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知らんモンは知らん

スピリチュアル系の願望実現ブログと思いきやそうでもない

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前も書きましたが最近はこのブログの読者層がごそっと入れ替わったぽいのであります。
夏ぐらいに「全てわかったので、もう用はありません。バイバイ」みたいなメールが
頻繁に来ていたので、夏場以降に新規読者の皆さんが訪問されているようです。

で、どういうわけか揃いも揃って「自由意志が無いとかいやあああ」とか「幻なんていやあああ」と
いう内容のメールがガンガン来るのですが、どうも願望というものに依存している方が
多いようであります。

それを踏まえて昨日は「願望っていうのは単なる条件付けみたいなもんだから、そんなに高嶺の花を
見上げるようにしなくて良いずら」みたいな事を書いたんですが、それでも「いやああああ」という
方が多いのですね。

まあ「いやああああ」となってしまう方が多いのもわかるのですが、
「願望実現」から入るとどうしても外側に証拠を求めるので「証拠が何処にも無いわ、いやあああ」と
なるのは、ある意味しょうがないのであります。

言葉にすると「願望実現」になってしまうわけですが、この際「単なる条件探し」にした方が
良いかもしれません、つまり願望っつーのは裏を返せば「私が幸せ、満足になることを妨げている
障害・クリアすべき条件」でもあるんですよね。

例えば「家庭を持ちたい」だったら「一回戦・相手探し」「二回戦・告る」「三回戦・結婚する」「準々決勝・やる」「準決勝・出産する」「決勝・浮気防止」みたいな次々と条件(障害)が現れてくるわけです。

が、しかしです。
こういった条件は勝手に創っただけなんだからガン無視で良いんじゃないの、
というのが今回の、というか最近の主旨であります。

「えー、でも相手いなけりゃ家庭持てないじゃん。まさか犬や猫とやれってんじゃないでしょうね」

ですからそういったものも勝手に創った条件であります、
奥さんや旦那さんや子供の存在を確認しないと「家庭を持った、幸せ」とは言えない!と
誰が決めたんだって事です。
別に存在を確認しなくたって幸せで良いじゃないですか。

そもそも家庭とか奥さんとか旦那とかは単なる概念であって、本来は無いものです。
無いものを外側に探し求めるから苦しむわけです。

ここで記事を終えると「じゃあ一生独身でも結婚した気になってろって事ですか?
そんなのいやああああ!」という内容のメールが間違いなく来ると思われますが、
これも結局、所帯持ちの反対は独身、あるいは独身の反対は所帯持ちと、勝手に創った設定で
勝手に反応して勝手に苦しんでいるだけで、別に苦しむ必要など無いのです。

条件をこれだけ創っているのか!とわかればそれを外して行けば良いだけです。
「俺は男だから女としか子供を作れない!」とかいうあまりにも当たり前過ぎる概念すら
外しちゃって良いです。もちろん実際に同性愛に目覚めて男を孕ませようとかしなくて良いです、
肝心なのはどれだけブッ飛べるか、この一点にかかっています。

ブッ飛べれば、いかに現実と思っているものが脆いかわかってきます。
もうこんな危なっかしい脆いものにつつき回されるのは終わりです。

まあこれでも「願望を結局捨てるんですか、いやああああ」という感じになってしまう方も
いると思われますが、そういう意味じゃないんですけどね。
別に捨てろとかは一言も書いてないですが、でも文章で書くとそういうニュアンスになりがちですし、
この辺はちょっと難しいですね。
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マヤ文明のカレンダーが終わるとか何だとかで、予定だと人類は滅亡しているはずなのですが、
何故か地球は爆発もしていないし人類も健在であります。
もしかしたら遠い地でサイキック戦士たちが幻魔大戦に臨んでいるのかもしれません。

滅亡の予言って昔からあるもので、私が子供の頃は予言と言えばノストラダムス、
ノストラダムスと言えば五島勉だったのですが、最近の予言業界のトレンドは誰なんでしょうね。

まあ予言ってどうしても予言した人や、それを聞いた人の思想的なものが絡んでくるから
結局エゴの叫びみたいになっちゃいますよね。

私が昔読んだノストラ本で、なんかひたすら「ソ連滅亡、共産主義死亡」みたいな事を
書き殴ってる本があったんですが、この本の著者がロシアに激しい恨みを抱いていた人みたいで、
結局彼の個人的な怨念を予言解釈を借りて発散していただけだったわけです(まあ共産主義の
崩壊は当たったと言えば当たってんだけど)

これが逆の立場なら恐らく「ソ連万歳、共産主義最高」みたいになってたと思われます。
人間ってやっぱし自分に都合の良い見たいものしか見ないモンですよね。

このブログでも「自由意志は無いです」とか「みんな幻だよ」とか書くと
「いやあああああ!」とやたら拒否するメールが来る事が多いのですが、
恐らく「いやあああああ」となるのは、それだと都合が悪いからなんですよね。

じゃあ何で都合が悪いのか?「私はこれこれこういうのが達成できないと(それが無いと)
幸せじゃない、そのためには自由意志があってくれないと困るのよ!」みたいな設定を
創っているからです。

だったらその設定を外してしまえば即座に幸せという事です。

本来は自由意志があろうがなかろうが世界が幻だろうが何だろうがどうでも良いのです。
そんなものは単なる文字の羅列であって深い意味などありません。

願望というものは裏を返せば「それが無いと幸せになれない」という条件付けでもあります。
だったらそんな設定は外して今すぐ幸せになってしまえば良いのです。

そうすると「じゃあ願望を諦めろって言うの、いやあああああ」となるかもしれませんが
設定を外すのと諦めるは全然違いますよ。昨日も書きましたが願望はあって良いんですよ
「願望」と書くから何か高嶺の花みたく感じますが、本質的には単なる条件付けに過ぎません。

ですからまずはそのような条件付け、設定から自由になって、幸せがデフォルトである事に
気付きましょうという事です。
昨日(28日)に人類が滅亡する予定だったらしいですが、
結局滅亡せずに人類は救われました。と思ったら今日(29日)だったとかの
話もあり、実はこれから人類が滅亡するようであります。

という事は今度こそ、このブログも最終回という事になるのでしょうか!?
もしかしたら最終回かもしれないので今日は手短に話を進めます。

ぶっちゃけて言うと人類が滅亡しようがどうなろうが「何もしな」きゃ良いんですよ。
我々が我々であるためには記憶とか概念とかが必要であります。
つまりそういったもの(記憶とか概念)の集合体が「私」とか「あなた」というものが
存在するかのように見せかけているだけです。

ですからそういった記憶や概念は全て後付でくっついてきた不要なモノであった、という事に
気付けば事実上「私」「あなた」は消滅します。 そう、まさに人類は滅亡するのであります。

滅亡した後は、もう今まで後付でくっついてきてた余計な記憶や概念はどうでも良いものと
なります。文章で書けば「完璧な、何も不足の無いモノ」に目覚めます。

ただ、それだけです。一度完璧超人に目覚めてしまえば「何もする事がない」のです。

しかしこれだと「願望を消滅させて心の安定を目指そうという事ですか?」と取る方も
いるでしょう。が、そうではありません。願望は持っていて結構なのです。

願望なんて持っていてもいなくても良いのです。むしろ願望っつー概念を創り、
願望を抱いている私というものを創っている事に注目すべきです。
すでに完璧しか無いのだから結局は都合の良い事になります。もっと言えば
願望も勝手に湧いてくるのだから、湧いてくるに任せれば良いのです。

ボコボコ願望が湧いたって良いのです、既に完璧なんだからどうだって良いでしょう。
1億円預金があるんだから道端の10円を拾うか拾わないかなんて自由ってのと近いです。

というわけで明日からは人類滅亡後の世界でお会いしましょう。
オカルト好きの知人が言うには今日(10月28日)マヤ文明のカレンダーだか何だかが
終わるそうで、ついに人類が滅亡か!とか一人で騒いでましたが、
マジで滅亡するということは、このブログも最終回になってしまうのでしょうか。

まあ以前も書いたと思うんですが、私自身はあんまりその手のオカルト系の話は
詳しくないんで何とも言えないんですが、まあ滅亡しても良いんじゃね?ぐらいの感じでいます。

滅亡云々より、2011年10月28日までせっせとカレンダーを書いていたマヤ文明の
カレンダー係のオッサン(オバサンかも)に想いを馳せて人類の無事を祈ります。

というわけで滅亡を回避出来たら明日またお会いしましょう。
幻上等シリーズが続いていますが、願望の実現っていうのはぶっちゃけて言うと「満足したい」
なんですよね。もっとくだけた言い方をすれば幻を「好き」になりたいわけです。

「自分」という存在も本来は幻ですから、取りあえず外側の幻を置いとくと、
後は内側の幻、つまり「自分」と思っているものが残ります。
「あれ?でも外面は内側の投影なんじゃ・・・」とか言い出すと話がややこしくなるので
今回は自分=内側、それ以外=外側として話を進めます。

で、いきなり外側最高!とかになるのは色々葛藤が出てくると思われるので、
まずは「自分」という幻を取りあえず好きになれば良いと思います。

昨日「やりたい事をやれば良い」と書きましたが、「自分」という幻のおかげで
メシ食ったり歯磨いたり居眠りコイたりと「その場その場で湧いてきたやりたい事」が
出来る
のですから、取りあえずその事に感謝して楽しめば良いんじゃないのという事です。

幻は幻なんだから、実際は外も内も無いのであります。外側の幻が気に入らないなら
(隣のハゲオヤジの加齢臭がキツイとか)内側の幻(「自分」と思っているもの)に
感謝すれば良いじゃないですか。「待ってください、私は今すぐ高級ステーキが食べたいんです。
でも近所にそんな店無いし、お金も無いんです!」と悲痛な叫びが湧いて来ても構いません。

前も書きましたが「こんなハゲオヤジを創る俺ってすげえ!」とか
悲痛なシャウトしてる俺すげえ!」みたいに自らの驚異の創造力に驚嘆し、
やりたい事をやっている自分を楽しめば良いのです。

外に感謝しようが内に感謝しようが同じ幻に感謝してるんだから同じことです。
牛丼もチーズ牛丼も同じ牛丼なんだから、どちらが好きでも「牛丼ファン」で
ある事には変わらない
のと同じ理屈です。

そうすると、もう残るのは牛丼への愛しかありませんよね。
スピ系の言い回しなら「世界は全て愛でした」「世界は自分でした」みたいな
どっかで聞いたような台詞が出てくると思います。

もうこうなると、やる事が無くなってしまうのです。幻を「好き」になれたからです。
というより嫌いだの不足だのっていうのは他者との比較や過去の経験からしか出てきませんから、
そのような概念も幻だと気付くと、「好き」になれたというより実は最初っから「好き」しか
無かったのだ
という事を思い出すのであります。

奇しくもこのブログでよく登場する牛丼屋も「すき家」であります。
そう「すき家」は「好きや」であり、あながち「すき家の意志」というのも単なるギャグでは
無かったのです。私は緻密な計算によって「すき家」の正体が明かされるように
長い前振りをしていたのです。



と言うのは真っ赤なウソです。

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超合金魂
自己紹介:
かなりアバウトな性格の既婚平民

好物はすき家のチーズ牛丼・松屋のカレギュウ

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メールはsiranwa22☆yahoo.co.jpに
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