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知らんモンは知らん

スピリチュアル系の願望実現ブログと思いきやそうでもない

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「私はコレコレこのような性格なので現実に振り回されて
云々」
みたいな内容のメールをいくつか頂きますが、
まず重要な点は「私の性格」という所ですね。

これは私の腕とか私の足とかと同じで、私と性格は別物
なんですよ。しかしながら性格がこうだからこうなって
しまう、と何故か性格が主で私が従みたいになって
います。

私とは性格では無いしもちろん腕でも足でも無いです、
性格とは家電製品のマニュアル、ドラマの脚本のような
もので主体に来るものではありません。

つまり性格がこうだからどうのこうの、では無く
それはそれで良いのであります。
ですから性格を変えたい、とか人間性をどうにかしたい、
というよりそれは主体では無い、という事を知るのが
肝要です。

性格や人間性に影響され続けた世界から脱却すれば
良いという事ですね。つまり性格は私では無いし、
人間性も私では無い、
というごく当たり前の事を
受け入れるだけであります。

なのでだいぶ前も同じ事を書いた記憶がありますが
スピリチュアル的な目覚めを得ていきなり性格が変わる、
とかいうのはあまり無いです。
もちろんある程度穏やかになったとかはあるかもしれま
せんが、前述の通り性格や人間性は本質では無いので
真逆の性格になるとかは無いです。

もし昨日までメチャクチャ攻撃的だった人が突然菩薩の
ようになってしまったら、それは攻撃的な性格という
脚本を演じていた自我がスピリチュアルをきっかけに
菩薩のような性格という脚本に乗り換えただけです。
つまり実は何も変わってなかったりします、自我は
スピリチュアル的な気付きも利用して生き残りを図ると
いう事ですね。








まあそうはいってもウチの顔も性格も悪い嫁さんも、
気付きでもヘチマでも何でも良いのでもう少し
穏やかになってくれないかなとかはたまに思います。
正直私は核戦争より嫁さんがキレる方が恐いです。

娘ちゃんも嫁さんの気性を受け継いでしまったようで、
最近はお友達の男の子相手でも全然引かないで逆に
食ってかかるぐらいなんですよね。
おかしいなあ、おしとやかなお嬢様に育てたつもり
だったんだけどなあ。
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「普段から何かスピリチュアルぽい意識をしていること
などあるのか?」
というメールを頂きました、
ありがとうございます。

これは特に無いというか、基本的に何かに没頭している
時は意識もクソも無いし、逆にあれこれ気になるというか
気が散る時とかは誰でもあると思います。

つまり心臓の鼓動みたいなもんでそういった集中と拡散
自体が意識の働きという事ですね。

ですから実は最初から何かを意識するとか何かに目覚める
とかでは無く、自己という概念が生まれる前から、
そして無くなってからも、それも意識の集中と拡散の
一つという事ですね。

ですから何かをするという概念自体も本来は無いの
ですよ。心臓が鼓動したり胃が消化したりすることを、 
何かをするんだと捉える事が無いのと同じですね。
何かを行うというより、そういうもんだという事です。

そして何かをするという概念が無い、という事は
それと同時に何もしないという概念も無い
わけで、
全ては最初から集中と拡散を繰り返す意識の働きの
一部として在るわけであります。
意識が集中と拡散を繰り返すからこそ、我々は意識を
直接を見ることは出来ませんが、意識を意識する(?)
事は出来ます。瞬きをするからこそ眼球の位置が
意識出来るようなもんですね。












何もしないと言えば就任以来何もしていない岸田総理の
支持率が高いじゃありませんか。
ガースーは積極的に動いたと思ったらいきなり日和って
緊急事態宣言を出したりして、私も当時ブログで
ガースーぶっ飛ばすとか言ってましたが、
何もしない岸田総理に対しては本当に何もしていない
ので、ぶっ飛ばす理由すら出てきません。

私としては岸田総理に「おら、殴ってみろやコラ!」
言われても「ぐぬぬ」としか言えない状況です。

何もしなければ賞賛も無ければ批判も無い、
まさに戦わずして勝つ無敵状態です。
岸田総理はまさかのスピリチュアル体現者だった!(?)
大きな選択に向かい合った場合、どちらを選ぶのが
良いのか?
的なメールは度々頂きますが、
これはどっちを選んでも良いという事になります。

そもそも我々は日常生活も例えば靴下はどっちから
履くかとか、先に顔を洗うか歯を磨くかとか選択を
しているわけですが、これをわざわざ選択しているとか
思っている人は少ないと思います。

つまり選択がいきなり降臨するわけではなく、
事象に選択という属性(?)を与えると
"選択を迫られている私"が出てくるわけですね。

なのでこの"選択を迫られている私"は事象の一部で
あってそれ以上でもそれ以下でも無いです。
そして事象から離れている時点で、その選択に
影響を及ぼされる事もありません。

ですから仮に今の世界情勢で激安ウクライナ旅行と
国内温泉旅行を選べと言われて前者を選んでも
別に何の問題もありません。

その選択に"意味"を持たせているのは"選択を迫られている
私"という事象ですから、事象から離れている時点で
何者にも脅かされる事は無いのであります。
「この世界は自分が見ている夢で本当は自分一人しか
いなくて、孤独に夢を延々と見続けているだけでは
なかろうか」
的なメールを頂きました、
ありがとうございます。

まあ夢を見ているようなもんだというのはその通り
ですが、自分一人というのが微妙に違います。
これは寝ている時が実は本体、と考えれば良いと
思います。

寝ている時というのは純粋な意識であって、そこに
他のものは存在しません。

で、起きると自己とか他人とかの概念が現れて何やかんや
始まるわけですが、これは全て意識に現れる概念なので
孤独に夢を見続けている自己というものも、
やはり概念であります。

言い換えれば眼球は眼球に映るものだけを見ている
わけで、眼球そのものは見ることは出来ません。

そして眼球に映るものは眼球が無ければ見ることは
出来ませんが、だからといって映ったものが眼球では
無い
のと同じです。

眼球に孤独だとか夢を見続けているとかが映ったと
しても、それによって眼球が破裂したりする事は無く、
それらは眼球の敵では無いわけですね。

ですから実は何かに脅かされるという事は無いので
あります、眼球に映るものが眼球に何の被害も与えない
のと同じで、最初から敵が存在しない、文字通りの
"無敵"がデフォルトです。
「認識が変わるなり何なりの経験をするのは若い頃の方が
良かったとかありますか?」
みたいなメールをいただき
ました、ありがとうございます。

これはあんまり年齢とか関係無いですね、
映画のスクリーンに映っているのが若い役者だろうが
爺さんだろうがスクリーンにはあまり意味が無いのと
同じですね。

ゲームでもキャラクター達の動きや声は全てゲームの
プログラムの中に入っているわけで、登場人物たちの
会話も経験も全てゲームの中での自作自演とも言えます。

なので何かを経験するというイベントも、結局は
ゲームの中のものであり、経験をする個人というのは
何処にも居ません。

言い方を変えれば境界が無いという事ですね。
ゲーム機はプログラムの上で自分のキャラとその他大勢、
それ以外のものという感じに境界を設けて常に分けて
いますが、境界が無くなれば全て同じものになります。

逆に言えば輪郭が無ければ物の形がわからないのと
同じで、境界を設けるからこそ意識は現れるという事です
、つまり全てが意識の輪郭です。

そしてこのように映画のスクリーンだのゲーム機だのと
いつもおなじような屁理屈を述べる当ブログも、
やはり意識の輪郭です。

このブログがネットに現れる約11年前からもブログという
輪郭を現す前の意識は常にそこに在ったのであり、
誰かが産まれる前も、そして死んでからも意識は
常に在り続ける
のであります。

なのでこのブログは実は人類誕生の前から存在したとも
言えるんですよ、すごいですね(?)

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