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知らんモンは知らん

スピリチュアル系の願望実現ブログと思いきやそうでもない

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以前の記事で宿命がどうのこうのという内容を
書いたんですが、宿命という事はいつまでも(現状が)
変わらないのか?的な不安を覚えます、
みたいなメールを
結構頂きました。

これは「現状が変わらん」という事は、言い方を変えると現状を確認しているからこそ変わらん、という事になります。

ですから「宿命なのだから現状が変わらずこのままなのか?」という思考自体が現状の確認になってしまっている、という事
なんですよ。

つまり宿命というと大袈裟なイメージがありますが、
要はいちいち現状を確認せずに運ばれて行けば良いっつー
だけの話で、ここが前回の記事と被るんですが
宿命だ何だとある特定の言葉なり何なりに執着して
しまうと、それを元に新たな感覚ガーとか新たな
意識ガーとかなって輪廻転生を繰り返してしまうのであります。

ですからちょっとテクニック的な話になりますが、
印象に残る特定の言い回しや言葉ほど忘れた方が
良いですね、例えば「我々は宿命の元に運ばれている!」だと「そうなのか!?では今の私の現状も宿命なのか!このまま
死んでいくのか、何て事だ!」
とか
色々考えるかもしれませんが、「我々は生まれた都道府県
の、すき家の店舗数によって人生が決まっている!」
だと「何言ってんだコイツは!」と思うと思います。

しかしこれ同じ事言ってるわけですよ。
違いは一つで、前者の宿命云々の言い方の方が
強く意識してしまうというだけです。
つまり我々は常に「意識の癖」を見ているだけなんですよ。
て事はそれを見ている何者かは意識でも何でも無いという
事です。
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頂いたメールの内容で結構多いのが「これこれこういう
感覚になったのだが、これが自己がいないとか何だと
いう感覚なのか?」
というものですが、あんまり
こういった感覚とか拘らない方が良いと思います。

そもそもそういった感覚になったのは何故か?を
突き詰めると大半の方がスピリチュアル系の書籍を
読んだとかブログを読んだとかYouTubeで見たとかだと
思われるのですが、であるならばそういった類の物を
見たり聞いたりしなければその「感覚」は現れなかったと
いう事になります。

つまりボクシング始めたから強いパンチを打つ為に
この辺を意識しようとか、ベンチプレスで100キロ
挙げたいからこの辺りの感覚がどうこう言っているのと
変わらないんですよ、つまりスピリチュアルもボクシング
もベンチプレスも全て意識の現れであって全て同じ
なんですね。

で、少し話が飛ぶんですがスピリチュアル的な気付き
みたいのは確かに素晴らしい解放感はあります。
しかしだからといって人類全体がこれを得れば戦争が
無くなるとか世界平和が実現するとか言い出して、
その為の活動を始めるのは決して悪い事ではありません
が、結局意識が生み出した感覚に捕らわれているとも
言えます。

例えば便秘気味でトイレで踏ん張ってスポンと
出たら解放感ハンパねえと感じるかもしれませんが、
だからといって人類全てがこの解放感を得れば
平和になるから世界中に下剤を配ろうとかは
思いませんよね。しかしスピリチュアル的なものだと
ヒジョーに素晴らしく思ってしまうわけですが、
それはまだ意識の中に居る状態です。

本当の意味での解放は、意識の外に出て行く事で
あります。
前の記事で宿命的なものについて書きましたが、
これは逆説的に言えば結局の所、人生と呼ばれるものは
そのまま流れていく事を示しています。

つまり流れていく過程において人生に何らかのイベントを
起こすには「私」というか「自己」を探さねばならない
いう事です。

そして常にこれは良いとかあれは悪いを判別する為に
自己を探しまくっている、自己がいなくては良いも悪いも
体験出来ないからです。
という事は「自己」「宿命を生きる私」とは完全に
概念というか作り物であるという事です。

事象に対し「眺めているだけ」とか「観察せよ」という
言い方もありますが、これだとやはり「眺めている私」
「観察している私」を探す事になります。
であるならば最初から「私」を探さなければ良いのです。

こうして宿命からも解放されると、あらゆる物は
意識の切り抜きに過ぎないという事が理解されるので
あります。
「スピリチュアル的に言うと姓や名前とは
その人を縛るものではないか、つまり最近において
夫婦別姓が認められつつある事は縛りが無くなる
良い事ではなかろうか」
的なメールを頂きました、
ありがとうございます。

どうなんでしょうかねえ、正直あんまりスピリチュアル
関係無い気もするんですが、確かに人の名前に限らず
我々は何かを判別する際に名前で判断しますから
例えば怒りの感情も「怒り」という名前を付けた段階で
初めて認識するので、怒りが先に来るのではなく
感情が先に来て、それからそれに最も適した名前を
引っ張り出して名付けていると言えます。

なので名前を無くすというのは確かにスピリチュアル的に
言えば全てとの一体という意味では意義があると
思います。

話を夫婦別姓に戻すとですね、個人的な話をすると
私の苗字って田中とか山田レベルのメチャクチャ簡単な
漢字なんですよ。対して嫁さんの旧姓は難しい漢字
使うんで、「苗字書くの簡単になった事だけは結婚して
良かったと思ってる」
と言われた事があって、
これを聞いてからちょっと閃いたんですが、これからは
夫婦別姓ならぬ夫婦創姓、つまり夫婦になったら二人で
名乗る姓を新たに決めれば良いと思うんですよ。

佐藤とか渡辺とかありふれた姓を名乗るのはつまんない
ので私たち今日から西園寺になりますとか、
旦那の苗字が煉獄で漢字がクソ難しいので私たち今日から
丸山にしますとか、二人で気に入った苗字を名乗れる
ようにすれば良いんじゃないかと思います。

もう今の日本人はいわゆる"家"の意識とか無いですしね。
「昨日の記事で実は存在しない、存在しないものを探して
いるというのがイマイチよくわからない、イメージも
出来ない」
という感じのメールを頂きました、
ありがとうございます。

イメージ的にはですね、例えば英語でリンゴって
アップルじゃないですか。でもあいつら(外人)は
「アップル」なんて発音してませんよね。

アを強調してあとはプーとかポーとか流すような感じで
発音するんでアポーかアプーに聞こえるわけです。

リンゴが"アップル"だと思っていると外人が言ってる
"Apple"は聞き取れないんですよ。何故ならアップルと
言っているはずだ、という錯覚があるからです。

つまり強引にスピリチュアルに結び付けると
「私は存在している」という錯覚が「リンゴはアップルと
発音するはずだ」
というもので、しかしながら実際は
アップルという発音は存在せず、アポーかアプーなんで
すよ。つまり存在しないものを存在していると思って
探してしまうと、いつまでも外人の言う"Apple"
聞き取れない、イメージ的にはこれに近いです(?)

「英語の教科書にアップルと書いてあったのだから
アップルという発音は存在しているはずだ」
という
思い込みから全て始まっているという事ですね。
ですからその取っ掛かりの部分、「私は存在している
はずだ」という所を疑ってみる事であります。







余談ですが日本人が英語苦手なのはアップルに限らず
外人が絶対に発音しない音が教科書に書いてあるからじゃないかと思っています。単語にせよ会話にせよ存在しない
発音で覚えてしまう為、外人がそれら(アップルとかの
教科書発音)を早口で言ってるんじゃないかと
錯覚するんですよ。

実際は教科書発音と全然違う事を言ってるに近いレベル
なんで、この辺が日本人が英語を聞き取れない最大の要因
ではなかろうかと勝手に思っています。

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