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知らんモンは知らん

スピリチュアル系の願望実現ブログと思いきやそうでもない

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「スピリチュアルで何か掴める、わかるのではなかろうか」的な内容のメールを
よく頂くのですが、基本的に期待しない事が肝要であります。

気持ち的には、色々と期待してしまうのは理解できますが、
期待した所で何が変わるわけでも、わかるわけでもありません。

期待や希望というのは、余計な架け橋に過ぎません。

期待通りに行かなければ何が違うのかとか、何処が間違ってるとか、
期待通りに行けばこれで良いはずだとか、私は何かを得たとか、
そんなものは幕間に入るCMみたいなもので、何の意味もありません。

というか芝居を幕間で中断させる必要は無いのであります。
寝ている時も、夢を見ている時も、起きている時も、バックグラウンドで流れている
意識は同じであります。期待や希望という余計なCMが意識を途切れさせて
「個人」という狭い概念に押し込んでしまいます。

ですから期待もせずに、希望も持たない事であります。
希望を持って絶望を拒否するのではなく、全てに置いて開かれたものになるという事です。

全てに開かれるという事は、味方も敵も無く、本当の意味で無敵になるという事です。
無敵ということは、もはや脅かす物は何処にも居ないという事であります。
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「スピリチュアル好きの私の知人が”俺は世界と一体となった”とか
言い出した。彼は頭がおかしくなってしまったのでしょうか」

というメールを頂きました。

そもそも世界と一体だ何だというのは大層なものではなく、実は誰もがデフォルト
設定であります。

かなり前の記事ですが、このように「都合の良い事・状態」の時って自他の区別が無いんですよ。
ところが「都合が悪い(と感じる)」時ほど自他の区別にはっきり境界線を引くものです。

「世界と一体だった!」とかの状態って至福感MAXになりやすいので
その「都合良く感じる」至福感でどんどんトリップして、
その後、妙に悟ったような口を利くようになるんですけど、
これはAV鑑賞後の賢者モードみたいなもので、あまり意味がありません。

気に入らないと感じる時も、それをエロビデオを観ているが如く
受け入れなければなりません。
するとどうなるか、エロビデオを観ている私、と感じているものですら
エロビデオと同じくコンテンツの一部に過ぎないとわかるのであります。

何処まで行っても、コンテンツが映し出されているだけなのです。
そのコンテンツで何か傷付く者など何処にも居ないという事です。
まさに夢と同じであります。

「では全てが夢ならば現実は何処にあるのか?」と思うかもしれませんが、
現実というものはコンテンツの中に概念として存在しているだけで、
実際は存在していません。
例を挙げると、ビデオの映像は現実に存在していますが、
地震が起きても映像の中の人物が驚いたりする事はないのに近いです。

気に入らないものから目を逸らすために
「これは夢で、現実はこっち」というのではないのです。
それではまさに現実逃避になってしまいます。

「本来は夢のようなもの」とは、裏を返せば「全て現実」なんですよ。
夢と現実は分離しているのでは無く、最初から統合されているものなのです。
その統合された現実=夢の中で生きる事が、そのまま”道”となるのであります。










まあだからといってわざわざ知り合いに「俺は世界と一体となった」とか
面と向かって言うのはどうかと思います。
「スピリチュアルで今に在るとか今を生きよとかあるけど、何だかよくわかんないんだけど」
というメールを頂きました、ありがとうございます。

まあ正直言うと私もよくわかりません。

しかしながら、生きるとは血液が体内を流れて、呼吸を行い、心臓が動くといった
勝手に行われている一連の流れというか、仕組みであります。

ですから勝手に生きているんですよね、
意識なんてしなくても今に生きているのです。

問題は「今を生きる」「今の生活を過ごす」になっているのが多い事だと思います。
生活っていうのは、早い話が生きている事にくっついてくるオマケみたいなもので、
メシ食ったりウンコしたりといった生活臭あふれる日々を過ごしながら「今に在る」とか
気取った事言われても困ります。

つまり「今に在る」とは「今の生活」ではなく、本当に「今を生きる」事なので
あります。インドの山奥で修行している悟った坊さんとかが俗世間と関わらないで
ずっと瞑想しているとかは、まさに「生きる」の体現だと思います。

だからといって日々の生活に追われている我々が生活を捨てねばならないのかと
いうとそんな事は無く、ただ単に「生活と生きるは別」と知れば良いだけですね。
何か「恋愛と結婚は別」みたいな話ですけど。
「結局の所、スピリチュアル的ないわゆる気付きだのヘチマだのというのも、
才能や運が無いとダメなんじゃないのか」
というメールを頂きました、
ありがとうございます。

才能とか運が良い悪いというのは、前提としてそれらを問われる舞台というか、
環境が必要であります。

簡単に言えば食い物が一人分しかない、ではジャンケンで勝負だ
これで勝てば運が良い、負けたらツイてねーな、となりますが、
そもそもこれは食い物が一人分しかない、という世界(?)が在るからこそであります。

だからこそ、世界として在る事が実感できるのです。
ジャンケンをするという役割と同時に、そういった世界に在る、
つまり役者が役者であることを知ると同時に、撮影している映画なりドラマの設定も
知る
事になるのです。

「どうしても何々が許せません!」というのも、前述した事を知るチャンスです。
「許せない」という感情を通して、世界と一体となるべきです。

なので、スピ系がどうのこうのと運や才能は関係ありません。
そういった物も内包しているのです。






私が書き散らしているブログも「意味がわかんねーよ!」というお叱りを
たまに受ける事がありますが、私にはわかりやすく書く才能が無いのでしょうがないのであります。
「何か知らないけど某ブロガーに怒られて、それ以来そのブロガーに言われた事が
頭から消えなくて困ってるぜ!」
という内容のメールを頂きました。

頭から消えなくても、まあどうでも良いんじゃないでしょうか。

「感情や思考が消えない!」という内容のメールはよく来ますけど、
そもそも何でそれらが消えないと困るのか。
困ると思い出したのも自分ですし、消そうと戦っているのも自分であります。

つまり完全な一人相撲です、ですから一人相撲を止めれば良いのです。
そうすれば困った事など最初から無かった事がわかります。

重大な事など、世界の何処にもありません。
重大な困った出来事である、と思っているだけであって
出来事が存在するのと、そう思っているのは大きく違います。

結局、全てを見たいように見ているんですよ。
ただ「出来事が存在する」と「そう思う」を混同しているだけです。
そして殆どの人は「そう思う」方が真実だと解釈しています。

ですからなるべく良い方に思うようにしよう、というのも「そう思って」いるだけであって
根本的な解決ではありません。
何故なら「良い方に思う」とは、「悪く思える」要素が無いと成立しないからであります。

「そう思う」は世界を分断し、「思わない」は世界を統合するのであります。










今回のメールをくれた方は事の顛末を結構詳しく書いてくれているのですが、
いくら読んでもその某ブロガーがキレた理由がよくわかりません。
ていうかスピリチュアル好きな人って意外とキレやすいんですよね。

余談ですが私も、「スピ系好きです。とても良いブログですね」みたいなメールを
貰った次の日の記事で、「選挙は自民党に入れたぜ、日本の政権与党は自民党だけだぜ」
みたいに書いたら同じ方からメールが来て、
「自民党に入れるとは何事だてめえ許さねえぞコラ!」とマジギレメールが来てビビりました。

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