリアルに
感じられます。

早い話が世界とか自己というのはこういったものです。
要は意識の中にしか無い、夢を見ているときの夢と
全く同じという事です。

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