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知らんモンは知らん

スピリチュアル系の願望実現ブログと思いきやそうでもない

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「結局の所、スピリチュアル的ないわゆる気付きだのヘチマだのというのも、
才能や運が無いとダメなんじゃないのか」
というメールを頂きました、
ありがとうございます。

才能とか運が良い悪いというのは、前提としてそれらを問われる舞台というか、
環境が必要であります。

簡単に言えば食い物が一人分しかない、ではジャンケンで勝負だ
これで勝てば運が良い、負けたらツイてねーな、となりますが、
そもそもこれは食い物が一人分しかない、という世界(?)が在るからこそであります。

だからこそ、世界として在る事が実感できるのです。
ジャンケンをするという役割と同時に、そういった世界に在る、
つまり役者が役者であることを知ると同時に、撮影している映画なりドラマの設定も
知る
事になるのです。

「どうしても何々が許せません!」というのも、前述した事を知るチャンスです。
「許せない」という感情を通して、世界と一体となるべきです。

なので、スピ系がどうのこうのと運や才能は関係ありません。
そういった物も内包しているのです。






私が書き散らしているブログも「意味がわかんねーよ!」というお叱りを
たまに受ける事がありますが、私にはわかりやすく書く才能が無いのでしょうがないのであります。
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「何か知らないけど某ブロガーに怒られて、それ以来そのブロガーに言われた事が
頭から消えなくて困ってるぜ!」
という内容のメールを頂きました。

頭から消えなくても、まあどうでも良いんじゃないでしょうか。

「感情や思考が消えない!」という内容のメールはよく来ますけど、
そもそも何でそれらが消えないと困るのか。
困ると思い出したのも自分ですし、消そうと戦っているのも自分であります。

つまり完全な一人相撲です、ですから一人相撲を止めれば良いのです。
そうすれば困った事など最初から無かった事がわかります。

重大な事など、世界の何処にもありません。
重大な困った出来事である、と思っているだけであって
出来事が存在するのと、そう思っているのは大きく違います。

結局、全てを見たいように見ているんですよ。
ただ「出来事が存在する」と「そう思う」を混同しているだけです。
そして殆どの人は「そう思う」方が真実だと解釈しています。

ですからなるべく良い方に思うようにしよう、というのも「そう思って」いるだけであって
根本的な解決ではありません。
何故なら「良い方に思う」とは、「悪く思える」要素が無いと成立しないからであります。

「そう思う」は世界を分断し、「思わない」は世界を統合するのであります。










今回のメールをくれた方は事の顛末を結構詳しく書いてくれているのですが、
いくら読んでもその某ブロガーがキレた理由がよくわかりません。
ていうかスピリチュアル好きな人って意外とキレやすいんですよね。

余談ですが私も、「スピ系好きです。とても良いブログですね」みたいなメールを
貰った次の日の記事で、「選挙は自民党に入れたぜ、日本の政権与党は自民党だけだぜ」
みたいに書いたら同じ方からメールが来て、
「自民党に入れるとは何事だてめえ許さねえぞコラ!」とマジギレメールが来てビビりました。
「昔の武道の達人、合気道の植芝盛平さんとか何か悟ったような事を言っていますが、
スピリチュアルな道を進むと強くなれるんでしょうか」
というメールを頂きました。

植芝先生は確か「大本」(おおもと)という宗教の信者だったんですよね。
宗教的な修行の果てに、植芝先生はある種の悟り的なものに達したのかもしれません。

スピ系の行き着く先は自他の区別が無くなり、さらに行くと自他という概念も
存在しないものだという感じになります。

しかしそれでも日常生活は送っていますから、その日常を武道家として
過ごしているなら、日常の動きは即武道の技みたいになるんじゃないでしょうか。

「歩いているのでは無く、周りの風景が進んで来ては消えていくのだ」とか
スピリチュアルの教えによくありますけど、それがさらに発展して、
無から技が生まれるような感覚だと思います。

もっと言えば、日常を武道家として過ごそう、と思うより
日常が武道家として過ごす事を求めてくるのだと思います。
海に入ったら「泳ごう」と固く決意しなくても、とりあえず泳ぐしかないじゃないですか。

結局、決意している誰かなんて居ないんですよ、
生きようと決意しても心臓は勝手に動くし、血管は勝手に血液を流してるしで
生きるしかないの同じです。その”勝手に”生きる事を求めてくる何かに
委ねてしまうのが良いですね。






ただスピリチュアルの流れで気がどうのこうの言ってる武道家は少々怪しいというか、
あんまし強くない人の方が多いのは事実かもしれないですね。
中にはすごい強い人も居るんでしょうけど。

詳細は書けませんけど、私が若い頃「気のバリア(?)」なるもので打撃技を防げる、という
怪しい気功の先生(?)の所に体験に行った事あるんですよ、もう20年近く前の話ですね。

で、確かに体験者のパンチやキックをスパンスパン捌いてるんです、
でも全部単発なんですよ。右ストレートだけとか、左の前蹴りだけとかなんです。

私は性格が悪いので、ボクシング経験者って事を内緒にして、
右のフェイントから左フック打ったら思いきりボコーンて入っちゃって、
気功の先生引っくり返っちゃったんですよ。

すごい気まずい空気になってすぐに退散しましたけど、
あの先生は一体何だったんでしょうか。
ネットで当時の場所や先生の名前を検索しても一切出てこないので、
もう廃業(?)したんだと思いますけど、あの時は空気読まないですいませんでした。
「いつもポジティブでいようと思うけど、出来ない」というメールを頂きました。
ありがとうございます。

これ、前も同じような事書いたかもしれないですけど
別に常にポジティブでいる必要無いと思うんですよ、というか無理でしょう。

そもそもポジティブってネガティブを知っていなくてはならないんですよ、
そしてポジティブもネガティブも思考によって判断し、出来上がった概念であります。

という事はポジティブで過ごしていようがネガティブで過ごしていようが
概念という幻の中に居るという事は変わりないわけで、実は同じなんですね。

ですから「常にポジティブで最高や!」とかマック赤坂みたいな事を言ってる人は、
良い気分と悪い気分という対立概念の中に居ながら”良い気分”の方だけを持ってきて、
これで”悪い気分”を起こす悪い事から抜けられると言っているわけで、
これでは幻の中から出ていません。(別にマック赤坂氏の批判ではありません)

もっと話を進めると、ポジティブだネガティブだってのは全て「そのような考え」で
あって、「考え」が存在するだけなんですね。
将棋やってて「考え」ますけど、その考えは将棋そのものではないですよね。

スピ系の話も同じようなもんで、いくら考えても「考え」があるだけで
それそのものには決してならない
のであります。

いくら考えても別に構わないのですが、「考え」と「考えられている対象」は違う、
という事は肝心な所ですね。
「自分は海だ源泉だエゴの感情を気にするなと言っても気持ちが焦ります」というメールを
頂きました、ありがとうございます。

何か気になる事がある場合は、焦るのもわかりますが
焦りとか怒りとかの感情は何故感情として成立(?)するのかという事から
アプローチすべきであります。

怒りの感情を例に挙げると、そもそも怒りとは何となく胸がムカムカするとか、
腹の辺りが熱くなるとか、あるいは昔あった嫌な事がありありと思い出されるとか
色々な反応があると思いますが、逆説的に言えば
それらの反応が怒るためには必要なんですね。

という事は怒りとか焦りとかその他色々な感情は身体の反応、およびイメージを
必要とするわけです。つまり怒るため、焦るために反応を引っ張り出してくるわけですね。

という事は反応が起こってもそれを採用しなければ良い、となります。

文章で書くと難しいかもしれませんが、例えば仮に芝居をやっていて
悲しい場面で涙を流してくれと言われて、宝くじに当たった所とか
風俗で遊んでる所とかをイメージする人はあまり居ないと思います。

殆どの人が身内の葬式とか、そういった”悲しい”を引っ張り出すイメージを探すはずです。
普段の生活で怒ったり焦ったりも過程としては同じ事をやってるんですよ、
ただあまりにそれが高速で行われるので、自分自身が反応をわざわざ探して来ている、
という事に気付けないわけです。

で、少し話が飛びますが「自分が存在する」感覚というのも、やはり反応を探してきた
結果であります。一切の反応に任せない事が、無為自然な状態であります。

しかし勘違いして欲しくないのは「何かを成し遂げる」ために反応しないのではありません、
それでは「何かを成し遂げるにために、反応しないこと」に反応している状態に
なってしまいます。

「勝つために無心になる」は”勝つ”事に対して無心という反応をしているので、
実は無心ではありません、邪念ありまくりです。

そもそも”勝つ”とは普通は自分が勝つため、または自分が都合の良いようにする事ですから、
反応の集合体(?)として現れている自分が前提となっている時点でおかしいでのあります。

自分とは単なる反応を引っ張り出して作り上げた偽りの存在である、という事を知れば
実は一度も世界と分離せずに、ずっと共に在ったことに気付くでしょう。

そしてその瞬間、文字通りあなたは死にます。
偽りの自己は冗談抜きで本当に死ぬのであります。
同時に偽りの自己が抱えてきた、わざわざ反応を引っ張り出してまで作っていた
悩みも苦しみも死にます。

おまえはもう死んでいるっていうのは、マジだったのです。

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