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知らんモンは知らん

スピリチュアル系の願望実現ブログと思いきやそうでもない

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当ブログでも自由意志があるとか無いとかだいぶ前の
記事でも書いた記憶がありますが、そもそも自由意志とは
その意志を操る主体が無ければなりません。

例えば何らかのネガティブな感情があるとして、
それをポジティブなものに変える、あるいは気にしない
とか色々ありますが、そもそも何かの弾みでネガティブな
感情が出てくるという時点で意志を自由に操っていない
ですし、更にそれを何とかしようとしてもなかなか
ポジティブにならない、という事はやはり意志を自由に
操る事が出来ていないので自由意志は無いという事に
なります。

更に話を進めると、そもそも何かの弾みで現れた
ネガティブに感じるものというのは、まさに文字通り
弾みで出てきたものですから本来は別に居ても居なくても
どうでも良いものなんですよね。
しかしそれを何とかしようというのは、そのネガティブに
影響を受けるであろう私が在ると錯覚しているからで
あります。

つまり自由意志がある無い以前に、存在しないものを
常に探してしまっているのですね。
スピリチュアル系の話だとどうしても真理を見つけました
とか高次元の存在を感じましたとかの言い回しが
多いので、探した果てに何かが見つかると思ってしまうの
ですが、そうではなくて探しても見つからない、
元から無いという事なんですね。

なので自由意志があるとか無いというのも、
そもそも意志を持って何かをする主体が実は存在しない
わけで、こうして主体と客体は統一されるのであります。
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この前の記事で親ガチャに限らず国ガチャや性別ガチャも
あるのでいちいち気にしてたらしょうがないみたいな事を
書きましたが、もっと言えばガチャを回しているという
感覚が錯覚
であります。

例えば朝起きてどっちの足から先に踏み出すかとかも
ガチャと言えばガチャです。

で、右足から出したら特に何も無く、左から出したら
滑ってコケて朝からツイてねーな、とか思うかもしれま
せんが、これは起床ガチャの結果として「今日はツイて
ない私」という感覚が起こるわけで、つまり我々は
ガチャを回しているのではなく、ガチャによって私という
感覚が生まれている、ガチャが先に存在する
のです。

なのでガチャを回してハズレを引いて苦しむ私、
というのも存在しないわけで、そもそもガチャを回す私が
存在しないなら、では私とは何か?となるわけですね。
最近、親ガチャなる言葉があるそうですが
親に限らず国ガチャや性別ガチャもあるわけで、
いちいちガチャの結果に一喜一憂してたら切りが
ありません。

今までの良い事も悪い事も全てガチャの結果なので、
悪い事ばかりに意識を向ければ当然ガチャに失敗した感
だけが強くなります。

私の場合、ガキの頃は確かに経済的には親ガチャで
当たりを引いたかもしれませんが、私のオヤジは
父親としてはハッキリ言ってクソなので、そういう点では
大ハズレも良い所でした。冗談抜きで厨房の頃は
本気でブッ殺してやろうとか思う事も多々ありましたし。


しかしだからこそガキの頃に半分グレたような生活を
送りながらも、今も付き合いのある悪友・親友が出来た
とも言えます。
こうなるとガチャそのものには成功も失敗も無いという
事になります。

つまり現状が悪いとか不幸だという人は、語弊のある
言い方ですが悪くなりたいからなっている、
不幸になりたいからなっている、という事になります。

ですから何だかんだ言っても誰もが経験したい事を
経験し、求めているものが与えられている
のであります。













まあ私も十年後ぐらいに娘から「ウチは親ガチャ超ハズレ引いた!」とか言われないように頑張ります。
お金に関するブロックについてこの前記事にしましたが、
ブロックが外れたとしても突然お金がドバドバ入ってくる
という事はありません。

ただお金を好きになるとか何だとかスピリチュアル系では
色々ありますが、結局それらもブロックでは無いのか?と
いう疑問はあると思います。

好きになるというか、要は金は天下の回りものという
言葉通りにお金が回る事を許可する、許容するという事
ですね。
お金である以上、入ってきたり出ていったりというのは
当然であって、お金が欲しいからとか、お金を払いたく
ないからとかで止めないという事です。

スピリチュアル的に言うと前の記事と被りますが、
はっきり言ってこれだけです。

お金が入る、出る、という事象が流れていくのを許可する
わけですね。そこに俺の金だとかヘチマだとか事象に
感情を入れない、
という事です。

もうちょいリアル寄りに言うと、例えば最近のコロナ騒ぎ
では感染症は基本的に誰でも罹るし誰にでも移すもの
ですが、それらを徹底的に排除したつもりになる事で
却って社会が行き詰まってしまっています。

この"つもり"になる事がブロックを生みます。

例えばマスクをして手を消毒して飲食店に入っても、
席に付いたらマスクを外して恐らく現代人の持ち物で
一番汚いであろうスマホをいじりだす時点でこれはもう
排除したつもりになっているだけです。
なので結局は発症する人は発症します。

誰でも罹るという当然の事が起きたまでですが、
排除しているつもりになっているので、感染症は
誰でも罹って誰でも移すという当たり前の事を受け入れ
られずにああでもないこうでもないと騒ぎ出します。

お金もこれと同じで、基本的に資本主義は誰かの借金を
請け負いながらグルグル廻しているだけなので、
私の収入、私の支出とかお金を運用している"つもり"に
なると却ってお金の流れという事象を妨げる感情が入り、
事象をコントロールしなければと自我が苦しみだすと
いうわけです。

そうするとその苦しみを何とかする為にもしかしたら
何かブロックがあるのでは・・とか言い出して
ふりだしに戻るわけですよね?
じゃあもしかしたら最初からブロックなんていう概念自体
が自我が苦しみを正当化する為にでっちあげたもので、
本当はそんなもの最初から無かったんじゃないですか?
という事です。
お金に対するブロック、制限を取っ払うには?的な
メールを頂きました、ありがとうございます。

これはスピリチュアル的な話をすればお金はいくら
あっても熟睡している時は持っていけないし使えも
しないので、あっても無くても変わらん。という話に
なります。これで制限もクソも無くなります。
こうしてお金への制限は無くなりました、
おめでとうございます。

しかしこれだとあまりにもアッサリ過ぎるので、
あくまで実生活でお金に関する制限を取っ払っうと
いうなら、まずどれくらいの心理的な制限をかけて
いるのかを知る必要があります。
簡単なやり方だと募金箱にいくらブッ込めるか
心理的制限がわかります。

百円玉なら気にもしない、という人も五百円玉だと
何か勿体無い気がする、というなら五百円が心理的制限
です。

ここで注目したいのは百円玉なら気にもしない、
という事ですが、気にもしない、という事は
あっても無くても変わらん、という状態になっていると
いう事です。つまり財布から百円玉が消えようが
何だろうが意識に登って来ない、つまりお金への
制限が無いとは莫大なお金が入ってくるとかでは無く、
無くなるお金が存在しない、状態です。

無くなるお金が存在しない、という事は逆説的に言えば
お金使い放題という事で、収入が多い少ないというのは
関係無くなります。

この制限を取っ払った状態に慣れる事です、
つまり買い物でも何でも心理的制限がかからない範囲で
行うという事です。
「え、それじゃあ毎日カップラーメンしか買えないじゃ
ないですか!」
という人も居るかもしれませんが、
それで良いのです。ポイントはいかに自分が制限を
勝手に作り、それに従っていたかを知る事です。
それを知る事から自然と制限は取っ払われていきます。

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