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知らんモンは知らん

スピリチュアル系の願望実現ブログと思いきやそうでもない

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「世界は自分であった、という感覚を掴んだがたまに感覚が消える、どうすれば良いのか
悩んでいるでござる。」というメールを頂きましたが、これは恐らく「世界は自分であった」
いう言葉に惑わされて、強い電波を発しただけだと思われるでござる。

まず「感覚を掴んだ」というのが曲者で、これも前から書いてますけど
感覚を掴むって事は「それが掴まれる前」が無いといけませんよね。
まあ文章で書くとどうしても「何かを発見した」「何かを掴んだ」となってしまうのが
理解を困難なものにしているのは否めませんけど。

で、昨日も書いたように、例えれば我々は最初から海なので(最初から世界なので)
海が新たな海を獲得する、という事はあり得ません。
なので「感覚を掴む」という自体が何かおかしいのです。
海が海であるためには何かを獲得するのではなく、どんどん捨てて行く事になります。

別の言い方をすれば、地面を掘って穴が出来たのではなく、最初から穴はあったのです。
穴の上に土や砂があったから地面になっていただけです。
そして最初から穴があったからこそ、地面もある、全ては相対的な流れの一部です。

全ては最初から相対的な流れの中に納まっているわけで、
自我も流れの一部分に過ぎません。
流れは肉体が生まれる前からずっと在り続け、肉体が消滅しても、やはりずっと在り続けます。

先の例で言えば、地面を掘って穴が出来る前から穴が(空間が)ずっと在り続け、
穴を埋めてもやはり穴は(空間は)在り続ける
のと同じです。

つまり流れの中にいる穴にとって、土や砂がいくら大量にあろうが無かろうが決して
自らは侵される事は無いのです。なので最初からあなたはずっと在り続けていたわけで、
「感覚を掴んだ」りする事は無いですし、「何かに目覚め」る事もありません。
例えそのように強く感じたとしても、です。

言葉で示す事の出来るものは、結局は全てまやかしです。
本当に感覚や目覚めがあるなら、自我が眠っている熟睡時でも感覚を感じ、
目覚めを感じているはずです。

自我が起きている状態でしかそれらを差し示す事が出来ないという事は、
結局は自我が勝手に作った自我にとって都合の良い物語であり、真実ではありません。

なのでこのブログに書いてある事も、もちろん真実ではありません。
スピリチュアルで最も危険なのは何でもかんでも鵜呑みにする事と、
特定の言葉や表現を変に権威付けする事です。

こんなブログを真面目に読んではいけない、と度々書いているのは
そういう事ですが、まあ真面目に読んでる人なんて元からいないと思うので
その点は心配ないでしょう。





自我にとって都合の良い、というのはスピ系でよく用いられる用語(?)を見ても
よくわかります。愛とかインナーチャイルドとか高次元存在とかすき家の意志とか、
実に心地の良い言葉が溢れていますが、前述したように我々の本質は決して侵される事が
無い存在なのですから「いつも私を見守るインナーチャイルドさんありがとう、
愛しています」とかキモい事を素敵な事を書かなくても良いのです、
表現はどうでもよいのであります。

なので「常に俺をつけ狙う高次元から来た殺し屋が部屋の外にいる、
今度こそ返り討ちにしてやる」とか書き連ねるハードボイルドなスピ系ブログとか
面白いんじゃないでしょうか、私は読みませんけど。
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自分が在るってどんな感じですか?
自分という意識?みたいなものがあるだけであとは幻想。
自分が在るということに対してのありがたみや全てが自分だった!という安心感ですか?


という内容のメールを頂きましたが、自分という意識も幻想であり、
なので自分が在るという事のありがたみや安心感というのも特に強いわけではありません。

全て自分、世界が自分というのは、度々書いていますが波ではなく海であるという事です。
波は、海があるからこそ一定の原理原則に基づいて発生し、そして消滅します。
波を波として成立させている法則みたいのが、海に内在しているわけであります。

で、これを我々が認識している世界に当てはめると、
あらゆる物体、概念、現象は全て海の上の波が如く、法則に基づき現れています。
我々が「個人の肉体」と思っているものも、やはり海の上の波に過ぎません。

何処まで行っても、波は海の支配からは逃れられません。
あらゆる波は海があるから存在できるので当たり前っちゃ当たり前ですが、
自我の発生も結局は「海」の上の波に過ぎないのであります。

で、話を繰り返すようですが、全ての波は海の支配下にある、という事は
海で起こる「波の形状」は絶対的に「海の法則」に支配されているはずです。

海の上で起こる「波」は必ず水であり、途中でお湯になったりしません。
いきなりコンクリートに変化する事もありません。
羽が生えて空を飛んだりもしませんし、喋りもしません。

つまり波に自由意志は無いのです。
波である以上、どうあがいても波は波としての形状、動きしか出来ないのです。
「人間に自由意志は無い」と度々言っているのはこの事と同じです。

「自由意志が無いなら、抱いてる願望や何もかも全て海の掌の上なのか?」と
思うかもしれませんが、その通りです。

波が海の支配から逃げられない以上、思考したり行動したりするのも、
全て海の支配下にあります。波がいきなり垂直に吹き上げたりする事は
出来ないのと同じです。

で、ここで自我の無駄な抵抗をやめれば良いのであります。
もう少し正確に言うと抵抗しても良いのですが、その抵抗すらも所詮は波としての動きに
過ぎない事がわかっていれば良いのです。

とりあえず話を進めるために、抵抗はやめて全てを受け入れたとしましょう。
自我はもはや「勝手に動きたい」という事をあきらめ、母なる海の一部となります。
海の一部になるという事は、今まで海からブツ切れの存在としてあがいていた波ではなく、
海そのものの大きな流れとして在る事を意味します。

この宇宙やその他全てを構成している大きな流れそのものに名前を付ければ
「本当の自分」とか「源泉かけ流し」とか「すき家の意志」なのであります。

しかしながら、名前を付けた瞬間にそれは概念となり分離します。
海からコップで水をすくって「これが本当の自分さ!」と言っているのと同じです。
なので「本当の自分」や「すき家の意志」すら実は存在しないのであります。

存在するのは名前も無ければ見る事も聞く事も出来ない、
しかし存在するという、ある意味矛盾だらけの大きな流れであります。
この流れの中では、全てに良いも悪いもありません。
同じ波に優劣をつける必要が無いからです。

話がややこしくなりましたが、何かしたいと思うなら、大きな流れに戻る事です。
そうすれば勝手に運んでくれます。

右から左に行きたいなら、普通に流されれば嫌でも行きます。
波のくせに「まず上に上昇して、きりもみ状に回転しながら斜め45度の角度で
突入したい」とか思ってもしょうがありません。
世界を裏から支配している(?)牛丼チェーン店のすき家が、「焼きそば牛丼」という
何を思ったか炭水化物と炭水化物を合わせるという狂気の丼を販売し始めました。

昨日初めて食ってみたのですが、うーむ、正直言ってこれはぶっちゃけ美味くないぞ。
食ってるうちに焼きそばと丼がごちゃ混ぜになって何か犬の餌みたいになるし、
ソースが無駄に濃い感じもしますね。
何を食っても美味く感じる極度の味音痴である私が、久々に美味くないと感じてしまいました。

そもそも”両雄並び立たず”という言葉があるように、ご飯と焼きそばという
それぞれがメインを張れる両者を合わせても、やはりうまく行かないようですね。

と言っても炭水化物のダブルパンチによる満腹感はかなりのものです。
味を無視してただひたすらに腹を膨らませる事に特化した丼、と見れば良いんじゃないでしょうか。

まあ、すき家の牛丼なんて全部そんなモンですけどね。
Aさん「いやー、実に四ヶ月ぶりの登場ですよ。もうすっかり打ち切られたのかと思ってました」

E子さん「それどころじゃないわ、いよいよ北朝鮮がミサイルをブチ込んで来るのよ。
時に西暦2013年、アジアの存亡を賭けた最後の戦いが今、始まるのよ」

Sさん「この時期に宇宙戦艦ヤマト2199の放送が始まったのは偶然じゃない、
日本人の戦闘民族としての血をヤマトで甦らせ、最終的に北朝鮮を植民地にして
朝鮮半島全てに店舗を展開しようとしているすき家の陰謀に違いない」

重信くん「これは革命前夜なんだよ!今こそ国家という暴力装置を破壊し、
市民のための地上の楽園を作る時が来た!」

Aさん「久々に出番だと思ったら何でいきなりカオスな展開なんだ、これはいつものパターンで
大宮ソニックシティのナントカマスターの元に行くしかない」

というわけでいつものパターンでナントカマスター(以下ナマ)の所へ。


ナマ「つまり北朝鮮の脅威をどうにかしたいと言うこっちゃな」

Aさん「E子ちゃんもSさんも微妙にズレてる気がするのですが、そういう事です。
重信くんに関しては中二病なんで殆ど無視しても良いと思います」

ナマ「まあ北朝鮮は今回の話のつかみの部分だから置いといて、アンタらは
世界は自分だ何だと下らない知識は持っているが、結局は何かしらの痛みや脅威が
襲い掛かってくる
という感覚から抜け出せていないっちゅうこっちゃ。
例えば肩こりや腰痛とかも、全て「自分」にそれらが襲い掛かってくると感じているやろ。
でも肩こりなんて結局は自分で肩を緊張させてるわけなんだから結局は自分が生み出してるんよ、
何一つ”襲い掛かってくる”ものなんて無い。

Aさん「肩こりとかはともかくとして精神的な恐怖や脅威を感じるのは
また別なんじゃないでしょーか」

ナマ「同じだよ、肉体的だろうが精神的だろうが、何でもかんでも受け入れる事で
本当の意味で自分は居ないし、世界も己であるとわかる。
わかった瞬間にそれらの言葉も後付けである事もわかる。」

Aさん「受け入れる事で、現実に感じている脅威や恐怖は消えるのですか?」

ナマ「そら消えるやろ、消えないとおかしい。
なんでかっつーとゴキブリから受ける不快感を消すなら己がゴキブリになれば良いんや。
ゴキブリから受ける不快感はゴキブリを観る者が居り、そこで観る者と観られる者の
ギャップが起こすからや。ゴキブリ自身は自分自身に対し不快感なんか持ってないやろ。」

Aさん「その理屈で”世界は自分”である事に気付くと、快も不快も消えるという事ですか?」

ナマ「理屈だとそうなんやけど、ここに落とし穴がある。
不快感を消すために”世界は自分だった!”という何かしらの知識、または心の在り様みたいな
テクニックを獲得すれば良いと思いがちや。
しかしそのような知識、またはテクニックでも悟りでも覚醒でも何でも良いんやけど、
それらが”ある”と思うと結局は観る者と観られる者に分かれてしまう。
何故なら”それを得る前の自分””それを得た後の自分”が出てきてしまうからや。
つまり何かから逃げるために、あるいは得るために何かを獲得しなければならない、
というのは全て間違っている。
その間違いを犯さないためにも、何でもかんでも受け入れるしか無いんよ。」

Aさん「でもそれだと”受け入れようとしている自分”も出てきてしまいますよね?」

ナマ「もちろんそうや。だから今言った受け入れるという考えも、実は間違っている。
言葉にするとそう表現せざるを得ないって事や。
何をやっても何を思っても、全て間違っているし、分離している。
逆に言えば常に最初から世界と自分は一体だったっつー事よ。
後から気付くんじゃなくて、スタート地点が既にゴールだったって事。
全ては己の外側から襲い掛かってくるんじゃなくて、己自身の内部で起きているだけの事や、
川は内部に流れ、雨は内部に降り、そしてミサイルも内部に降ってくる。
全て己なんや。己に直撃するミサイルを観察する者からしたらミサイルは確かに恐ろしい、
しかしミサイルも己自身、吹っ飛ぶ町も己自身でそれらを観察する者が居ないなら
何一つ恐怖を感じる者は居ないんや。」

Aさん「何か座して死を待て的にも聞こえるんですけど」

ナマ「そう思うって事は、まだまだ外側から己に向かってくるものがある、という
エゴの呪縛があるんやな。でもエゴを否定する事もない、結局はそれも己だからや。
エゴというわけのわからんものが外側から襲い掛かってくるのではない、と
知れば自ずとエゴも消えていくやろ」

Aさん「何か適当に北朝鮮ネタで引っ張るのかと思いきや、妙にややこしい話に
なってしまいましたね。これではまた登場が数ヶ月先になりそうです。」





今回はAさんの言ったとおり北朝鮮ネタで適当に書く予定でしたが、
書いているうちにややこしい話になってしまいました。
まあ似たような話は過去に何度か書いていますが、要は何かを求めて旅に出る必要は
特に無いっつー事ですね。
”旅に出る動機”が何であれ、結局最終的には家に帰ってくるのであります。


というわけで次にお会いする時は”戦時中”になってるかもしれませんね、なーんつって。
先週あたりも同じネタで書きましたが、この前もプロ棋士とコンピューターの対局が行われ、
またもプロ棋士側が負けてしまったようであります。

まあ前も書きましたが「ゲームに参加していない」コンピューターに勝つ事は、
これからコンピューターがどんどん進歩していくに伴い、相当に困難な事になっていくでしょう。

コンピューターは将棋というゲームを行っているという認識すら無いと思います。
盤面に置かれた駒に対し、相手も無く己も無く、ただ単に様々な要素を数値として判断し、
黙々と作業を行っているだけでしょう。

コンピューターが「将棋を指している」と感じるのは人間の感情を通してだけで、
当のコンピューターはまさに簡単なお仕事をこなしているだけです。

将棋コンピューターには自由意志もありません。
与えられた数値に対し決められたリアクションを行っているだけで、
それらが人間から見た場合、将棋を指しているように見えるだけです。
突然コンピューターが自由意志をもって麻雀をやりたいとか言い出して、
7六歩の代わりにそれポンです、とかは決して言わない(言えない)のです。

我々が見ている世界も、結局はコンピューター将棋の中身みたいなもので、
普段の社会生活や諸々の出来事も自我を通して見ている、感じているから
「自由意志に基づいて生活を営んでいる」ようになるだけです。

将棋コンピューターというものは存在しているのに、それが様々な数値に対して行う
リアクションの結果は「人間」という「観察者」が居て初めて「将棋」となるのであります。
これをスピ系に強引に持って行くと、「意識」は存在するが「自我」が居ないと「世界」は
出て来れないというのに似ています。

結局我々の本質は何処にも存在しないが、何処にでも存在出来る意識なのですが、
それじゃつまんないので将棋やろうぜって事で、自我を通して様々なゲーム(出来事)を
楽しんでいるのです。

なので楽しいゲームを構成している要素全てに感謝しましょうって事で、
スピ系では愛とか感謝の気持ちとかの表現が多用されるのですね。
マリオが面白いのもクリボーやクッパのおかげです、ありがたやありがたや。

そしていつしかゲームに没頭して自我の感じる不幸や幸せを本物だと思い込んで
ああでもないこうでもないと騒ぎ出すのですが、ふとした拍子に本質を思い出し、
再び穏やかな意識へと帰るのであります。

まさに一人の人間の輪廻転生はこの繰り返しです。





余談ですが、よく昔のSFアニメとかでロボットがいつの間にか人間の心を持ち、
最後に主人公かヒロインを守ってボロボロになって「ワタシハ、アナタノコトガ、
スキニナッテシマイマシタ・・・オゲンキデ・・・・ガクッ」


で、「最後に人間の心を持てて幸せだった」みたいな展開がありますけど、
あれって「本質的な意識」として活動していたロボットに人間のエゴを植え付けたわけで、
全然幸せでも何でもないし、見方によってはかなり酷い事をしていると思うのですが、
こう思ってしまうのはただ単に私の性格がひねくれてるからでしょーか。

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男性
職業:
食う寝る遊ぶ
趣味:
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自己紹介:
かなりアバウトな性格の既婚平民

好物はすき家のチーズ牛丼・松屋のカレギュウ

合体と恐竜は男のロマン

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