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知らんモンは知らん

スピリチュアル系の願望実現ブログと思いきやそうでもない

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自由意志がどうのこうの、と当ブログではたまに書いて
ますが、自由意志が無い云々だと「では私が今感じて
いる不安や恐怖もなる様になるしか無いのか?」
みたいな
メールをたまに頂きますが、これは以前も書いたかも
しれませんが実は既に質問の中に答えが現れているので
あります。

どういう事かというと「不安や恐怖を感じる」という事は
それらを押さえ込めないという事ですよね?
であるならばその時点で自由な意志は無いのであります。

何故なら意志が自由ならば意志の力で押さえ込めるはず
だからです。にも関わらず押さえ込めないという事は
元から自由な意志が無いから、という事になります。

つまりこれがわかれば自由意志というものも
単なる概念であり、自由意志と言う名の束縛から
離れる事が出来るわけで、それこそが本当の自由で
あります。
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認識が変わる、以前と違うものになるとは如何なるもの
でしょうか。スピリチュアル系の書籍等では何かしら
ショッキングな事があってからとか、ある日突然とか、
恩寵のような形でそれが与えられる的な事が書かれている
ことが多いようであります。

いきなり自分は居なかったとか神と一体化したとか
宇宙と合体しましたとかブッ飛んだ事はともかく、
現在のコロナ騒ぎ程度なら簡単に認識を変える事は
可能です。

例えば最近、ハムスターが感染源かもしれないという事で
香港で大量に殺処分されてしまいましたが、
既に哺乳類全般に感染が確認されている以上、
ペットとして飼われている犬や猫から人間に感染するのも
時間の問題というか、もうそうなっている可能性が高い
です。

ではそれが確定したとして果たして愛犬家や愛猫家の
皆さんは涙ながらにペットに毒エサを食べさせるで
しょうか、恐らく絶対にやらないと思います。

じゃあどうするか、仮にある愛犬家が間違い無く
ペットから自分に感染したと思われるケースでも職場に
コロナとは言わず、検査にも行かず、「ちょっと風邪気味
で・・」
で済ませるはずです。

つまりこの方にとってコロナは単なる風邪になったので
あります。ウイルスを自らと分離させ恐れる対象では
なく、日常生活の中の風邪ひいたという一つの現象として
受け入れ、一体化したのであります。

認識が変わるというのは強引に言えばこれに近いです。
分離ではなく受け入れる、自らの中で起こる現象として、
意識の現れの一部として受け入れるという事ですね。

なので私は割りとマジで犬や猫からヒトに感染した例が
はやく出ないかなとか思っています。
そんでもって岸田総理が「ペットを飼っている皆さんには
大変同情致しますが命を守る為に殺処分も検討して頂いて
云々」
とか言い出せば、すごい反感を買いつつも騒動は
終息へ向かうでしょう。
少なくともペットを飼っている人達はほぼ全員コロナを
単なる風邪と認識し出すでしょうから。
最近は無くなりましたが数年前までは「もう死にたい
です」
的なメールが多かったんですよ。

個人的には死にたかったら死ぬのは別に良いと思うんです
が、死にたいです系の人は恐らく肉体的に消えて無くなる
より社会的に消えたいという人が多いと思います。

そもそも死ぬだけなら現代社会は駅のホームからダイブ
したり屋上から飛んだりホームセンターでロープ買って
きて首吊ったりとかお手軽に死ねると言えば死ねます。
にも関わらず実行しないという事は肉体的に死ぬのでは
無く、社会的な死を望んでいる傾向が強いのではと
思われます。

つまり今置かれている社会・環境に対して死にたいっつー
事ですね。簡単に言うともう死にたいですと言ってたら
突然宝くじが当たりましたおめでとうございますと
なったら果たして死ぬかって事です。
「色々チャレンジして頑張りたいです」とかいきなり
前向きになってしまうと人も多いと思います。
という事は死にたいと思っている私というものが最初から
居ないという事ですね。あくまで死にたい、というか
消したいのは状況であるという事です。

なので状況をいちいち批評しない方が良いです、
映画見ててここが気に入らないといって巻き戻して
見てたらいつまでも同じ事の繰り返しです。

もう少し突っ込んで言うと、前も同じ事を書いたと
思いますが、例えば男性なら女装して外出とかすると
とりあえずその瞬間は状況が激変し今まで置かれていた
社会からは離れる感じになります。
これは別に女装最高や!とかいう話では無く
社会的に離れたい、死にたいと思っているものも
結局は女装程度で受け取り方が変わってしまう脆弱な
自己という勘違いの中にしか無いという事であります。

なので肉体的に死ななくても何かしら外見を変えたり
するだけで状況は変わります、言い換えればそれだけ
脆いものを大事に持ち続ける事は無い
という事です。

もちろん女装に拘らずこの寒い中を素っ裸で歩き回っても
状況は激変すると思いますが、そうなるとマジで社会的に
死ぬ可能性が高いのでそれはお勧めしません。
以前の記事を踏まえて「眺めているだけがいわゆる
プレイヤーでは無くプログラマー視点みたいなもの
なのか?」
というメールを頂きました、
ありがとうございます。

眺めているだけ、と言えばそうかもしれませんが
これは誤解を生みやすいのは例えば目の前で火事が
起きたり地震が起きても ( ´_ゝ`)フーン とかなっている
わけではありません。その時はその時で何らかの
リアクションはするでしょう、ただそれらも含めて
意識の反映であるというだけの話です。

で、プログラマーとプレイヤーの最大の違いは何か?
と言うとプレイヤーは基本的に物語を追う立場ですよね、
ドラクエで言えば王様の所に行って武器とお金もらって
仲間を集めて、話を進めると魔王の存在が明かされて、
みたいな感じで常に物語を追っていくのがプレイヤー
です。

それに対してプログラマーは物語を作る側、言い換えれば
物語を追うのではなく、物語の方が追っかけてくる立場
であります。

つまり今に在るとか何だとかいうのは意識が映し出す
物語の最先端に居続けるという事で、
これが逆にプレイヤーであると思う、つまり自己が
存在すると思っていると物語の先を追う事がやめられない
わけです。

まあこれは当たり前の話で、プレイヤーであるならば
物語を追わないと話が進まないので常に追う事しか
出来ない状態になります。
しかしプログラマーであるならばそこに居れば物語の
方から追ってくるので、特に何かする必要は無いと
いうか、何もする必要を感じないという事であります。
「私は花粉症でしたが、鼻水がズビズビ出るのは
呼吸をしているのと同じで勝手に出るものである、
と認識してから花粉症から一歩引いたような感じになり、
結果として何となく改善されたように思います。
花粉症を通じ自己とはイメージであるとわかった感じ
です」
みたいなメールを頂きました、
ありがとうございます。

これはその通りで呼吸と同じくあらゆるものは全て
起こっているだけである、と認識すると全てから一歩
引いて眺めている感じになります。

眺めているという事はそこに自己は介在していない
いう事になり、例えば雨が降っていてもただ眺めている
だけ、永遠に雨が降り続こうが何だろうがただそこに
雨が在るだけ、という感じになり、そこに自己は存在
しません。

これは花粉症とか以外も全て同じで、例えば預金通帳の
残高とかも雨と同じで降ったり止んだり、
つまり増えたり減ったり勝手にするものであります。

「いや、そんな事は無い。この前銀行からお金下ろした
やんけ」
となると思いますが、そういった行動も勝手に
起きたり起きなかったりだとすると、結局は預金の残高の
増減には誰の介入も無い、という事になります。

つまりいきなり話のスケールが大きくなりますが、
人生に介入している誰かは実は何処にも居ないという事
です。人生に介入している誰か(自己)は
文字通り想像の中にしか居ないのであります。

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